3大心理学 フロイト・アドラー・ユングの生い立ちと特徴

心理学者や、占い師に至るまで。
「人の心理」というものを、何かの手法を使って解き明かし、人助けをしている人たちの言葉、理論には、その生い立ちが存分に発揮されている。

私は、フロイトの説が好きになれないのだけど、その生い立ちを学んだときに、「なるほど・・」と合点が行く部分がありました。
そこで、世界の3大心理学者、フロイト、アドラー、ユングの学説ではなく、生い立ちに焦点を当ててみた記事です。

3人は同時代を生きていて、(フロイトが一番先輩)フロイトとアドラー、フロイトとユングは研究を一緒にしたり、あるいは親しい関係にあったことがあるけど、後に離反している。

このあたりの経緯を見ていると、スタートアップやバンドの「共に時代を築いてきたけど、方針の違いからメンバー離脱」みたいなことが、学者でも起こるんだなぁなどと、ちょっとしんみりする。


ジークムント・フロイト


ジークムント・フロイト(1856年5月6日 – 1939年9月23日)チェコスロバキア領であるモラヴィアの小さな町、フライベルグに生まれる。
父ヤコブはユダヤ人の羊毛商品で、フロイトの母とは3度目の結婚。当時父40歳、母20歳。異母兄二人は成人していて、長男と嫁その子供も一緒に暮らしており、「甥」にあたるその子供はフロイトの1歳年上。さらに、このあと、5人の妹と2人の弟が生まれる。母は、フロイトを特別視しており、深い愛情を向けて育てる。一家はウィーンで生活を送っていたが、ユダヤ人差別がひどくなる時期。一家では威厳に満ちた父が、外では差別をされても何も言いかえせないでいる姿を見て、迫害に対する激しい怒りと同情を覚える。
一家の生活は経済的に苦しかったが、成績の良かったフロイトには良い教育を受けさせられるように配慮。やがて、ウィーン大学医学部へ入学。生理学研究で大きな業績をあげるが、実家の金銭状況を思わしくなく、開業医として働くことに。

フロイトの生い立ち特徴まとめ


家長として威厳を保つ父の存在。若い母に溺愛されて育ち、特別な存在であったこと。兄の息子である甥っ子の方が年上で、競争環境にあったこと。下に生まれてくる兄弟姉妹は総勢7人。家庭内の登場人物が多く、複雑な環境であったことや、ユダヤ人差別がひどくなっていく時代に生きていたことなど、葛藤の多い環境であったことが、フロイトの学説全体にたなびいている、不幸味の強い(人は性的本能から逃れられないことを証明し続けるような理論構築)精神分析の世界に影響しているんだなぁと、合点がいった。

※理論には、学べる点が多いのはもちろんなのだけど、フロイトの理論は好みではない。


アルフレッド・アドラー

アルフレッド・アドラー(1870年2月7日 - 1937年5月28日)オーストリア・ウィーンに生まれる。父はユダヤ系商人、母はオーストラリア人。6人兄弟の第二子で、のちに兄弟は全員医師になる。生まれつき病弱で医師からは生き残る見込みが少ないと言われ、くる病(骨組織の病気)を患い、4歳まで歩くことができなかった。
1902年から1910年の間、フロイトのサークルに参加して、一緒に研究をしていましたが、意見の相違から離脱し、独自の学説を広めていく。
第一次大戦時には、戦医として現地に赴くが、その時に大勢の負傷者・神経症の患者を観察する中で「このまま近代化が進んでいくと、世界はどえらいことになる」と、共同体感覚や勇気づけを広める一因になっている。

アドラーの生い立ち特徴まとめ

大家族の2番目という兄弟構成と、身体の劣等感を克服する自己啓発の観点、さらに世界平和という社会性に根ざして活動をしていく背景が、そのまま勇気づけや、共同体感覚を称え、グループカウンセリングの手法を用いるなどに現れている。また個人的な要素としては、兄弟環境が自身の人格に影響を与えたことを認めており、兄弟構成によるパーソナリティ分析や、人の性格は9歳くらいに出来上がると唱えている。ちなみに、晩年は「大人はなかなか変化しないからお手上げ。子供に力を入れよう」と、子育てや教育に力を入れるようになる。

ユング

カール・グスタフ・ユング(1875年7月26日-1961年6月1日)はスイスに生まれる。プロテスタント牧師の父と、牧師の娘であった母の元に生まれる。幼少期は建築遊びやファンタジーの世界、絵を描くなどに没頭するなど、精神世界に慣れ親しんでいた。1895年にバーゼル大学医学部に入学。のちに著書である「診断学的連想」をウィーンのフロイトの元に送ったことがきっかけで、文通が始まる。ふたりは19歳の差があり、フロイトはユングを子どものようにかわいがり、ユングはフロイトを父のように慕ったが、1912年にユングが著書「リビドーの変遷と象徴」でフロイトを批判。1913年にフロイトから絶縁状が届き、ふたりの仲は決裂。深刻な心理的な危機に陥り、少年の頃に没頭した遊びや、夢を記録するなどのファンタジーに触れることで回復。さらに心理療法における技法を確立していった。

ユングの生い立ち特徴まとめ

牧師の家庭環境に育ったことが、夢分析や無意識の世界を取り扱う素地になっていたり、神経症傾向を社会的に劣等なものではなく、創作につながるポジティブなものと捉えたことはユング独自の分析心理学の基本的な態度となっている。またフロイト(後に社会心理学と呼ばれる)とアドラー(後に個人心理学と呼ばれる)の学説の分岐点に着目し、「思考-感情-感覚-直感」で分類するタイプ論を発表するなどしている。

肝心の学説については、またの機会に。


※参考書籍:「やさしく学べる 心理療法の基礎」 
Wikipedia も参照しました。
日本アドラー心理学会で受けた講座内容も参照しました。

Chat-GPTにも質問してみたけど、間違ったことをたくさん返してきたから、
正しい知識を求めるには、気をつけないといけませんね。
例:アドラーは7人兄弟の末っ子で、「同情心が大切と説いた」とか。


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