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モヤモヤと


無性に不安になって、何かに駆り立てられている、そんな時がある。モヤモヤとしたものがずっと付き纏って、意識してないと、それに自分が溺れていってしまう。何が原因かはっきりさせておかないと気が済まないから、一呼吸おいて、私は何にそんなにモヤモヤしている?と、考えを巡らす。

雑音を消して、神経を研ぎ澄ます。

さっきのあの人が放ったあの一言?それとも、やろうと思って忘れておいてきた洗濯物のこと?それか、さっききた連絡の真意に対して?自分の放った言葉の配慮の足りなさに?読みかけの本の続き?解明できていないことの中途半端さに?いろんな問いを自分に次々と投げる。
いや、落とすの感覚の方が近い。自分の真ん中に問いを落として、鳴るのを待つ。

あ、これがモヤモヤの正体だ!となるときは私の心が鳴る。振動するのだ。

こうやって、大抵自分のモヤモヤと対峙している。


それでも晴れないときはノートに書き出す。今の気持ちをつらつらと。無心で今を書くから書き終わった時に2ページくらいが真っ黒になっていて、手首は悲鳴をあげていることが多い。
昔はノートに書くこともなかなかできなかった。心の中の私と、書いたものを見る私が別物で、その私に蔑まれたくなくて、心に蓋をして当たり障りないことを書くことが多かった。見返しても笑える。誰に怯えて書いていたんだろうと。でも書くことを1年以上続けていたら、いつのまにか私はひとつになっていた。今では、ノートを道端に落とすことの方が怖い笑


頑張れない自分が嫌になることがある。みんな何かしらの目標を持って突っ走っていたり、何かを得るために必死になっていたり。成長という言葉がどうしても苦手で、変化という言葉を頑なに使う自分は、たまにこの世界から逃げているだけなんじゃないかと不安になる。何者かにならないといけない気がして、それなのになんにも自分はもっていないと感じてげんなりする。


友達には言える。そのままでいいと、そのままで素晴らしいのだと。本気でそう思うから。自分にも本気で思えるようになるといい。ここ数年、ずっと訓練している気分。

毎年、年を跨いだ後にこの感覚になりやすい。一年の目標を立てて、走り出すけど、すぐに疲れてしまう。


今日が晴れていて良かった。見上げたら青色の空がすっと心を軽くして、からっとした冷たい風が不安をさっと馴染ませてくれる。向き合うこともこの青に近いなあ。いろんな感情を大事に大事に抱えて今日も生きていく。




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