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中田裕二の音楽が必要だった夜


中田裕二の音楽ほど、心をズタズタにして働いた夜に傍にいてくれる音楽はないと思う。

2022年の2月末までのおよそ8年半勤めた会社は、なかなかに過酷なところだった。確実に成長出来たし、「女性活躍」という下駄を履かせてくれたので昇進は社内でいう、男性社員のストレート昇進と同じくらいの早さだった。昇給もしてもらえていたので、マンションも購入することが出来た。

しかしあの頃働きながら心を削り続けたのは、昇進や報酬に見合うものだったのかは正直わからない。メンタルクリニックへも時期を分けて中期的に2つの時期通わなければならなかったし、繁忙期が来るたびに泣いたし吐いた。繁忙期と繁忙期の間の端境期に大きめのイベントを入れられたり、業務の範囲が増えることでどんどん繁忙期じゃない時期も減っていったことがどうしても許せなかった。

朝はその日一日を頑張るために自分の手を引いてひっぱり上げたり、背中を押したり鼓舞するようなポジティブな曲で出勤をした。
しかしそうして働いた後の夜、退勤時にはそれらの曲を聴くことはあまりなかった。どんなに手を引かれても、心が立ち上がるだけの元気を残していないことが多かったから。
だからそんな時に、オフィス街から駅へ向かう雑踏の中で、くたびれてドアに寄り掛かった電車の中で、中田裕二の音楽を聴いた。

中田裕二の音楽は手を引いて立ち上がらせることも、ポジティブな言葉で励まして顔を上げさせることもしない。ただ座り込む僕の隣に座って、背中を押すのではなくそっと手を当ててくれる、そんな音楽。
落ち込んで沈み込んでいる僕を否定せず、かといって称賛もせずただ隣にいることで肯定してくれる。落ち込んでいる時に、落ち込んだままでいさせてくれる音楽は、パートナーにすら見せたくない涙が落ちるのを許してくれた。
だからあの頃の僕には中田裕二の音楽が、本当に必要だった。

しかし心が限界に達し、身体にも良くない変化が出てしまったことで昨年春に退職、秋には今の勤め先に転職をした。幸いとてもいい環境で、業務量含めてあの頃とは比べ物にならないほど心穏やかに働くことが出来ている。
そうした時にふと、中田裕二の音楽に頼らなくても働くことが出来ていることに気づいた。それは自分を鼓舞するために聴いた音楽たちも然り、明らかに耳にする機会が減っていた。
それでも好きなものは好きなので時折意識して聴いていて、なんとなく「ああ、僕は中田裕二の音楽との関わり方がこれから変わるんだな」と感じた。
そして迎えた、5/27 横浜ランドマークホールで開催された「TOUR 23 “MOONAGE SYNDROME”」横浜公演。

不思議と聞く機会が減っても「これで中田裕二の音楽から卒業するんだな」なんて思わず、ツアーの前に発売されたツアータイトルにもなっているアルバム、「MOONAGE」もこれまでのツアー参戦時と変わらないくらいに聴き込んでから足を運んだ。

「MOONAGE」はここ数年のシブみを増していた、中田裕二らしい重厚で深みのある世界観に、キラキラとしたドラマチックな雰囲気がプラスされていて、とても僕の好みだった。キラキラしているのにそれでいて奥にはしっかりとこれまでの厚みも深みも損なわない。まるでこれまでの世界観に一枚きらめきを加えるフィルターを挟んで覗き込んでいるような。そんな雰囲気を纏っている。
特に最後の曲である「存在」は、2019年に発売されたアルバム「Sanctuary」のラストを彩った「終わらないこの旅を」を彷彿とさせる包み込むような一曲で。

「存在」もライブで聴くのが楽しみだったけれど、蓋を開けてみれば全く違う曲でボロボロと涙を流すことになるのも、生き物であるライブの魅力のひとつだと思う。
思いがけず涙したのはアルバム「MOONAGE」収録の「ビルディング」で、ライブで聴いたのは今回のツアーが初めてで。

歌詞を見てもらえればわかると思うのだけど、この曲の主人公はなかなかに生き難そうにしている。何をやっても上手くいかず、裏目に出て躓く。

歩き出せば棒に 必ず当たる躓いて生き恥

やることなすことが どれも裏目で
恨めしい我が身よ

このフレーズに僕はあの頃、中田裕二の音楽がどうしても必要だった幾度の夜を思い浮かべていた。
常に腕の中の業務はいっぱいで、何かを拾えば何かを取りこぼす。常に時間も人手も足りないから、優先順位も高くなってしまうものばかり。
環境が悪いとも、自分が悪いとも思って内側にも外側にも呪詛を吐いていた自分自身と重なった。

見上げれば都会の 数多の光が
やけに遠くて 霞んで 滲んでいく

そしてサビの後半のこのフレーズに、電車で声を出さずに押し殺しすようにして泣きながら見た、東京のど真ん中の夜景を思い出して重ねていた。

思い浮かべた情景がどれも苦しくて、だけどたしかに遠いものにもなっていることを感じて。気が付いたら聴きながらボロボロと涙が零れ落ちていた。

きっとまだ癒えない部分が僕にはあって。そのことにもこうして横でただ寄り添ってくれている中田裕二の音楽が愛しくて。
もうあの頃の聴き方は卒業してしまったけれど、聴き方が変わっても彼の音楽からは卒業するわけではないし、ライブで聴いて、卒業する気なんてさらさらないよと改めて思った。
「もう1年以上にもなるのに」と未だ癒えぬものを感じる度、情けなく思っていたけど、癒えないものもあってもいいのかもしれない。傷が癒えない、ということにも彼の音楽は寄り添ってくれたから。
癒えぬなら癒えないなりの向き合い方で、ゆっくり癒していきたい。
この日のライブを観て、聴きながらそんな風に思えた。

何のまとまりもない文章だけれど、特定の、しかも愛した音楽の聴き方が変わるグラデーションを感じることってきっと、あまりないので記録のために書き残しておくことにした。

だってたしかにあの頃の僕には、中田裕二の音楽が本当に必要で。
その頃苦しんだことも、僕はなかったことにはしたくないから。

だから愛をこめて、これからも彼の音楽を耳に、歩いていきたいと思う。



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