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メンコとビー玉のご先祖さまの話


2019.2.4
東京出張の折に
終わってダッシュで一人千葉某所へ
ひろいもん好きの憧れを叶えに行きました。
泥メンコ拾いに畑コーミングへ

泥メンコは江戸時代のおもちゃで
素焼きのいろんな形したものがあります。
今の紙メンコの前は鉛メンコ、そしてビー玉
そのルーツにあたるものです。

なんで畑かと言うと
江戸時代、江戸庶民が食べていたものは栄養価が高く
その糞尿は当時最高級の肥料として近隣の農家に求められました
その中にゴミとして割れた陶器やいらなくなったおもちゃなどが混ざっていたという説

畑の五穀豊穣を願い
直接様々なものを撒かれたという説

真相はわかっていませんが
関東近隣の昔の畑だった場所から様々なデザインのものが発掘されます。

到着すぐ日が暮れるwww


しかーし
そんなに甘くなかった
到着時点で日は沈みそうでリミットは近い
そんでもって欠片みたいなもにはあっても正解かどうかがわからん(笑)
畑仕事してた素敵なマダムに泥メンコのこと聞いたら
昔はいっぱい出たけど
ここ20年から見ていないとのこと
トラクターでかくはんするので
下に埋まっていくこと
割れてしまうことを伝えられます。
しかし探しに来ていた場所は
江戸時代からずっと畑のまま残っており
ベストな場所だと教えてくれました。

そのあと
散々歩いて道端を見ますが
全く見つからない

するとさっきのマダムが
「あったかい??」
と声をかけてくれて
一個あったよと小さなものをくれました。
昔のおはじきのように使われていたものらしい
すっげー
作った人の指紋が残っとう!!!
ありがたやありがたや!
感激してると
家にある何個かを送ってくれるって!!!
よっぽどスーツで畑を歩き回って
このために神戸から来たって言われると
変な人って思ったに違いない。

お母さんありがとうございます!
女神様の嬉しいお言葉の後に自分でも1つ見つける
お香たても見つけました!!
割れた陶器も江戸時代のかな?って思うと
感慨深いです。
初めての畑コーミング楽しかった。

そのとき私が拾ったもの。昔はようさんとれてんて


その2「泥メンコがやってきた!!」

先日の東京出張で仕事帰りに千葉に探しに行った泥メンコ
畑について直ぐに声掛けたお母さんが
自宅で保管してはった貴重な泥メンコを送ってくれた(泣きそう)
写真やネットで見てたけれど実際にみると
思ってた以上に繊細な細工が施してある
以前テレビで江戸時代のべーゴマの再現で出演させてもらった時に
大阪の武家屋敷あとから出土したべーゴマを博物館の倉庫に申請出して見に行った。その時も感じたが江戸時代の子どもたちの玩具のクオリティがすごい!!

お母さんが送ってくれた泥団子は計10個
①丸型(家紋・変わり結綿)


②丸型(家紋・裏浪銭紋(寛永通宝の裏の十一波)


③丸型(家紋・重ね扇)


④丸型(家紋・三ツ星に一文字)


⑤丸型(二十丸)


⑥丸型(菊の御紋)


⑦丸型(玉の1字)


⑧恵比寿様


⑨猿?


⑩先日拾った一番ベーシックな碁石型

デザインについては自分で調べたため怪しい部分がある
重ね扇については中央に抱き柏がもともとデザインとしてあったのであれば、歌舞伎の音羽屋の家紋(消えたのかもしれない)
菊の御紋については天皇家の紋を肥溜めに入れたり子どもが投げて遊ぶかと言うと微妙なきがする。

メンコと言うと紙のものを思い浮かべるが、泥メンコ→鉛メンコ→板メンコ→紙メンコと先祖があるようだ
泥メンコはどちらかと言うとビー玉やおはじきの遊び方に近いこともおかあさんが送ってくれた資料にあった!!
今度代替えのもので遊んでみようと思います。

一般的には泥メンコは
江戸の肥溜めに溜まった糞尿を近隣の農家が肥料として購入したものに混ざっていたものとされる。先日千葉で拾った時も陶器の欠片やいろいろ黒い土の中に見えた。
べーゴマと同じく賭博性の強い遊びだったためしばしば幕府からも禁止され捨てられたとされている。
一方で畑の五穀豊穣を祈願し撒いたのではないかという説もある。
個人的時はその両方ではないかと考察する。
肥料として売り出した際、もしくは畑に撒く際に
五穀豊穣を祈願し肥えに混ぜたのではないか。

そうでないと
家の代わりとも言える家紋や福の神をたんに禁止されたからと言って肥え溜めに捨てるのは信心深い江戸の人々はしないと思うのだ。

さて、
泥メンコは
メンコと言いながら相手のものをひっくり返すというよりは
当てたり、穴にいれたり、目標物に近いものが周りをとれるという『穴一』というあそびが原型である。

これは
もっと辿ると
『銭うち』という遊びに繋がる

これは色んな遊び方があるが
今風にいえば
10円を投げあって、目標物に近い人が総取り
みたいな感じ。

もともとは
木の実をなげあって、取り合ったようだ

賭博要素が強く、江戸時代から定期的に禁止令がだされる。

その代替として出てきたものの一つが
『泥メンコ』である

そのなごりが
②丸型(家紋・裏浪銭紋(寛永通宝の裏の十一波)
に見られるのかもしれない。

まさに
お金の代わりだ。

賭博性は遊びにはつきものだと思う。
度を超えるとまずいが、
だから
おもろいというのもあるとおもうのだ。


いつの日か
道端に埋まった模様付きの泥メンコを
自分で見つけにいきたい。

おかあさんにも
会いに行かなきゃ。
こんどは
一緒に博物館を見に行く約束をしていますw


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