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鎌倉寺院めぐり(神奈川県鎌倉市・鎌倉駅/北鎌倉駅)

関東における寺社の集まる場所である鎌倉。何度も来たことはあってもほとんど寺に行ったことがなくミュージアム中心で巡っていたので、さすがに巡らないわけにもいかないと猛省して参拝することに。一般にも見学可能として開かれている寺院をお参りしましょうってことで。ミュージアムやギャラリーとはまた異なり、修行の場でもある寺院は注意しなくてはならない点もある。

【寺院めぐりの注意点】
・小銭を準備。参拝料と賽銭と。電子マネーは基本的に使えない。お札も推奨しない。お参りにお釣りっているのもおかしな話で。
・トイレは和式か洋式(ウォシュレット?なにそれ?)。屋外に備え付けられているのがほとんどなので、夏場は昆虫とお友達になる覚悟で。衛生面も察すること。
・鎌倉はとにかく山に囲まれている。境内も山。階段や勾配は基本中の基本。気軽に行けるとは思わないこと。寺に向かうまでも坂だし境内も坂。水分補給はマスト.
・そして何より重要なのは、観光地ではなく寺であること。参拝する気持ちがまず大事。写真撮影を含めて見学のマナーが悪化したため境内ごと写真撮影NGになった場所も増えている。

・杉本寺(神奈川県鎌倉市・鎌倉駅)
鎌倉には歴史のある寺がたくさんあるけれど、その中でも突出して古くからあるのが杉本寺である。鶴岡八幡宮を起点として、金沢街道をひたすらに東へと進む。一車線ずつしかなく歩道も非常に狭い道をずっと進んで行くと、道沿いに突如として現れる急階段の寺である。入門から見上げる階段は圧巻。

開館前 ここから長い石段を上る

杉本寺は正式な名前を大蔵山杉本寺といい、天台宗の寺院である。その建立は平安時代初期、天平時代の734年。東大寺の四聖にも数えられる仏教僧の行基が東国の旅をしていた際に開山し、行基と当時の右大臣である藤原房前によって建立された。本尊は行基の他、円仁、源信といった僧が自ら手彫りした三体の十一面観音像である。

山門を上から見下ろす 屋根が素敵

運慶が手がけたと言われる仁王像が鎮座する山門も印象深い。そして山門をくぐると真正面にある苔の階段がなんといっても印象的で、山門越しに本堂へと続く緑の階段はとにかく美しい。階段は丁寧に保存されているため立ち入り禁止になっており、本堂へは側面にある階段から上ることとなる。トイレは洋式。

苔の石段 椿が良いアクセント

・浄妙寺(神奈川県鎌倉市・鎌倉駅)
100を超える寺が存在する鎌倉において特に重要視されたのが鎌倉五山と呼ばれる位で、中国の南宋時代に作られた五山制を参考にして、鎌倉執権の北条氏が臨済宗の寺に置いて格付けを行ったことがきっかけとなっている。浄妙寺は鎌倉五山の第五位として位置付けられている。

本堂までの道も愛でポイント

浄妙寺は正式な名称を稲荷山浄妙広利禅寺といい、臨済宗建長寺派の寺院である。その建立は平安時代末期の1188年。源頼朝・北条政子夫妻の帰依を受けている退耕行勇によって開山、源頼朝の重臣で北条政子の妹の夫でもあった足利義兼によって建立されている。本尊は釈迦如来で、「鎌倉」の由来とも言われる藤原鎌足像も収蔵されているという。

枯山水も風流である

山門をくぐって本堂へと向かう境内は庭園のようになっており、参拝する者を出迎えるかのような感覚。国の史跡にも指定されており、その美しさも愛でるのが良い。また茶室には枯山水の庭園もあり、これもまた厳かな雰囲気を醸し出している。トイレは洋式。奥には石窯ガーデンテラスというレストランもある。

左手に石窯ガーデンテラスがある

・報国寺(神奈川県鎌倉市・鎌倉駅)
報国寺といえば竹林の庭園で知られている鎌倉の寺の中でも特出して観光客に人気のある寺である。鎌倉の中心部からは少し離れたエリアに位置しているものの、それだけに来る人を選ぶというか、混雑しないのがちょうどいい環境。ただし竹林があまりにも有名で海外のメディアでも採り上げられたことから、とにかくインバウンドの観光客が非常に目立つ。日本人と同じくらいの比率である。

