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国分寺市民俗資料室(東京都国分寺市・国分寺駅)

国分寺市、その名の通り国分寺を冠した街である。全国に点在する国分寺の中で市や駅に国分寺の名を示しているだけあって、駅のすぐそばには国分寺の遺構も多く残っている。そんな国分寺市にも郷土博物館の機能を有している国分寺市民俗資料室という施設はあるものの、国分寺関連の施設に抑えてかなり小規模な「展示室」としての造りになっており、しかも予約制でのみ開館する、というローカル感ここに極まれり、といった現状である。

けれど「あるなら行く」を(誰に言われるでもなく勝手に)モットーにしている自分としては、そこにあるなら行かないわけにはいかない、としっかり予約をして訪問。国分寺駅から北部の少し離れた場所にあり、さすがに徒歩で訪れるのは難しいため、自転車に乗って訪問した次第である。

ザ・民俗展示室

室内は1フロアのみ、室内に所狭しと並んでいるのは国分寺エリアで使われていた農具が中心。武蔵野の地は養蚕業で栄えたことから蚕にまつわる農具も多くある。土器や板碑といった郷土博物館ならではのレギュラー陣はおらず、それらは国分寺市武蔵国分寺跡資料館という、国分寺駅から南部、国分寺側の敷地にあるおたかの森にある博物館に集約されており、その点でも国分寺そのものにお株を奪われている感が強い。

近代的な資料がほとんど

こちらの資料室で最も注目したいのは入り口すぐにある一葉松の遺構。国分寺市の恋ヶ窪エリアには鎌倉時代の武士である畠山重忠にまつわるエピソードがある。恋ヶ窪の遊女である夙妻太夫という絶世の美女が、鎌倉武士の鑑とまで言われた畠山重忠と出逢い恋仲に。しかし時は源平合戦の最中。源氏方の畠山重忠は平家討伐に西国へと赴くことに。武士の鑑とまで言われた重忠は戦地に女性を伴って行くことをよしとせず、夙妻太夫を東国へ置いたまま旅立つことに。残された夙妻太夫は彼女に横恋慕した男から、重忠が討死したという嘘を教えられ、世を儚んで恋ヶ窪に身を投げてしまう。東国へ戻ってきた重忠は夙妻太夫の死を深く悲しみ、寺を建立して供養したという。寺の境内にあったのが一葉松で、近年までそれは残っていたのだという。

一葉松

国分寺市で国分寺関連の遺構を除くと町おこしの素材がなかなか見つからず、こちらの資料室でもそれがネックだという。年間でも10人程度しか訪れる見学者がいないらしく少し寂しい。こういったエピソードを主軸にしながらもっと訪問者を増やしてほしいもの。トイレは洋式。

いま話題の電動キックボードの原型である


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