9枚の年賀状

高校3年生の冬。

一年前には想像もできなかった大学進学の夢が現実のものとなり、新たな始まりに胸を高鳴らせていた。

そんな新しい一年の始まりに届いた9枚の年賀状。

差出人は同じ高校のクラスメイトからだ。

差出人の下には、1/9や9/9といった数字が書かれている。

裏面を見てもやけに白い部分が目立ち、ところどころに黒い線があるだけだ。

一体、彼女は何をよこしたのだろうと思いながら、再び、表面の数字に目をやった。

あ、これ、もしかして
ピンときた私は年賀状をこたつの上に並べ始めた。

高校2年の夏、突如、原因不明の病により視力を失いかけていた私。

当時の視力は確か両目とも0.08程度だったと記憶している。

今までのように小さな文字はもう見えない。

マッキーペンで大きく太く書いた文字が私の文字になっていた。

彼女にとって出会ったころには健常者だった私が今となっては障害者。

しかし、そんな私に対して何一つ態度を変えることなく接してくれた彼女。

そんな彼女が思いついたとんでもなく優しさに満ち溢れた9枚の年賀状。

もうお気づきだろう。

この年賀状は9枚で1枚の年賀状になるようになっていたのだ。

1枚だと奈良に見える文字の大きさにならないと感じた彼女は大胆にも9枚の年賀状をくっつけてメッセージを書いたのだ。

そして、表面にこれが9枚のうち何枚目かわかるように数字をつけてあったというわけだ。

交換日記を2冊作って、毎日、お互いの手元には必ず1冊があって、そこには何でも書けた。

私が弱視になってからも、太いペンを使って書き続けてくれていた。

そんな彼女がもうこの世にはいない。

大学に入り、別々の進路へ飛び出してからというもの疎遠になっていた。

麻布で家庭教師をやっていたとき、突然、訃報が届いた。

信じられなかった。

脳腫瘍で彼女はこの世を去ってしまった。

まだまだ、話したいことがたくさんあったのに。

当たり前のように、おばあちゃんになって笑い合えると思っていたのに。

彼女が脳腫瘍で苦しんでいるとき、私は何もしてあげられなかった。私が障害者になって苦しかったときに何も言わずに一緒にいてくれたのに。

私はよく前向きですねと言われることがある。

前向き?私には後ろを向いている暇はない。

きっと、彼女だってまだまだ行きたかったはずだ。

神様は私から視力と聴力を多少奪っていった。でも、それ以外はいたって健康だ。健康でいられることに感謝し、多少、視力や聴力がなくたってできることはたくさんある。だから、私はできることだけに目を向けて、できないことを嘆くことはしたくない。

9枚の年賀状を書いてくれた彼女のような柔軟な発想力を私も持ち続けたい。

天国で彼女が暇しないように、私がこの世で新たなドラマをつむぎだすから。


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