なんといっても竹林です 国内外を問わず人気のスポット

報国寺は正式な名称を功臣山報国建忠禅寺といい、臨済宗建長寺派の寺院である。その建立は鎌倉幕府が滅んだあとの1334年。僧の天岸慧広によって開山し、足利尊氏の祖父である足利家時、さらに家時を弔うために上杉重兼によって建立された。本尊は釈迦如来坐像聖観音菩薩立像普賢菩薩坐像の三尊。

なだらかな坂となっている参道

本堂までの拝観は基本的に自由に行うことができ、竹林のある報国寺庭園を見学する時に参拝料を納めるという形になっている。それだけ報国寺=竹林、ということなのかもしれない。竹林の他にも岩壁を穿った洞穴など見どころは多い。竹林は特に春から初夏が良いだろうか。枝葉が影になってかなりの涼しさで、梢を抜ける風のざわめきが心地良い。奥の休耕庵では別料金で抹茶も頂ける。当然ながらこちらも人気の場所なので朝イチとかに訪れるのがおすすめ。トイレは洋式。

お抹茶でございます

・瑞泉寺(神奈川県鎌倉市・鎌倉駅)
鎌倉にある寺院の中でもなかなかのアクセス難を誇る瑞泉寺。名だたる寺の中でも特に山の中腹にあるこちらの寺は、それでも国指定の史跡である境内、国の名勝となっている瑞泉寺庭園があるため注目度が高い。鎌倉駅から歩いて行くのにはかなり遠く、最寄りのバス停からも遠いので直接タクシーなどで訪れる人が多い。

めっちゃ山の上にある瑞泉寺

瑞泉寺は正式な名称を錦屏山瑞泉寺といい、臨済宗円覚寺派の寺院である。その建立は南北朝時代の1327年。朝廷から贈られる国師号を持った高僧でもあり優れた作庭家としても知られている夢窓疎石によって開山し、鎌倉幕府執事の二階堂道蘊と、後に足利基氏によって造られた。本尊は釈迦牟尼仏

せっかくだから左の道を選ぶぜ

参道を登ると二股の道に分かれている。片方は緩やかな階段、もう片方は苔むした勾配のある階段。当然ながら後者を選ぶ。苔が保存されている杉本寺と違いこちらは開放されているので登り放題である。登りきった先にある山門をくぐれば本堂へと続く庭園が広がっている。こちらも手入れが行き届いている。さらに奥、本堂の裏手にある瑞泉寺庭園は、穿たれて仏堂のようにぽっかり空いた岩壁と、眼前に広がる池、点在する橋など、その圧倒的な美しさに息を呑む。折りしも他に参拝者がおらず完全に独占。鳥が囀る長閑な雰囲気の中で庭園とじっくり対峙できるという贅沢。トイレは洋式だが、境内になく入場口にあるので登山前に済ませておかなくてはならない。

圧巻の庭園 絶対おとずれるべき

・永福寺跡(神奈川県鎌倉市・鎌倉駅)
かつて源頼朝が建立したと言われている永福寺。長い歴史の中でその姿は失われ場所がどこだったのかも詳しくわからなくなっていたが、近年になってその場所が特定され、永福寺跡として一般公開されることになった。文献を元に当時を再現するように水を引き込んで池を作り広大な公園として散策できるようになっている。

かつてここに永福寺があったとな

永福寺は源頼朝が鎌倉幕府成立の前夜である源平合戦後、源義経を匿った奥州平泉の藤原泰衡を討伐した際に、その戦いで討ち取った義経や泰衡ら数万の霊を供養するために建立した寺とされている。奥州藤原氏が建てた中尊寺を模した二層の屋根、二階大堂大長寿院を模したもので、「二階堂」と通称されてその地名は現在も残っている。本尊は釈迦如来と考えられているという。

散歩に適しているけど広い

現在は長閑な池が漂い、史跡として本堂の柱跡などがわかるようになっており往時を偲ばせるような場所となっている。面白いのは、この永福寺跡を専門にしたアプリケーションがあるということ。アプリケーションを起動しながらカメラをかざすと、実際の風景に当時の寺の様子が浮かび上がってくる。永福寺専門のアプリケーションというのがすごい。なぜなのか。トイレはなし。

アプリを使って最初の場所を撮るとこんな感じ

・圓應寺(神奈川県鎌倉市・北鎌倉駅)
北鎌倉駅を鎌倉駅へ向かい、横浜鎌倉線のトンネルとなっている巨福呂坂切通からすぐ手前あたりに位置しているのが閻魔寺として知られている圓應寺である。北鎌倉駅から鎌倉駅へと向かうと、建長寺を過ぎてからは目立つ建造物がほとんどなくなってトンネルへと差し掛かるため、割と見逃しがちな寺かもしれない。

