安居渓谷(仁淀ブルー)

5月21日、兵庫高校で同級だった青山君が神戸から訪ねてきたので、仁淀ブルーに誘った。青山君は、中央大学法学部を卒業してから岡山大学医学部に入りなおし、医者になったという勉強家で、話題はきわめて豊富であった。

新緑の安居渓谷には、薫風を受けて、こいのぼりが上流を目指して泳いでいた。

最近雨が少ないが、森が深いからか、滝の水は枯れていなかった。渓谷は深く、ほとんど垂直に切り立っているので、水面には容易に近づけない。

昔をよく知る自伐林業家の坂本昭彦氏に聞くと、「安居渓谷は西の黒尊と双璧をなす高知の美水どころだったんです。しかし、奥山が荒らされて黒尊ともどもかつての面影はなくなりましたね。残念なことです。中世から昭和30年代頃まで安居渓谷沿いは石鎚山への登拝路として賑わっていたようです。その頃までは山も大切に守られていたと思いますが、近年は筒上山、手箱山周辺とも皆伐が進み、土砂流出で谷もかなり埋まってしまいました。私の地元の物部川が典型的ですが、一度ダメージを受けた自然環境が回復するには100年単位の時間がかかります」ということだった。しかし、大都会から来た観光客の目には、原始の自然そのものに見えるのかもしれない。

また、地域の山林労働者である上岡啓介氏に聞くと、「4月以降、安居渓谷流域で皆伐跡地のスギ苗植え付けをしています。ヒノキ20年生4町歩を切捨て間伐しました。また、別の班が架線を張って、皆伐作業をしています。また、別の班は重機での間伐作業をしています」とのことだった。

これが、噂の「仁淀ブルー」である。水面が波立っていなければ、水が空気のように透明で、水中の石が手に取るように見える。

土佐藩の時代から戦後間もなくまであったと言われる安居銅山の跡地である。ここまで車を進める人は、多くはない。

取材に訪れたその日(2007年12月12日)は、うっすらと雪が積もっていた。伝統の安居神楽を継承する人たちは、その多くが外人部隊(高知市など都市部の人たち)であった。さて、あれから10年の歳月が流れたが、今は伝統の安居神楽をだれが担っているのだろうか。

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