見出し画像

2024米国セカイ系大統領選 観戦記#0/セカイ系ネイティブのアメリカ

今年アメリカにいることの最大の意義は「2024年の大統領選挙」を至近距離でみられることだと思う。

かねてから、直接選挙で行われる大統領選挙(米国に限らず)はセカイ系ではないかとぼんやり思っていた。大統領候補者たちは、私が当選したら世界は変わる、敵が当選したら世界は終わる、つまりあなたの投票が世界を変える、と言って国を二分三分する。国民の側も◯◯が当選したら世界が終わる、◯◯が当選したら世界を取り戻せる、だから◯◯に投票しようと熱狂する。
ここでいう世界は広義と狭義の意味両方を行ったり来たりする。

投票日に投票所に赴いて投票用紙に名前を書いて投票箱に投函したら世界と直結(短絡)できる。
こんなにセカイ的なものはない。

アメリカにおける大統領選挙は従来から、世界のなかでもとりわけセカイ感の強い選挙のように思う。というのも単にアメリカは世界で最も強く、最も影響力のある国なので。
アメリカの大統領が誰になるかが、というより誰になろうとも、その後の世界のありように直接影響する。
そしてアメリカは100年以上、世界で最も強く、最も影響力がある。ということはいま現在アメリカに生きている全てのアメリカ国民は、自国の大統領が世界を動かすこと・動かしてしまうことに慣れ親しみきっている。
つまりアメリカでは、セカイ系の発想は「セカイ系的発想」などという想像力によって行われるものではなく「日常系的発想」でリアリティをもって行われる。
別の言い方をするなら、アメリカ人はみなセカイ系ネイティブである。

そこにドナルド・トランプが現れた。トランプが泡沫候補から大統領に選出されるまでの劇的な約10ヶ月間、大統領に就いていた激動の約4年間、連邦議会議事堂の襲撃からの3年間、つまり誰もが政治生命が終焉したと思ったら全くそんなことはなく復活し、各種裁判の度に支持率を伸ばし、他の共和党候補者たちを歯牙にもかけず予備選挙で圧勝し、ふたたび大統領候補者となったこの3年間。
これは他国にとってのセカイが日常、他国にとってのファンタジーがリアルであるアメリカ国民にとっても、セカイ的でファンタジーのような経験だったに違いない。

100年かけて作られた強固な世界のルールをやすやすと砕き、書き換えていく。
ルールというものに対するメタ的な理解、ルールを破壊し書き換えるためのアイディアと演出、そしてそれらを己自身で実行し実現していく。そんな様を日本のオタク的発想で形容するならば、トランプは異世界転生者のごときものだろう。
twitterでのつぶやき一つで世界が鳴動するとは。

トランプはルールを砕き、書き換えたと記した。この「書き換え」がとても重要なことのように思う。書き換えとは、既存のルールを部分的に漸進的に変えていくのではなく、既存のルールをまるごと捨てて全く別のルールに取り替えてしまうことだ。
結果的には長い時間をかけた試行錯誤の末にその「全く別のルール」と同じものになったかもしれなかったとして、それに本来要する時間を省略して短絡してしまう。
あるいはいくら時間をかけてもその「全く別のルール」にはならないルートを進んでいたのに、レバーひとつで線路を切り替えるようにルートを切り替えてその全く別のルールに接続させてしまう。
転生者が前世の知識や特殊な能力を異世界に持ち込んで、それ以前と以後を決定的に変えてしまうように。

ルールが書き換えられて新ルールになった。その新ルールに、いつのまにか素朴に乗ってしまっている者(無自覚)、新ルールの力にいちはやく気付いて積極的に乗る者(新ルールに賛同)、逃れたくても逃れられずやむなく乗っている者(新ルールに反対)の三種類がおり、つまり誰もが結果的に新ルールに乗っている。それは例えば「反トランプ」「親トランプ」「トランプ支持者」という言葉で表される。(「反バイデン」「親バイデン」「バイデン支持者」なんて言葉があろうか?)

いまアメリカでは、大統領選挙を含め政治にまつわる主要な話題全ての中心にトランプがいる。
トランプはこう言った。だから我々はそれに賛成する。
トランプはこう言った。だから我々はそれに反対する。
もちろんトランプ自身も積極的に「我々」と「彼ら」を分断する。
反トランプ者達も結束して積極的に「我々」と「彼ら」を分断する。

バイデンがこう言った。だから我々はこれに賛成・反対する。という姿は珍しい。
バイデンがこう言った。それに対してトランプはこう言った。だから我々はそれ(トランプのリアクション)に賛成・反対する。という形を取る。
こうしてトランプの一挙手一投足に合わせた反応を続けた結果、アメリカの政治的話題の中心には共和党支持者・民主党支持者にかかわらず常にトランプがいるようになった。もちろんそれは、トランプの弛まぬ「努力」によって、アメリカの政治をそのようにデザインし直したからだ。

