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身を許す時

 シャーリー・マクレーンの『アウト・オン・ア・リム』。「奈緒絶対好きだよー」と友人Y子に勧められ、一年くらい前にゆっくりと読み終えました。その本はある有名女優(著者本人)が数々の神秘体験と出逢いを通して精神世界への扉を開いていく…という実話で、彼女の考えることや思うことはとても人間らしく、霊媒やUFOなどの目に見えないものを、……そんなものあるの?!と驚き疑いながらも真実を追い求めていく過程で、等身大の彼女が経験した本当〜に美しいエピソードの数々が綴られているのです。そして今日、わたしはそれを彷彿させるような経験をしてしまった。
 今日は一日予定もなく、目が覚めたときに朝のクリエイションもりもり!エネルギーにみち満ちていたので、その力を何に動かそうかとワクワクしながら午前中を過ごしていた。近頃は文章が必要な人に届くことがなんか嬉しい。周りの人に影響することも嬉しくて、noteをちゃんと書いていこうと思っていたところだった。ネタはたくさん溜まっている。あとは机に向かって書くのみだ。7時半、するするっと台所へ行き、換気扇をブンブン回しお湯を沸かして白湯をすすり、最近ちょっとずつ読んでいる分厚い本『皇の時代』を読み進める。iphoneはお手製の布袋にしまって戸棚の中に封じ込めてある(左脳過剰にならないよう、午前中は携帯を見ずに過ごしてる!)から、今が何時なのかはわからない。何章か読み進め、一区切りついた。そういえばこの間親方から結婚祝いにいただいた竹コップで豆乳オレを飲みたい。お湯、沸かそ。洗濯物も気になり回す。洗濯物できるまでにnoteを仕上げよう。2階に舞い戻る。気分を上げるため吉本ばななさんの文庫本を手に取る。短いお話がまとめられていて、1日数話ずつ読み進めているのだけど、本当にばななさんの感性はすてき……なんてことをしていたら、あっという間に12時の鐘が鳴る。(いつもこんな感じ!泣)
 13時。今日はなにがなんでも市役所で用事を済ませ、そのついでに近くの温泉で湯に浸かりたい。けいごと冷蔵庫にあったありもの野菜で楽しくチャーハンをつくり、食べる。過去のnoteを見ていたら推敲したくなり、1時間くらい机に向かう。市役所の閉館時間ギリギリに家を出て、温泉に向かった(ちがうちがう、市役所に行かなきゃ)。この温泉で私は、とても不思議な体験をすることになるのである。
 横須賀にある、高校生のころから通う大好きな温泉。ここの温泉の最高なところは、サウナがいつもアッツアツなことである。そして、水風呂、露天風呂、内湯、休憩所、コーヒー牛乳、すべてが文句のつけどころのないクオリティなのである。市役所で頭いっぱい使った。思いっきり身体を癒そう……。
 ひのきの香りがいっぱいに広がる洗い場で全身を洗い、かけ湯をして大きな内湯に肩まで浸かる。あぁ〜〜〜〜〜〜、最高だ。大好き。一生無くならないでいてほしい。露天風呂に半身だけ浸かる。夜の水面に照明の光が反射してゆらゆら輝いている。最近は服部みれいさんに啓発され「冷えとり(上半身よりも下半身が温かい状態を常に保つ)健康法」なるものを実践していて、みぞおちから下だけで20分〜半身浴するようにしている。えー、と初めは思っていたけど慣れてくると天国のように気持ちいい。サウナはきっと冷えとり健康法的にはアウトだろうなと思いつつ「サウナ→水風呂→外気浴」の天国セットを一時間、思う存分繰り返す。
 水風呂に入るとき、最初の1、2回は「冷たッ!!!」でしかない。3回目くらいでようやく、気持ちいいと感じられるようになる。ちゃんと調子のいいサウナで、自身の体調のコンディションとかいろんな要因が揃わないとそこまでいけなくて残念なときもあるのだけど。うまくいった時はいつも大学生の夏休みにダンス部の夏合宿でみんなで行った、あの山梨の川の清流に浸かる心地を思い出す。まるで川の中にいるみたいだなー。しばらく体育座りで静かにしていると、身体の内側と皮膚の表面がぽかぽか温かくなってきた。よしよし。胸の中でガッツポーズ。サウナがうまくいった証拠だ。さらなる気持ちよさを求め、足裏を壁から離し、おしり以外の全身を水に許した。水の中で身体を動かして、皮膚の表面の不思議な感触を楽しみ、深く呼吸をした。