女帝が築いた西大寺

奈良時代は女帝の時代と言われます。

平城京に遷都した元明天皇。

元明天皇の跡を継いだのは娘の元正天皇でした。

その次の次の天皇は孝謙天皇。

大仏さんを作った聖武天皇の娘です。

さらに彼女は2回即位して称徳天皇となりました。

今ことさらに「女性の活躍」が叫ばれるのは、実際のところ女性の活躍の場が少ないからでしょう。奈良時代は、女帝が存在し活躍することが普通だったのかもかもしれません。

そして実際に彼女たちは「中継ぎ」という消極的なものでなく、実際に政治に力を発揮した統治者たちでありました。

その中でも孝謙天皇は、将来天皇になるべく立太子し、そして即位した唯一の人です。

彼女のブレーンには吉備真備という人物がおり、吉備真備もまた地方出身というハンデがありながら躍進した人物です。

孝謙天皇はその人生の後半、道鏡という僧侶が右腕になったことで、実に色々なことが言われている人です。

当時の僧侶は色んな知識を盛っており、医学や薬学にも長けていました。孝謙天皇は自分の病を治してもらったこともあり、道鏡を寵愛します。最終的には道鏡を次の天皇にするために宇佐八幡の神様にその是非を問うこともしました。

結果は否と出て孝謙天皇は激怒したといいます。「宇佐八幡神託事件」と呼ばれるものです。

このことを「孝謙天皇は生涯独身であったから、道鏡にたぶらかされて天皇の位を与えたいと考えるまでになったのだ」ということが流布され、のちの世に孝謙天皇にとってとても不名誉な説が書き立てられました。けっこうヒドイので紹介しませんが、その内容は文春も真っ青!という感じです。

孝謙天皇が実際どんな人物だったのかはわかりません。

その素行や人となりの評価は、同時代の人であっても庶民と側近くで仕える人とでは違ったでしょう。

ただ、彼女の晩年は道鏡すらそばに近づけず、ある女官ひとりがはべっていたといいます。

女官の名は吉備由利。

孝謙天皇のブレーン、吉備真備の娘とも妹とも言われます。

華やかな平城京に君臨し、2度までも即位した天皇はいったいどんな人物だったのか。

当時最大の学問者であり、戦術家でもあった吉備真備から教えを受け、天武系の血を引く最後の天皇となった孝謙天皇は、どんな思いで天皇という仕事をこなしたのか。

奈良にある西大寺は、そんな孝謙天皇が作ったお寺です。

奈良でガイドをしています。これからもっとあちこち回っておもしろいガイドを提供します。ご支援どうぞお願いいたします。