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リスペクトと覚悟

久しぶりに残しておきたいと思った自分の気持ち。

最近、歩み寄りという言葉が出ると、利益の妥協というように感じてしまう。結果そうなってしまうのだが、途中に相手に対するリスペクトがあるかどうかでその後が違ってくると思う。

リスペクトと言っても尊敬ではなく、相手を認めるということに近いかな。尊敬できない人でも、そこに相手はいて生きているって感じです。

人はエゴの塊だから、利益を追求する。利益の妥協点を受け入れたことで、きめ(られ)たことの対しての覚悟というか責任みたいなことを受け入れないと本当の妥協にはならないと思う。

ただの書類上できめ(られ)たことをただ実行するだけでは成長がないのではないでしょうか。相手のことを思いやり、自分のことを振り返りしっかり考えて行動や決断することって覚悟に繋がるし、きめ(られ)たことを遂行できると思う。

そういう自分はというと、日々怠けたりできてないことがいっぱいだけど、牛歩でも一歩ずつ進めている。

でもこれって、過去の経験でいい加減なことをいっぱいした自分が恥ずかしいと思っているから行きついた考えであって、経験が少ない人からしたらちんぷんかんなのでしょうね。

子育てが一段落して子供達はそれぞれ別々に暮らしている。まだ学生なので、学費と仕送りという感じで子育ては終わったわけではないけど、それぞれ自分で考えて日々生活している中で思うことも沢山あると思うが、おそらく母親へのリスペクトはない。それは私が子供達や周りの人に対しての接し方が良くなかったからだと思ってる。決して自分を卑下しているつもりはなく、このようにしか出来なかったから後悔はない。

ただ、5月から子供達への対応の仕方は変わった(と思ってる)。もうすぐ50ではあるが、子供達へのリスペクトを持ちながら自分の意見を伝えて付かず離れずいい関係が築けれればいいなと思う。

相変わらず表現が曖昧だけど、仕事でも子育てでも人付き合いでも、相手へのリスペクトと自分の(仕事の)利益のために覚悟を持って決めていきたいです。