肺いっぱいに空気が取り込まれ、この上ない気持ちよさだった。この、水風呂のなかで肺に空気をとりこむ時の鼻の中や喉の奥、耳の下や肺のまわりに感じる、あの異様な清涼感はなんなのだろうか。名前のない気持ちよさへの好奇心がむくむくと育ち、私は空気を長く、長く取り込んだ。止まらなくて、通常の10倍以上の時間は肺を膨らませ続けたんじゃないかと思う。どこまでも吸えそうで、苦しくなりそうなところまで来ても全然苦しくならなかった。長く膨らむ緩やかな上昇線のなかで進み続け、あるところから皮膚と水が触れる感覚がふっと無くなった。身体の内側のあたたかさや水の冷たさ、においや“見ている”という感覚さえも消えた。ただ身体がぽっかりと浮かび、動く気も起きない感じなのだけど、いまも息を吸い続けていること、この場のことははっきりと認識していた。シャーリーが書いていたあの銀色の糸の体験がよぎった。私にも訪れたことが嬉しく、同時に静かに怖かった。右の奥に見えるお母さんと一緒に内湯で遊ぶ小さな男の子の存在に勇気づけられる自分がいた。あの男の子がいてくれて本当によかった、と思った。気持ちいいけれど、どこか寂しくてこわかったからだ。男の子は水のなかで嬉しそうに遊び無垢だった。こんなふうに認識している声も、小さく遠くの方にあるように感じた。私はとても好奇心旺盛で、とても臆病だ。この先への興味が止まらないのに、今はこれ以上いけない、と思った。その時、左手の指先にゆらっという冷たい水の感触が戻ってきて、身体を動かすことができた。0.何秒か後に右手の甲に、右腕に真冬の湖のような冷たい感触を感じた。急に全身に寒さが走り、私はすぐに水風呂を出た。
 熱い露天風呂に顎まで浸かり、まだ完全に戻ってこられない状態で水面がちゃぽちゃぽ揺れるのを見ていた。目の前を左から右へ木の葉が通過していくのが何度か見えた。あまり普段の感覚に戻りたくもなかった。こういう感覚は時間がたてばゆっくりゆっくりと薄れていくことも知っていた。だから今だけはあまり左脳的に思い出したり、なんだったのか言葉を探したりするのも控えた。なんとなく、すべてのものに興味があった小学生の時、怖いもの知らずでマンションの14階から下を見下ろして、手すりから落ちる感覚を想像した時のあの気持ちに似ている。これはただの“サウナ整い体験”ではなかった。校庭に面白がってよく引いていたあの白線の、内側の白いところまでほんのちょっとはみ出して、外側への興味と「確かにこの先にある」という信憑性のある予感だけ持ち帰ってきたように思う。あの先にはなにがあるのだろう。どんな感覚がするのだろう。さっきみたいに、身体の感覚はなくなったままで、すべてを認識しながら進むのか。それは気持ちいいことなのか。今はこわいと感じているけれど、こわくなくなる時がくるのか。私が完全にそれに身を許すときは、来るのだろうか……。
 お湯をあがろうとかけ湯をしていたら、小さな男の子がかけ湯のところまでやってきて私に話しかけてきた。こんにちはもバイバイも言わずに、少しふたりで会話をしたのがとても素敵な時間だった。脱衣所に戻る間も、服を着ている間も、いつもとは何個か掛け違えたような不思議な世界の見え方、感触を楽しんだ。販売所で買おうと思っていたはちみつはなかった。コーヒー牛乳はやめて、近くのセブンで金麦を買ってバス停で飲んだ。意味わからないくらい美味かった。急いで飲んだけどバスは全然来なかったんだっけ。……と思い出して書いているのは、この体験の4日後。その日の体験はその日のうちに!がモットーなはずなのに、いつもこうなる!それにしてもあの温泉はやっぱり最高だったから、温泉を楽しみに、そしてまたあの感触を確かめに、月一くらいで通ってみようと思ってる。

しかし、これは私に実際に起こったことである。しかも物事は私がすべてを十分に吸収できる速さで、ゆっくりと展開していった。きっと、誰の場合でも、その人の吸収の速度に合わせてこうしたことは起こるのだろう。つまり、人は、物事を受け容れ、理解する準備ができた分だけ進歩していくのだ。私の場合も、私に準備ができた時、自分自身への長い旅が可能だったのだと思う。

シャーリー・マクレーン「アウト・オン・ア・リム」より

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