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大病体験記 第1章「心地よい生」02

 退職の翌日。4月1日。
 こんなにも穏やかな心持ちで新年度を迎えたのは、いつ以来だろう?
 旧年度事業の締め、報告書の作成、決算。
 新年度事業の広報、関係者根回し、説明会の日程・会場調整。
 多くの企業がそうであるように、公的機関や財団が最も繁忙を極める時期は、3月と4月だ。
 忙しく咲き、忙しく散っていく梅の古木を横目に、例年通りの忙しい3月を迎えた彼だったが、同様に大急ぎで満開に達した桜を、今日は公園のベンチでタバコをふかしながらのんびりと愛でている。

 今日は、ハローワーク、協会けんぽ、市役所に、自らが失業者と化したことを報告しに回らなければならない。
 郊外に一軒家を構える身であればこうした公的機関訪問を面倒に感じるのかも知れないが、彼の住む賃貸マンションは繁華街至近に建っていて、3機関とも徒歩30分以内という好立地だった。徒歩で用務地を3件回るなど、造作もないことだ。
彼の住むO市は人口40万人程度の地方の中核都市。繁華街の周辺に治安の悪い住宅地が隣接していて、立地の割に家賃が安い。彼は家族の了承を得て、前の職場に近いその地域に3DKのマンションを借りた。住み始めてもう7年になる。
 役所が開くのは、9時頃だろう。
 既に妻は仕事に向かい、娘は小学校に登校した。
 家に一人残され、8時台のワイドショーを見ながら、彼は繁忙から解放された現状を実感した。
 僅かばかりの貯金と受給予定の失業保険、そして妻がパートタイムで働いているという状況が、彼の仕事探しに1年程度の余裕を与えていた。

 彼は、24歳で役所に就職してから、ホワイトカラー(一般事務)としてサラリーマン生活を続けてきた。与えられた業務や、時には自分が企画した業務などを、顧客である市民に周知し、利用に対して助言やサポートを行い、困り事の相談に乗り、パトロンである国に事業の実績を報告する。就職後10年ほどした頃、自分の従事分野を「中小企業支援」と定め、福祉や農林漁業、人事などの役所の他業務に従事することの少ない「スペシャリスト」としてキャリアを歩んだ。

 「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」というのは昭和歌謡の一節だが、彼の場合は更に「役所勤め」という要素が加わり、とても気楽度の高い職業人生活を送ることができた。
 失敗しても、クビにならない。給料も下がらない。極論すれば、失敗に伴って発生するコストは「ごめんなさい」と発言し、頭を下げる際の消費カロリーのみ、といった状況だった。

 ならば、なぜ?
 彼は気楽な稼業から足を洗ったのか?

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