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昭和大学上條記念ミュージアム(東京都品川区・旗の台駅)

明治、大正、昭和といった元号を冠した大学がそれぞれ都内にある。平成のみを冠した大学は強いて言えば帝京平成大学や平成国際大学などいくつかあるものの、元号のみを冠しているのはこの三校のみで、それぞれがやはり明治、大正、昭和に設立された大学である。昭和大学は医科大学としてキャンパスに隣接した病院もある。その昭和大学の創立者である上條秀介を記念して作られたのが上條記念ミュージアム。医療関係者を中心にした集会などに使われる上條記念館の地下にあるかなり新しいミュージアムである。

創立90周年の記念事業の一環として建設されたミュージアムで、それまでは50周年記念館の展示室にあった資料に加えて新たに収集された資料を展示しており、教育・研究をはじめ文化発展の拠点として活用されることを目的としている。創立者である上條秀介は関東大震災の実体験から、博士になるために医学を学ぶのではなく患者を救うために医学を学ぶ「実地医家を養成する」という信念で昭和医学専門学校を設立した。なお、入学生の総意により校歌の歌詞は斎藤茂吉によって作られている。

割と新しく作られたミュージアムである

ロビーには富士山を映している定点カメラがある。昭和大学と富士山に何の関係があるのか、と疑問に思いながら展示室へ入るとすぐにその答えが判明する。昭和大学は伝統として1年次には富士山麓にある富士吉田キャンパスで全寮生活をおこなっているのである。4学部それぞれが同じ部屋で共同生活することで学部同士の連帯感を強めることも一つの目的としている。この富士吉田キャンパスにある寮に備えられた定点カメラから映し出されているのがロビーに映された富士山というわけである。特徴的なのは展示室に敷かれている絨毯で、世界初の特殊技術によって富士吉田キャンパスがそのまま印刷されている。

敷かれている絨毯も印刷

さらに奥へ進むと今度は昭和大学の設立後の紹介。「至誠一貫」の理念を掲げて教育を行い、戦後はいちはやく医系総合大学を形成したのが昭和大学としての始まりである。医科大学への昇格を果たしてから徐々に学部が増えていった道のりがわかる。当初は医学部のみだった学部が、薬学部、歯学部、そして保健医療学部の3つが次々と開設されて今は4学部。また各地にある大学附属病院の施設も紹介している。

生薬のコレクション棚もある

最奥部には学祖である上條秀介とゆかりの人々の紹介。斎藤茂吉の他にも文学に関係する人物として挙げられるのは志賀直哉。熱海にあった上條家別荘の隣人であることからその交流があったのだという。実際に上條秀介が自宅で愛用した椅子にも座ることができる。次には上條秀介の長男だった上條一也の紹介もある。父の背中を追い医学の道を歩み、海外で研究・教鞭をとったあとに帰国した直後に父が亡くなり、30代の若さで理事に就任して大学の舵取りをしなくてはならなくなったあとも、学部の創設などで医系総合大学としての基礎を築いた人物である。愛用していた酒瓶もある。

父と子によって大学の基礎が築かれた

トイレはウォシュレット式。ミュージアムの中あらゆるところにゆかりの品々がしれっと展示されているのが面白い。特別展示室では大学内部のサークルを紹介している。これからますます充実が図られているミュージアム、平日のみの開館というのがもったいない。医科大学のミュージアムは多くないのでここから先導を切ってほしいところ。

ロビーも洒落た造りをしている

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