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東京都復興記念館(東京都墨田区・両国駅)

両国駅から両国国技館の真裏にある横網町公園。横綱ではなく横網で有名なこの公園は関東大震災において周囲が火の海となったとき、避難場所として付近の住民が集まった場所だったが、迫りくる猛火に襲われて多くの人が命を落とした悲劇の記憶が残る場所でもある。公園の中央にはその時に亡くなった人たちや東京大空襲で命を落とした人たちを祀る東京都慰霊堂がある。また関東大震災の記録を風化させないようにと、東京都慰霊堂と同じく伊東忠太の設計による東京都復興記念館が建っている。建築物としての歴史的価値もありつつ、関東大震災で亡くなった人たちの悲劇を今に伝える貴重な資料館である。

https://www.tokyoireikyoukai.or.jp/museum/history.html

東京都復興記念館は2階建て。1階では常設展示として関東大震災の記録を保管している。中でも印象深いのは1階ホールにある震災を描いた作品として河野通勢の版画や王一亭の絵、それに竹久夢二の『東京災難晝信』である。災害の中で浮かび上がる人間模様を鋭く描いた作品で、外国人が暴徒化したというデマに踊らされた人たちや生きるために煙草を売る娘のその後を憂えたりと、美人画で知られた夢二とはまた違った面が垣間見える。また堆く積まれた大型被災物の展示も被害の生々しさを伝える貴重な資料である。

しっかりとした階段

2階では日本画と洋画の融合を目指した画家の徳永柳州による震災絵画が多く展示されている。柳州は震災絵画を描き、復興のために自ら各地で巡回展示を行っていたという。赤十字の活動、軍隊の炊事出作業、崩落した永代橋、射殺された動物園の動物など、当時の緊迫した悲劇が描かれている。また有島生馬が大震災の印象を描写した絵も展示されている他、復興して行く街並みを再現したジオラマ展示がいくつか残されている。

2階はジオラマ展示が中心

企画展のコーナーでは特別展として、復興をするなかで同潤会が目指した住環境についてを紹介している。焼け跡での新しい住宅供給の中心的な役割をはたした同潤会は震災の翌年に内務省の外郭団体として誕生し、都内の各地に木造の長屋形式の住宅や、現在も代表的な事業として知られるアパートメントハウス、分譲住宅事業などを展開した。

周囲には震災の遺構が残されている

トイレは和式と洋式はウォシュレット式、東京一帯に壊滅的な被害をもたらした1923年の関東大震災から100年の歳月が流れており、当時のことを覚えている人ももうほとんどいなくなってしまった。歴史をつなぐ貴重な資料館の一つである。横網町公園内には各場所に慰霊碑や遺構が残されており、東京都復興記念館の他にも一周しておきたい公園である。

東京都慰霊堂も参拝しておきたい

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