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もしも、タトゥーをいれるなら。

「もし、今の仕事がダメになって、生きていくのに困ったら◎◎をしよう」というのがいくつかあるのだけど、(実際にやるかどうかは別にして)

その一つが、タトゥーの彫り師だ。

私が写真家として「遺影写真を大切に撮影する」というモチベーションに近いものかもしれない。

15年くらい前に、タトゥーにハマってて、世界各地の宗教的背景や、文様、歴史を調べたり、実際に彫り師のところに見学に行ったりしてた。

ハマるきっかけは、タイで、タトゥーの彫り師と恋に落ちたらからですよ〜というのが嘘かほんとかどうかは、本人に直接お尋ねください。


さて、タトゥーは「永遠に残るもの」「死ぬまで自分の印として愛するもの」というのが基本で、

「いれよう!」

となったら、身体のどこに、どんな模様をいれるのか、自分で決めるわけだ。

この作業が「自分を見つめる」「自分の生き方を方向づける」ということに他ならなくて、タトゥーのあれこれを見つめながら、私自身が私を探していたのかもしれない。

「人から見える場所にいれるのか?」

「人から見えない場所にいれるのか?」

「隠すとしたら、どのタイミングでそれが誰の目にふれるのか?」

「どんな大きさの、何を、何色でいれるのか?」


心ひかれるモチーフや、かっこいいなーと思うもの、

反対に「絶対、絶対、この選択肢はないわぁ」と思うもの。

彫り師の絵柄の雰囲気やスタイル、あとは、出逢いもあるだろうな。

みんな、何かしらを決意して、行動して、痛みに耐えて、彫るのだ。


タトゥーは、現在地点からプラスを決意するための手術のようだ。

(がんの外科手術がマイナスから0に戻す手術なのだとしたら)


痛みを伴う自傷行為を用いて、姿形を希望に変えるという点においては、今日の美容整形も、タトゥーのそれと、すごく似ている行為なのかもしれませんなぁ?どうだろ?


ところで、銭湯や温泉では、「刺青お断り」ってのが一般的なように思うけど、なんか、その表示を見る度に「イケてないな」と思う。

あ。私は結局、タトゥー保留にしているので、じゃんじゃん入れるんだけど。

「裸の付き合いする場所で、姿形や職業で判断するなよ〜。」

「迷惑行為するか、しないか、それでいいじゃんよ〜。」

と、思ってしまう。


ところで、ところで、タトゥーではないけど、

私は生まれつき、右掌、右腕の関節内側、顔の右側に赤いあざがある。

顔のあざについては、幼き頃、何度か両親に尋ねたこともあったように思うけど、割とすんなり「これは、私の印なんだな」、と受け入れていた気がする。

今も、コンシーラーで隠すこともできるのだけど、あまり「隠したい」という意思が働かず、そういえば、そのままになっている。

「人は、生まれてくるときに、自分の姿形を選んでくる」みたいな説があるけど、

私は、何をもって、印を身につけて生まれてきたんだい?

と、生まれる前の私に聞いてみたい。


タトゥーに話は戻って。

「一生消せない、選択」

というのが、その人の意志が働いてる感じがしたり、社会に対する態度を自分で決めたり、なんか、そういうのが好ましく、かっこよく感じるんだよな。


「もしも、タトゥーをいれるなら」

という思考で、自分自身のことを深堀してみるのはいかがでしょうか。

暇な夜とか、お風呂の中とかで。



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