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子供を愛せないのはなぜなのか?No2~私が「子供を愛する」感情を手にいれた瞬間~

前回のつづきです。前回の記事はこちら

努力は必ず報われると信じていた私は

最大の努力をして頑張っても
自分の子供が思うとおりにならないことや
自分のまわりで起きるすべての出来事に
苛立っていました


イライラしていっぱいいっぱいの私は
子供を愛することが出きませんでした。

でも
今は子供を愛することが出来るのです。

どうして愛することができたのか?
すべてにイライラし、いっぱいいっぱいの自分から
どう脱する事が出来たか?
を今日はお話したいと思います。

イライラする原因が分かった私は
そもそも目の前の子供や出来事は
いくら努力しても頑張っても
自分の思う通りにはならない生き物だという事を
初めて認識したのです。

なぜなら

子供は自分ではないからです。

自分ではないから私がどんだけ疲れているのか? 
とか
私がどうしたいのか?を
まわりに伝えない限りは私以外の人は
私の心の中は分からないのです。


だったら思い通りにならない子供に対して
期待するって無理な事とあきらめ

その日から子供に期待するのはやめよう
と決意しました。

すると
いっぱいいっぱいで自分の中に詰め込んでいたものが
引き抜かれて肩の力がスーッと緩んで
楽になった
ような感覚になりました。

ある日から子供に対してのすべての期待をやめるのは
難しい作業かもしれません。

具体的に、どうしたかと言うと、

日常において自分の体や、自分の時間が
楽になることを
選択するようにしました。

例えば
ご飯を作っていて、こんなに作ってもどうせ
子供は残すかもしれない。

頑張ったところで思うとおりにならないのなら
楽しておかずは1品でOK。

3品作るより1品作る方が時短につながります。
一皿にすることによって洗い物も減ります。

楽するために知恵をしぼり、
楽になるために助けてとまわりに伝えました。

楽をする選択
ここまでは出来るけど、ここからはしんどい。
ここからはイラっとするから
ここからは子供に手助けはやめよう
という感じで
自分を知る作業でもあったと思います。

作業的、時間的に楽することを選択する。というのは

この程度でも何とかなる

という積み重ねによって
子供に対して
「これだけやってあげてるのに!」
という苛立ちの感情が
トーンダウンしていきました。
すると
自分の気持ちににもゆとりができて
子供に対する期待心(子供に対する圧みたいなもの)が
軽くなっていきました。

子供に対して期待がなくなっていくと
日常のたわいもない時、子供がした行動や言動にに対して

へーこんな事できるの~?すごーい!
こんな事話してくれるの
こんな事知ってるの?すごーい!

と自然と思えるようになったのです。

そんな心のゆとりができた
ある日

目の前の子供に対して
なんてこの子は愛おしいしの!
と言う感情が湧き出たと同時に

私は
胸から何かがこみ上げて ぽろぽろ ぽろぽろ 
涙が溢れていました。

あーこれが「愛おしい」という感情
「愛する」ことなんだー!

これが私が
子供を愛するという感情を
手にした瞬間です。


まとめ
私が子供を愛する事が出来たのは
子供は自分でない。
だから子供は自分の思う通りにはならない。

子供に対しては努力をしても報われない。
ことをはじめて認識することで
努力や頑張る事をやめ、楽をすることを選択してみた。

すると

作業的→時間的→楽することによって
子供への期待心を軽くすることが出来た。
すると
心のゆとりを得た
ちょっとした日常の中で
子供を愛おしい 愛する
という 
感情を手に入れました。

そして今
私はその感情をこれから育んで行きたいと思っています。

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