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漢字で感じる人間学73(死・壮大な永遠の変容)

私はどう生きるか? を問う2つの観点がありました。

①「私とは何か」を問い続けること。
②「死」を忘れないこと。

このうちの②「死」についてみていきます。

「死」の字源ですが、左側の「歹」は「ガツ」と読み、死者の胸から上の残骨の形。右側の「匕」はカタカナのヒと同じ形ですが「人」を現します。人が死んだ後で残された骨を弔うかたちです。

死(甲骨)

矢作直樹さんの「人は死なない」とか田坂広志さんの「死は存在しない」とか、医学や工学という現代科学の最前線の世界を生きてこられた方たちの著作に触れたり、他の様々な学びを通して、私は自分が死ぬということは、全くではないにしても殆ど怖くなくなりました。

死に対する思いも随分変わりました。以前は自分の死というものが、自分が消えてなくなって暗黒の無に帰していくイメージで、とんでもなく怖い世界に思えました。でも、どうもそうではなく、死んだ後も私の存在は残り続けて、そこから新たな活動が始まる様だと思える様になってから、死に対する恐怖よりも、むしろその時を見据えて、しっかりと今生きていることに感謝しつつ、いまできること、日々を充実させて生きることに目を向けるようになりました。

この変化のきっかけですが、「つながる側」、一元の世界に気づいてそれに目覚めてきたことがやっぱり大きくて、個としてばらばらに存在している肉体とか物質の側でみると、死んだら終わりという感じが強くなってきます。どういう死因にせよ、死んだら確実に肉体そのものはなくなっていくからでしょう。

人間の身体の中にも無数の生と死があります。今この瞬間にもどんどん新しく生まれていく細胞がある一方で、役目を終えた細胞は死んで分解されて、体外に排出されていきます。ものすごいスピードで進行する小さな無数の死が私たちの中にあります。どんなに静かにおとなしく生きている人でも、この生と死、生命の営みは圧倒的な速さでどんどん進行しています。それが「生きている」ということ。

数十兆ある人間の細胞の中で、一つの小さな細胞の生死は省みられることなどありません。ただ、淡々と自分のミッションを果たしてしては、消えていくだけ。そしてまた、その一つの小さな細胞でも、もっと大きな自分という個体を活かすかけがえない一つであることも確かなことです。

宇宙の中でみると、私たちのいる天の川銀河もとても小さな存在に過ぎず、さらにその中の太陽系、さらにその中の地球という星もほんのちっぽけな存在に過ぎません。さらにその上に住んでいる私たち生命も、本当に小さな存在でしかなく、また私たちの数十年の生命は、宇宙から観ればほんの一瞬=「瞬き一つ」にしか過ぎません。

でも極小だけれど、無ではない。ほんの僅かであったとしても、この宇宙を動かしている力になっているものだと思います。

そう、大きな宇宙という延々と続く壮大な変容のプロセスがあって、たまたまその中で今私がこういう姿で地球という星に存在しているということ、全く素晴らしいことじゃないでしょうか。

そして、この肉体に終わりがあるということも。だからこそ、この肉体で活動できる間にやることがあり、もっとエネルギーを高く発動させて生きることができるということです。

そして、その次にまた続く世界がある。次はどんな変容の中にいるのでしょうか?

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