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東京の街に、ひとり。


人間は本来孤独だ。

それでも、たくさんの人を愛して愛されて、支えられて支えている。そんな日々がより輪郭をはっきりさせた。そんな3月の半ば。浮き彫りになった当たり前のようで全然そんなことのない日常が愛おしくて尊くなった。


私は東京でひとりだ。固定概念が強くて、世間体とかを気にして生きないといけない日々が煩わしくて取り払いたくて自由になりたくて、大好きで慣れた地からここまで来たんだと、振り返ると思う。

今、私は自由だ。大好きな人たちと好きなだけ会って語って、やりたいことをやって、一喜一憂するけれど、直感を信じて選んで日々を更新している。周りからの目を気にする癖は未だにあるけれどそれでも昔よりだいぶマシになったと思う。

たまに寂しくなる。家族は全員故郷にいて、会いたい時に会えている。この状況下だと「東京」という街から帰ってきたとわかると、きっとみんなから警戒されてしまうから下手に帰れもしない。話したいことも文章上だと面倒で、バーっと吐き出したいのに、ああいいや後で、今度帰った時に話そうと躊躇して、何もなかったかのように自分の心の中で処理している。それはもう7年もこんなことを繰り返しているから癖づいてしまった。


最後に帰ったのは1年半以上前だ。帰りたくても帰れなかった。毎回緊急事態宣言と被って、また今度ね、となっていた。そんな時私の大好きな祖父は亡くなった。

せみが鳴き出す頃に帰って顔を出そうと思っていた。東京で頑張っていることを伝えようと思っていた。山の中を一緒にまた散歩したかった。祖父の大好きな芋焼酎で乾杯するのが夢だった。ただ話して顔をクシャッとして笑ってほしい、それだけだった。

そんな願望も叶わぬまま、最期も会えず、この離れた地で今までの人生を讃えて祈ることしかできなかった。


2週間くらい経て少し胸のざわざわが落ち着いてきた。その2週間は私にとって貴重だった。祖父のことを思えば思うほど、もっと周りの人を大事にして愛そうと思えたし、日常が愛おしくなった。空の色や雲の動きや月の光、風の香りをより強く感じるようになった。


私は東京でひとりだ。昔よりもたくさんの背景を持った人たちに囲まれて時に思いもよらない衝突が起きてしんどくなる時がある。それでも私はこの地にしばらくは居続けるのだと思う。流されないようにいつも自分は何かと問い続け地に足つけて、どこかほっといてくれて自由にさせてくれるそんな場所だから。



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