見出し画像

食べる定めの因果律

「こってりMAX」 天下一品@池袋


「マンガにでも出てきそうな出会いでしたよね」
 焼き鳥屋のカウンターに並んで座るA子さんはせせりを串から外しながら言う。
「そうですね」
 僕とA子さんは、ある一冊の本をきっかけに偶然出会った。そのことは後に話すとして、その偶然の出会いは、よくよく考えるとマンガに出てきそうどころか、僕にとってはちょっとバタフライエフェクトとでも呼べそうな奇妙な偶然の連続によって起こっていた。

 世の中の出来事には因果律が存在する。
 偶然と思うようなこと、運命的だと感じられるようなこと、それらも何らかの原因があったために結果が生まれているということだ。逆に言えば全ての結果には必ず要因があり、ある選択をしたことが要因となって、その結果が生まれていることになる。確かに。
 だからこそ「もしあの時~していたら」もしくは「~していなかったら」というのがタイムリープものによく出てくるのだ。ある時の選択を変えれば未来が変わるかも、というヤツだ。
 
 2週間ほど前のことになる。今、準備を進めているドラマの参考になりそうな小説を見つけたので、本屋へと向かっていた。
「すみません!」
 そんな声は聞こえたが、特に気にせず歩いていると
「すみません!」と再び声が聞こえる。
 立ち止まって声の方を向くとと、おばあさん4人組が僕の方へ手を振っている。あたりを見回すと僕以外に人がいなかったので、確かに僕に声をかけているのだ。なんだろう?と思っているとおばあさん4人はゆっくり駆け寄ってきて「この神社に行きたいんだけど、どこにありますか?」と尋ねてきた。行ったことはないけど、有名な神社なので場所はわかる。「あっちの方ですよ」と指をさしながら伝えた。が、4人とも、うんうんと頷きながらも、それから?と、もうちょっと具体的になにかを示すはずだと期待して僕を見つめている。なんなら僕がそこまで案内してくれるのでは?と思っている節もある。が、さすがに連れて行くのはめんどくさい。
 仕方なく、「スマホを持ってませんか?」と尋ね、持っていたおばあさんのスマホのマップ機能で、その神社への行き方案内を開始し、この通りに行けば着きますよと伝えた。
「へぇ」と感心する4人。

 4人のおばあさんと別れてから、本屋の近くで今度は僕が「すみません!」と声をかける羽目になった。すみませんと声をかけながら早足で追いかける。周囲の人は何事か?と僕へと目をむける。そうなのだ。なにしろ50過ぎのおっさんが「すみません」と声をかけながら女子高生の後を追っているのだから。どうした?と思われても不思議ではない。もしも父親だったら「すみません」という掛け声で追いかけたりはしないだろうから、きっと良からぬ関係の何かだと邪推されて当然だ。特に最近はトー横や大久保の立ちんぼだけにとどまらず、マッチングアプリなどでもそういう事件が多発しているときている。僕は単に目の前で落とした彼女のパスケースを拾ってしまい返そうと追いかけてるだけなのだけど。声をかけているのに一向にこちらを見ない女子高校生に追いつき、気づかせるために肩に手をかける。そこでようやく振り向いた女子高生は僕を見て眉をひそめた。僕の手を振り解くように肩を引っ込め、やや後退しながら明らかな不快感を表した顔で僕を見やる。
「落としましたよ」
 僕はそう告げるが、得体の知れないエイリアンでも見るような目つきは変わらない。ああ、と僕は得心がいって、パスケースを目の高さにかざして、もう一度いう。そこで女子高生はやっと気がついたように、右耳のipodを外して、左手でパスケースを受け取った。
「落としましたよ」
 僕はさらにもう一度いうと、女子高生は頷いて小声でありがとうと言いながら去っていった。
 こんな境遇に遭いながら、あなたが落とした定期の入ったパスケースを拾い届けたんだから、もうちょっと心をこめてありがとうと言って欲しかった。いや、そこは、ありがとうございますと言うべきじゃないか?とちょっと納得いかなかったけど、あまりそれを前面に出すとおっさんの小言になるので、まあいいやと諦めた。

 本屋に辿り着き、著者の名前でその本の在処を探ってみることにした。2~3年前には文庫化もされていたはずなので、文庫の棚を眺めていく。しかし、大きな書店を選んでしまったばかりに、探すのは一苦労だ。出版社ごとに分かれていて、このまま探し続けても見落とすかもしれないし、そもそも探しきれないかもしれないしで、埒があかないと思い至り、店員さんに尋ねることにした。
「出版社はわかりますか?」
 いや、わからないから聞いているんだけど、と思いながらそんなそぶりは見せずに著者とタイトルしかわからないんですよと答える。
 すると店員さんはレジ横のパソコンで検索して「1冊ありますね」とその場所へ案内してくれた。が、その本は見つからなかった。
「あれ? おかしいなぁ。ないですねぇ」と不思議そうにしている。はあ、仕方ない。別の本屋に行こうと、店員さんにお礼を告げようとしたところ、僕らの前に一人の女性がやってきて、書架に一冊の本を戻したのだ。それは僕が今探していた本だった。
「あ、ありましたね」
 店員さんが、その女性から戻されたたばかりの本を取り出して僕に渡す。と、その女性は僕らを見る。戻したばかりの小説がすぐさま手にされて、その本を探している人がいたことに何かを刺激されたらしい。途端に、買うのをやめたこの本への興味が再燃したようだ。

