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心のくせ

シワひとつないシャツとか、一点の曇りもない鏡とかを見ると不思議な気持ちになる。人の心もここまでまっさらだったらどんなものなのか。


誰しも心の中にくせがあると思う。ここ最近、自分の中の心のくせについてよく考えている。

きっかけはひょんなことで、友達に都内で車の運転はできないなーと話していた時だ。もし事故ったらこんなこと言いそうだよねって言われたその言葉にすごく驚いた。たしかにその通りだと思ったのだ、たぶん事故を起こしたら、この人の前では私はきっとその言葉を発してしまう。ただ、その部分の私はあまりにも弱くて脆くて恥ずかしいから、完全に普段は押し込めている。たぶん見せることはほぼない。でも目の前の友達にとってはそんな情けないところが私の一部分として当たり前に存在してると思うと驚きだったのだ。


私は自分の不完全さをなかなか愛せない。指摘されるとまず自分の足りていない部分がすごく恥ずべきこととして落ち込んでしまうし、何気なく言われた自分に対する言葉も、たとえそれが褒め言葉でもこねくり回して考えて、少しでもマイナス要素があったら反省してしまう。人との絡みにおいては自分ができなかった部分をひたすら探して一人で反省会をしている。

だからなのか、自分に対して人が発する言葉も行動も少しでもあれ?と思うことがあると、自分の足りないところにあきれて離れてしまうんじゃないかと恐れにすぐ繋がってしまう。拒絶されることが極端に怖いのだ。


行動の特性は何かしらの意味がある。不完全さを自分で愛せないからこそ、周りの人のことを丸ごとそのまま愛そうとしているということに最近気づいた。いや、正確には分かっていたけど再認識した。

私のダメダメなところも含めて友達はだいすきだと言ってくれる。もちろん、私だって友達のダメダメなところはたしかにまるごと大好きなのだ。でも、自分のその部分はまだまだ好きになれない。

知ることからがスタートだから、そうだ私は不完全さを愛せていないんだ、とたまに立ち返る。そして好きになる努力をする。そして周りの人の言動のほとんどはそんなに私を責めるものではないと言い聞かせる努力をしている。そうやって少しずつ心にあるシワみたいなものを伸ばしている。


心のくせは誰しも持っている。それは個性とも言うしユニークであり美しいとも思う。ただ生きづらさもあるから、こうやって訓練しながら自分の分もそうだけど、誰かのその心のくせごと愛せる人で在りたい、そう強く思う今日この頃。







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