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ディナチャリア5 瞑想 - アーユルヴェーダの学び

瞑想

これもアーユルヴェーダではなくて、もはやヨーガです。
しかも自分が瞑想だと言ってやっていることは、「瞑想の入り口に立ったのかも知れない」くらいのことじゃないかと思っています。

居心地いい姿勢をとって、目を閉じる、以上。
外側から見たら、たぶん瞑想とはそれだけです。
行う時間は適当です。自分がいいなと思う程度に。日によって違ったって気にしなくていいと思います。

よく海の底にたとえられるのですが、外側に意識が向いてあれやこれや考え事をするのは、波が立っているようなもの。
波立っているとき、海の底は見えにくい。深そうで怖いなと思うかも知れないし、何か知らない生き物がいて不安かも知れない。

さっきまでの考え事をいったん置いておいて、意識を内側へ向けることは、凪の状態。
静かで平らな海面の下には、透き通った水がたたえられ、底までクリアに見えてくる。深さもなんとなく予測できたり、美しい生き物を発見するかも知れないし、穏やかなものに包まれてる感覚になって安心感を感じるかも知れない。

「考えないようにしよう」と思うことがまだエゴかも

ところが、目を閉じて、できるだけいらんこと考えず、自分の内側をみようと思ってみても、今度は「自分の内側をみる、みたい、みなきゃ」といったエゴが出てくる。
自分がそれに気づいた時、あれ?なんか違うくない?と思って、あーそういうのも考えないもーんっと手放してみるようにしている。

効果と実感

ごくまれに、少し凪の状態であったなぁと後から気づけることもあるけど、まだまだ瞑想への道は始まったばかりで、今世でどうにかなるのかも分からないけど、ただ続けるのみ、なのだ。

瞑想によってもたらされる生活における効果は、こちらもWEB、書籍でたくさん出てるのでそちらでご覧ください。

私はヨーガで生きることにしているので、そうした「実生活において役立つ、何か実用性があるとか有益だとか感じられる効果」をものすごく求めてはいないというか、そこに価値を置いてないのでここでは触れませんが、実際は色々あるようですよ。

イベント紹介

新潟にあるヨガスパさんの「瞑想の種を植えよう」

「グナを超える」というスワミジ(当時はまだグルジ先生)の言葉に、私のヨーガへの思いが定まった、まさに灯をともしてくれた先生の瞑想のお話、そして先生のもとでずっとヨーガを続けていて導いてくれるMaiさんの瞑想会です。良かったらぜひ。

次回は、アーサナをちょっと飛ばして、アヴィヤンガです。

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