「その本面白いんですか?」
 その女性は店員さんにではなく、僕に向かって聞いてきた。
「いや、まだ読んでないのでわからないですけど、面白そうだなと思って」
 僕はそう答える。
「その作家さんの本って読んだことあります?」
「はい、結構好きな作家なので、この人の小説の6割くらいは読んでると思います」
「そうですか…」
「あ、もし気になってるなら、お譲りしますよ。先に手にされてたのはあなたですから」
 その女性が本を戻したことを後悔しているような気がして、僕は女性に本を返そうとすると
「いえ、大丈夫です。もし読んで面白かったら教えていただけませんか?」
 と女性は答えた。
 それで僕らはLINEを交換したのだけど、その女性がA子さんだ。

 僕は小説を一気に読むタイプなので、それから2日後には読み終わって「面白かったですよ」とLINEを返した。なんなら、読み終わったので、この本をあげましょうか?とも付け加えた。
 するとA子さんからは、「結局私もあの後、別の書店で買っちゃいました。読み終わったら、ちょっとお話ししませんか?」と返信が来た。

 それで読み終わったA子さんとその小説の感想を伝え合うために落ち合ったのが、冒頭の焼き鳥屋で、そこに戻る。

 A子さんの話によるとあの日、書店の中で30分以上その本を持ちながら、他の本を物色し続けていたらしいのだ。だから、僕が本屋に辿りつく前に起こった2つの偶然の出来事がなければ、店に到着して店員さんと本を探した結果、「あれ?おかしいなぁ。ないですねぇ」で終わっていたはずなのである。
 ここで因果律の話に戻ると、4人のおばあさんに「知らない」と答えていたり、女子高生の落としたパスケースを無視したりすれば、僕はA子さんと出会わなかったことになる。この2つの要因に対して行った僕の行動により、あのタイミングでA子さんが返す本に巡りあったわけだ。それは確かに因果とも言えるけれど、単に偶然の選択結果なのでは?と思えなくもない。
 ただ漫画「ベルセルク」ではその選択することも因果律によって定められているという。つまり、運命とは因果律だと。いわば、すべては既に因果律で定められているものなので、人の意思で選択をしているつもりでも、初めからそうあるべく決まっているというのが、ベルセルクなのだ。その理論でいうとA子さんは僕が出会うべく出会った相手ということにもなる。
 実際、話をして、同じく読んだ小説についても、僕が気が付かなかった伏線の話を教えてくれて驚かされたし、好きな作家も結構一致していたし、映画もテアトルやシネマートなんかにかかっている単館系の作品もよく観ていて、なんなら僕よりも深い評論を持っていることにも感心した。普段は大手建設会社の事務職をしているらしいが、休みの日はそういう好きなものを堪能するというあり方にも共感できた。確かに出会うべき相手だとも思った。
 お互い、お酒を飲む時は、そんなにご飯食べないというのも一致して、つまみはそこそこに酒をおかわりし続けた。A子さんの話は面白く、僕は楽しい時間を過ごした。

「また、飲みましょう」
 池袋駅で別れて、ようやく一息つく。
 そうなのだ。運命の出会いなのかもしれないけど、20歳以上離れた相手と酒を飲むのはなんとなく気疲れしてしまう。
 これは恋愛か?と聞かれたら、迷わず違うと答えるが、友達?と聞かれたら、それは悪くない気がすると返事する。気疲れには慣れる必要があるけれど。

 ちょっとしたつまみだけで酒を飲み、ほとんど食べてなかったので、ラーメンでも食べて帰ろうと思った。もしかしたら、A子さんも気を使ってほとんど食べずに過ごしていたかも知れないのだが。しかし相手のことなんか一度会ったくらいではわからない。
 駅から少し離れるように歩くと通り沿いに、「天下一品」があったはず。

 「天一」は時々無性に食べたくなる。あのこってりをずるずるしたい。
 珍しく混んでいなかったので、すんなり入って、カウンターに座る。と、目の前にこってりMAXの文字。あー、噂には聞いていたが、そういえばこってりMAX食べるの初めてだ。ついでに尿酸値の問題で普段は頼まない瓶ビールも注文する。瓶ビールって久しぶりに飲むと旨いよね。こってりMAXは確かにMAXにどろどろだけど、僕はかなり好き。

こってりMAX

 そんなMAX初体験を味わいながらも、僕の頭の中では因果律についての考察が再開されていた。
 ベルセルク的に、選択する考え方まで因果律の範疇というのが真実なのだろうか? それとも「もしも~しなければ」というタイムリープ的に、その選択をしなければ未来は変わったかもしれないというのが真実なのか?
 と考えたところで、どちらもただのフィクションの話なのである。僕のこのバタフライエフェクト的出来事の要因については、僕にとってはただ偶然が連続して起きた珍しい日としか思えないというのが正直な感想だ。うん。

 一つ、確かな因果律があるとしたら、焼き鳥屋でほとんど食べなかったから、こってりMAXを今食べているということ。
 これは原因と結果がはっきりしている。まさに因果律だ。
 そして、その因果律の中に存在する僕が、今ここにいる。
 
 ようやく自分の中で解決したと思ったものの、いや待てよ、こってりMAXではなく、通常のこってりを選択していたらこの後の展開は変化していたのだろうか? それともこってりMAXを選択することすら決められていたのだろうか? とまたベルセルクかタイムリープかを考え悩む因果のループにハマり出した。
 今、ここ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?