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夏のしっぽを掴まえに

毎年、今年こそ季節を存分に味わうんだと意気込むのだけど、いざその季節になると、違うことに夢中になっていて忘れることが多い。

小学生の時は、嫌でも毎日往復4キロメートルを歩いていたから、自然と季節が飛び込んできた。たんぽぽが道端に咲いていて、桜の木が満開なのをぽけっと見ながら歩いていたし、次の季節は入道雲があまりにも迫力がすごくて、セミがとんでもなくうるさかった。少し肌寒くなると、銀杏の実を踏んで進むしかなくて、その匂いに顔をしかめていた。雪は滅多に降らなかったけど、霜が降りることが多くてぐさっぐさっと踏み締めて歩いていた。

東京の街にきて、電車に揺られる通勤ではこれは味わえなくて、当時散々嫌だった通学路も悪くないなと思えている。


この話題を今更書くのかという感じだけど、9月の最初に、夏をまだ終わらせたくなくて足掻いてやろうと思って熱海に行ってきた。その予定の日の数日前から急に気温が下がって秋を感じ始めたのだけど、その日は奇跡的に快晴でむしろ暑すぎて困る日になった。


向かう道中、青い海が広がるのが見えた時、ああ本当に幸せだと思った。流れる時間がいつもの0.8倍速くらいになって、空気の粒度が細かくなったのか身体の隅々まで行き届く。窓から入る風が髪を乱してもさっぱり気にならないくらいには最高だった。

朝ご飯を食べていなかったので、お昼の海鮮はとってもしみた。美味しく頬張って、次は神社に向かった。緑が豊かなその場所は一歩踏み入れると、さっと空気が変わった。私がよくいう、気がいい場所だった。お抹茶と水まんじゅうをいただいて、景色をずっと眺めていた。だいぶゆるりと眺めて、その場に似つかわしくない騒がしい話をしながら大爆笑もした(笑)その後海に向かった。砂浜に着いた瞬間気づいたら走り出していた。そこから始まった、水かけ合戦。荷物を置いて、裾を上げて、それはもう全力で。もちろん水着ではないし、着替えもないけど。足を必死に洗って、花火を見るべく茅ヶ崎に向かったけど、渋滞に巻き込まれて間に合わなかった。でも車の中から打ち上がる花火を眺めることができた。すごく綺麗だった。あの打ち上がる時の音と光はすごく落ち着く。

全部の瞬間が愛おしかった。こんな歳で何しているのかって言われたとしても、私は忘れたくない。全力で季節は味わっていたいし、遊ぶなら必死に遊んで騒ぎたい。楽しいなら思いっきり笑いたいし、真剣に未来も語っていたい。


足掻いてよかった。夏のしっぽを捕まえに、大好きな人たちと行けてよかった。ちゃんと2022年の夏を味わえたので、私はこの秋も躊躇することなく受け入れられている。さて、紅葉を見に次はどこに行こうかな。



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