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アイスクリーム

ともだち家族にもらったミントを載せて食べてみようと思ったアイスクリーム、ミントはもうとっくに平らげてしまったけどアイスがまだまだ残っているので夜中、家の中が静かになった頃に少しずつ、グラスに載せて食べている。アイスだけを食べていると喉が渇くのでお湯を一緒に飲む。アイスの載るグラスは西荻窪にある村田商會さんで数百円で買った、足つきのグラス。ワインとか、アイスとかを入れるとちょうどよいグラス。お湯を飲むのは昔からこの家にある焼き物の湯呑み。

昨日は選挙へ行こうとして友人たちとの勉強会があったのを忘れていた。今日は雨が降っていたし、鍵を忘れて家を出てきたので時間切れ。

ラジオを聴いていて、選挙ってどうして行くのかなという話をしていた。学生の頃は毎日大したことない用事で飛び回りながらも選挙は朝一番に列に並んで参加していた。空の投票箱を見てみたいという欲求があったからだけど、見たことは無い。

仕事を始めるようになると帰宅が20時を必ず超え、休日も返上で働くようになり、急いで職場のそばへ引っ越してからは住民票をなかなか移動しなかったせいで選挙へは2回ほど行き損ねた。

どうして選挙へ行くのか、そんなことは、選挙は行かなきゃいけないものだと反射的に思っていただけであまり深くは考えていなかった。もしかすると、その頃の政治に対してあまり不満がなかったのかもしれない。いい国だと思っていたのかも。政治のことは政治家にお任せしたい、と思っていたような気もする。ただ、若者の投票率を上げるのは大事なことだくらいは考えていたか。

今回、選挙があると気がついた時に私が自分の中に見つけた感情は、なぜか「ぶん投げてやる」に近いものであった。一体それが何なのかはよくわからないけれど、そんな感情が浮かんできた。

最近、私は投票をして結果を見るたび世の中には私とは異なる考えを持つ人がたくさんいるのだということをまざまざと見せられ、自分がいかにマイノリティーなのかを自覚している。私が自分なりに世の中を見てきて少しずつ理解してきたつもりの、人間や、社会のよい在り方というものはある世界では常識で、ともすると改めて言葉にするのもしらじらしいくらいなのに、また別の世界ではほんとにしらじらしいと思われてしまっていたり、全く見向きもされないどうでもいいことなのだということを、数字で見せられることになる。

私と違う考えの人は、ある人は権力を持っていて、またある人はお金持ちで、またある人は多くの人から信頼を集めていて、またある人は私の何十倍も本を読んでいる。でも私には私の考えがあり、私の大切にしたい物の順序がある。選挙は、年上の、威張ってる、私の言い返すことのできないあいつやこいつと全く平等な私の権利をぶつけられる、大きなプールみたいなものなのかも。私の投げたバケツいっぱいの水は大きなプールの中のどこへ行ったかなんてわからないし意味があったのかもよくわからないけど、でも大きなプールに水をぶちまけるのは、気持ちがいい行いだと思う。

アイスクリームを食べながら書こうと思ったけど、アイスクリームは何かをしながら食べるのにはとても向いていない食べ物。

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