石段を上った先にある割と目立たない寺院

圓應寺は正式な名称を新居山圓應寺といい、臨済宗建長寺派の寺院である。その建立は鎌倉時代の1250年。建長寺を開山した蘭渓道隆の弟子である智覚によって開山されたと言われる。当初は鎌倉大仏のそば、見越嶽にあったが、足利尊氏が由比ヶ浜へ移築、江戸時代に起きた大地震後に現在の地へ移ったとされる。本尊は閻魔大王で運慶によるものとされている。

本堂には十王が安置されている

別名を「閻魔堂」「十王堂」よばれ、亡者が冥界において出会う「十王」を祀っている。なお、運慶は死後に閻魔大王へ引き出されたが「本来は地獄行きだが我が像を作り、その像を見た人々が悪行を成さないのであれば娑婆へ戻してやろう」と現世に行き返され、その後に彫刻したとされている。本堂には閻魔大王の他にも十王が並んでおり、その姿は圧巻。自分自身が閻魔大王の裁きを受けているような感覚にも陥る。トイレはなし。

本堂と鐘楼のみ 奥に新たに建屋ができるっぽい

・長寿寺(神奈川県鎌倉市・北鎌倉駅)
北鎌倉駅と鎌倉駅の間くらいに位置する長寿寺は足利尊氏の子である足利基氏が建立したと言われている寺である。境内は長らく非公開とされてきたものの、近年になって一般公開されるようになり、足利尊氏のファンも含めて参拝者が増えてきている。一年中ずっと公開しているわけではなく、公開期間は限定的なもので事前に調べておくことも必要だろうか。

尊氏公のファンはマストで訪れるべき

長寿寺は正式な名称を宝亀山長寿寺といい、臨済宗建長寺派の寺院である。建立時期は明確ではないものの、足利基氏が父の尊氏を祀るために建てられたものである可能性が高いことから、おそらくは室町時代と推測されている。開山は円覚寺や建長寺の住職も勤めた古先印元によるもの。本尊は観音菩薩である。

穏やかに座する

参拝の順路が決められており、まずは和館の中にある本堂を参拝し、そのまま和館の中にある和室で庭を堪能する。和館には白檀の香りが漂っていて清廉さを感じさせる。当たり前だけれど大声で話すことは厳禁、心静かに己と向き合うための参拝を推奨している。白州になっている庭園が見どころで、庭園を見渡すようにして和室には座布団が敷いてあり、庭を眺めるときはこの座布団に座って静かに見る。和館を出てからは庭園を進み、途中には足利尊氏の遺髪を祀った塔もある。寺の裏側へと進む順路で出口は本堂の側背からで入口と異なる。トイレはウォシュレット式。

庭園がとにかく美しいのです

・浄智寺(神奈川県鎌倉市・北鎌倉駅)
北鎌倉駅から鎌倉駅の方面へ横浜鎌倉線に沿って歩いて行くこと10分ほど、踏切が見えてきたあたりで踏切を渡らずに右手方向の道へ入ると木立の中に見えてくるのが浄智寺である。鎌倉五山の第四位という位を持っており、特にここから源氏山公園の方へ抜けるルートもあるため人気も高い。甘露ノ井がある古い石橋のある総門から通した参道の眺めが格別。

石段から眺める総門 来館者も多い

浄智寺は正式な名称を金寶山浄智寺といい、臨済宗円覚寺派の寺院である。建立時期は鎌倉時代の1281年。開山は兀庵普寧大休正念、それと南州宏海とによるもので、鎌倉幕府の執権を務めた北条師時が父である北条宗政のために建てたとされている。本尊は阿弥陀如来釈迦如来弥勒如来の三世仏で、寺の境内が国の史跡として指定されている。

鐘楼門への道も美

参拝はまず二階建てとなっている鐘楼門をくぐり抜け、曇華殿と呼ばれる本堂へと進む順路となっている。本尊に参拝しつつ、そこから裏手へと回って行くと竹林、やがて岩壁を掘り込んでやぐらとした地帯へとたどり着く。このやぐらが至る所に掘られており、周囲の豊かな緑と相まって非常に美しい。やぐらには布袋像や観音像のほか、多くの仏像が安置されている。山の中を歩くような感覚に浸れる寺である。トイレは洋式。

とにかく岩山とそこに掘られたやぐらに囲まれているんです


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