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徳島バイの先祖!?(ベーゴマ考33)

『またベーゴマ届いてんけど!いくつ買えば気が済むねん!』
神さんがご立腹なのですが

たぶん

一生気はすまないw
しかも、たぶん他の人から見たら
違いすらわからん。

というわけで
落としてしまった。
しかも
入札した記憶はない。
末期である

今回落としたものは
画像のものである
一見徳島バイにみえるが
出品が大阪であったためだ。 
徳島バイはラグビーのような横に少し伸びた形が特徴的であるが、今回のものは
形が若干丸い

徳島バイのルーツは
昨年独自調査した。
大阪の空襲で工場が焼けた
鋳造業者が徳島にもどり型をつかって製造した
と言う経緯だった。

詳しくは下記を参照していただきたい。

徳島での聞き取りの中で、戦前から
事業を行っていた
卸業者さんのはなしでは、

戦前から大阪から『バイゴマ』は
入ってきていてあつかっていたとのこと

そう考えると今回のものは
戦前に大阪で作られた
徳島バイの元になった『バイゴマ』ではないか



今回のバイゴマ達をみると
徳島バイに比べてはるかに
丸いのだ。

オークションの発送元に問い合わせたが
使われた先はわからないとのこと、
だが、
業者さんは大阪で、他の出店品から想像するに、大阪の家仕舞いのさいに、不要になっているものを出していると感じる。

わざわざ。徳島から仕入れて大阪から出す
にしては利益が少ないだろう。

そう考えると
徳島のバイの元型は関西でも
戦前に鋳造され販売していた
と考えることができるのではないか。

楕円形の形は
貝独楽からの発展としては
実に不自然なのである。

これは徳島バイ
連結部跡がわかる徳島バイ

この上二つは、
持っている徳島バイであるが
当初、楕円形の凸部は隣のバイゴマと鋳造時につながっていた跡なのかと思っていたが
この二つを見ると、連結部跡である
『ヘソ』が違うところにあるのがわかる。

出っ張りは連結部ではない。

今回手に入った、バイゴマの裏面。
いくつかには
加工した跡があった。

裏面の貝渦の跡は
個々で異なる
これは型によって違うのであろう。

以下推測
もともと大阪で元型がつくられ、その当時は
ほぼ貝独楽のかたちを模し、
まん丸だったとおもわれる。

イメージとしては
戦前、
関西では鉄ベエと呼ばれる『J』の貝の跡
が特徴として残るものが主流であった。

一方そのころ、
関東はオチョコベーと呼ばれる、中がほぼ空っぽのものであった。

そのおチョコに近い形状のもう少し重いものを
関西でもつくり
出荷したのではないか

明治末から大正のころの子ども達の様子を描いた「石版東京図絵」に

お猪口の形をしたものに人気があり、中身まで鉄の詰まった重い方は大阪ベエといって、勝負にはほとんど使われなかった。

との記載がある。

貝の跡の「J」が表面にあるのであれば、この表現は使わないだろう。

徳島バイよりも先に、
この大阪ベエがうまれていて、
一部に出回っていた。

おおくのバイ独楽の型は
戦争中の鉄回収で徴用されたが

残っていたこれの型か、
もしくはこの型からできた
長細いタイプの1個体を徳島に戦後持ち込んで
新しい型に起したのではないだろうか。

そして、今回の中に…


なんなやこれは…
貝独楽の要素はなにもない
まわりのと同じ箱に入ってたと言うことは
大正末から
戦前までの間のものであろう。
これは、鋳造なのか
それとも、削り出しなのかもわからない。
しかし
洗練されたフォルムである
また謎だ。

なんだっけ?
炭素測定??
鋳造年代測定とか
だいたいの鋳造場所とか調べれるんかなぁ

これはもう考古学だw

だれか一緒に調査してくれー。

R5.8.10追記
先日オークションで
通称『徳島バイ』と呼ばれる
楕円形のバイが大量にでた。

出品元は埼玉県
実際には落札には至らなかった。
…だれやあんな変なもん買う人w
面白いのは
その大量の中に
裏面に特徴がある
大型のバイや
面バイがふくまれていたことだ。

関西から当時運ばれたのは間違いない。
大型のバイは大正時代のものと思われる。
つまり同じ頃に流通していた、
楕円形のバイは
大正頃に型として成立した。
徳島バイのルーツといえるとおもわれる。

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