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テクノロジーの夢想と実体 -笑い男記念日に寄せて-

漫画「攻殻機動隊」を代表するエピソード「笑い男事件」でTV生中継ジャックが起きたとされたのが、2024年2月3日です。

本稿は、名作「攻殻機動隊」へのトリビュート。
同作で描かれた2024年と現実の2024年の相違の要因に関する考察です。

私は、「攻殻機動隊」を主にアニメで見ました。
作中の世界では、人々が「電脳化」という技術によって、脳をインターネットのようなネットワークに直接繋げ、情報の検索、意思疎通などを行っていました。
そして、医療界では、マイクロマシンという極小の機械が体内で活躍していました。

時は流れ、実際の2024年2月3日。
我々の頭脳は、まだそこから直接ネットに語りかけるには至っておらず、スマホやパソコンなどのデバイスが必要です。
医療分野でも、まだ注射でマイクロマシンを打ち込んで病気を退治する時代ではないようです。
また、同作では人類が核戦争を経験したようですが、現実世界では核戦争は起きていません。

やはり現実世界は、人間の夢想力の結晶たるSFのスピード感には勝てないのでしょうか?

ルネサンス期のイメージ
(DALL-E3で作成)

(1)テクノロジーと金

科学者、芸術家など、様々な分野で多くの才能が花開いたルネサンス期、一部の富豪に富が集中し、それが夢想家たちの活動原資になりました。

パトロンってやつですね。

産業革命以降は、帝国が台頭し、戦争が激化。
科学者の夢想は時に戦争の道具へと変えられました。

この時の原資の出し手は、国ですね。

第二次世界大戦後、科学はついに地球を抜け出し、月に到達します。

原動力は、米国-ソ連の冷戦構造。
両社が軍事力で優位に立つため、科学はもう夢想から端を発したのかすらわからなくなってしまった場で、発展し続けました。

「インターネット」くらいまでが、東西冷戦が生んだテクノロジーの産物なのでしょうか?

夢想と、それを動かす原資の関係は、資本主義の台頭と戦争の影響で、殺伐とした空気を纏ってしましました。

月探査宇宙船イメージ
(DALL-E3で作成)

(2)米中巨大資本の開発競争

前章の殺伐は、冷戦構造の融解とともに沈静化し、それが皮肉にも宇宙開発に代表されるような先端テクノロジーの停滞を招きます。

武器やロケットのような「実体」が威の象徴としての地位を徐々に失い、代わりに「情報戦」が台頭しました。

戦時下では、夢想は即武器として実体化される必要がありましたが、ポスト冷戦社会では、優秀な頭脳を優先して育て、「実体はちょっと後回しでもいい」という風潮が生じたのではないでしょうか。

そしてその風潮が、製造業から情報産業へと、富を劇的に移動させました。

戦争を勝ち抜くために新製品を作り続けてきた製造業は、政情に猶予を与えられ、資本もなくなり、世界を驚嘆させていた開発力を次第に失っていきました。

現代の米中開発競争の主戦場は、情報戦だと推察します。
宇宙開発的なものも散見されますが、あまりにもスケールが小さい。

それはそうです。
大した資本を持たない企業同士の競争ですから。
米国対ソ連のスケールと比較するのはかわいそうです。

資本主義は、皮肉にも、「資本が大して集中しない」という結果を露呈し、主に「実体の進化」を停滞させてしまったのです。

未来の街並みイメージ
(DALL-E3で作成)

(3)だがそれは前置する

しかしながら、科学は、科学的夢想は、資本主義に前置します。
アイザック・ニュートンの画期的な物理学進展は、産業革命より前です。
いわんやアルキメデスをや。
いわんやダ・ヴィンチをや。

本来、人の夢想は、資本とは無関係でした。
夢想自体は0円。

けれども、夢想を形にするためには、不可避的に資本が必要。
そして、夢想に必要な勉強を進めるためにも、資本が必要。
その資本を引っ張って来れない夢想家は、どんなに優秀でも、敗者。

・・・本当に?

勉強する資本や、実体を製造する資本を、必要だからと、恣意的に集約したり、誰かが保有し、差配する必要は、もはやないのでは?

攻殻機動隊を例に取れば、極小のマイクロマシンの実体を作り出すのは、簡単なことではない。
しかし、理論が完成(夢想が結実)しているのなら、その理論を完成させた者達に、最初の1個の実体を作る金銭的特権を、独立して与えてもよいのではないでしょうか?
最初の、1個だけ。
ビジネスオーダーの最小ロットではなく。

夢想を具現化する大学のイメージ
(DALL-E3で作成)

(4)夢想の独立

むしろ、時代の要請や、市場の要請は全く斟酌せず、夢想のみ独立させた方がいいのでは?

ルネサンス期のパトロンは、最初から自分の利益のために科学者や芸術家を選別して庇護したわけではないのではないでしょうか。

お金を余るほど持っているから、それを使って、面白そうな奴を、自由に遊ばせてみる。

今、我が国はそんなに裕福ではないですが、一部の大学くらいは、そういう場にしてもいいんじゃないかと思います。

夢想花咲く大学を、復興する。

当事者が実体化したい夢想が出てきて、その1個目を当事者が自ら作って初めて、社会が市場ニーズと照らし、その有用性を判定する。

これまでは、これが逆だからうまくいってなかったのではないかと思います。
政府や企業が、「こんな夢想をしてくれ」と、夢想家にオーダーを出していた。
そして、オーダーに従わなければ、夢想させてもらえなかった。
変な話です。
本末転倒も甚だしい。

多分、夢想にお金を寄せていった方がいいです。
経済経由、企業経由、打算経由だと、大したブツ(実体)、出来上がらないです。

文科省さんやJST(文科省外郭の科学技術振興機構)さんに、もっとお金を持たせた方がいいと思います。
そこで、夢想に対応した実体のプロトタイプが、自由に次々と生み出される環境を作る。

結果的に、市場ニーズに適合できた実体が生み出す収益だけで、おそらく夢想への投資は回収できます。

SFの夢想と、停滞した実体。
この関係を打破するのは、資本でも経済でもなく、夢想それ自身なんだろうな、と思います。

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