ゴールデンタイムに全米で中継される米国アカデミー賞。2024年のアカデミー賞では、司会のコメディアン(ジミー・キンメル)が、Truth Socialでのトランプによる自身へのディス”Has there EVER been a WORSE HOST than Jimmy Kimmel at The Oscars.”に続く一連を紹介したうえで、ウィットを交えてディスり返し、会場は大笑い。
アカデミー賞は生放送で、賞の数も多く、その分各賞の前説も受賞スピーチも多く、歌って踊ってのショータイムもあり、スケジュールは非常にタイトである。そんななか、予定外にトランプの投稿に触れてアドリブでイジることは司会進行上リスクでしかない。なのになぜそれが行われたか。
それをすると視聴率が上がり、記事が書かれ、TVやSNSでその模様が動画で繰り返し流れることを、彼がプロのコメディアン、プロの司会者として自覚しており、プロとして仕事をしたからだ。いまトランプに触れればより数字が取れる。なぜなら誰もがトランプのことを気にしているから。
ならばリスクを取る価値がある、と。
なのであれはトランプをアカデミー賞で風刺できる成熟したリベラルなアメリカ、などという素朴な事態では決してない。むしろ権威あるアカデミー賞ですら、トランプをいじる誘惑に勝てなかったわけだ。

ここまでもエビデンスはないが、ここからもエビデンスのない話。
連邦議会議事堂の襲撃の直後、トランプは共和党支持者からの支持を「一時的」に失った。それはなぜ一時的だったのか。

トランプが書き換えた新ルールを「誤り」としてバイデン政権は是正に努めた。
だが一度新ルールを知ってしまった者は、新ルールの快感を忘れることができなかったのではないか。
何をするかわからない男から世界中が目を離すことができない。
トランプのtwitterでの280文字足らずのつぶやき(ときに大文字のみを使ったたった数文字だけのつぶやき)に各国が右往左往する。
それがたまらない経験として思い出されてしまったのではないか。

漫画『バキ』において中国拳法の達人、烈海王は「強さとは?」と問われて「自己(おのれ)の意を貫き通す力、我儘を押し通す力」と答えた。
これに照らせば、トランプは間違いなく世界一強かった。
喉元過ぎれば熱さを忘れる。トランプの欠点は忘れられ、しかし強さの思い出は強く残った。
それに、人の記憶は本当に適当なもので、リアルタイムにはネガティブな感情をもっていたものが容易く上書きされる。トランプは流石にやり過ぎだ、と思っていたのに、あれくらいがちょうどよかった、トランプは立派だった、最初からそう思っていた、となる。

そんな、強さの快感を忘れられない者たちにとって連邦議会議事堂襲撃の記憶が風化したあと(どうもこれはあっという間に風化したようだ)、ふたたびトランプを、つまり強さを渇望することは自然なことのように思われる。

民主党支持者はどうだったか。
トランプは絶対悪だった。史上最悪の敵だった。暴力そのものだった。
そんな敵との戦いに勝利した快感はいかほどのものだろうか。そんな敵と戦うための結託はどれほどの快感だっただろうか。そのとき手に入れたと感じた力の強さはどれほど気持ちのよいものだっただろうか。
敵を倒したらふたたび退屈な、退屈ならまだしも、難しく、細かい問題の山積する日常に戻らなければならない。共通の敵のもと、熱狂的に結託していた仲間はふたたび、非当事者にとってはささいな、当事者にとっては決定的な差異を理由に袂を分かたざるをえなくなる。力は失われる。
でも、悪がふたたび復活しつつあるなら?

トランプは、本来訪れていたはずの素晴らしい世界をバイデンが奪った(盗んだ)という。奪われたその本来の可能性を私なら取り戻せる。私だけが取り戻せるという。
バイデンは、トランプのいう素晴らしい世界こそまやかしで悪夢だという。いまのこの延長線上に素晴らしい世界があるという。確かに難問だらけだが少しずつ世界はよくなっていると。
4年間の成果の延長線上という予測可能な現実か、可能性がひらけているかのようにみえるファンタジーか。
構造的にどちらがセカイ的かは明らかである。そしてアメリカ人はセカイ系ネイティブで、つまりセカイ系に弱い。
ただし絶対悪を設定し、結託しえぬ者たちが結託し、立ち向かうこともまたセカイ的である。
どちらのセカイを望む人数の方が多いかは、シンプルに見ものだ。

いずれにせよ誰もがトランプについて考えている。トランプに導かれたいか、トランプに導かれたくないか。トランプに世界を守ってほしいか。トランプに世界を壊されたくないか。

ゲームプレイヤーとして有利なのはトランプである。
トランプが当選したらそれは当然トランプの勝ちだが、当選しなかったとしても「ふたたび選挙(世界)が盗まれた」「私なら世界を良くできていた」と主張し続けることができる。
つまりトランプは負けのないゲームをデザインした。

ニューハンプシャー州の共和党員にアンケート
「ジョー・バイデンは合法的に大統領に選ばれたと考えますか?」

全米で最も穏健な共和党支持者が多いといわれるニューハンプシャー州の、今年1月のアンケートでこの結果である。
トランプは負けないゲームを3年間かけて地道に構築していった。
この数字を大統領選投票日までキープすればトランプは負けない。
(なおFOX newsのアンケートであることは留意)

さて、日本には幸運なことにアメリカの専門家(プロからアマチュアまで)が山ほどいる。アメリカの政治情勢、選挙情勢について、多少のタイムラグがあるだけで、非常に詳細かつ正確に把握することができる。
なのでアメリカにいても日本のニュースや記事や解説には大いに勉強になるし、アメリカにいようが日本にいようが情報格差はない。
そもそもアメリカのニュースサイトや新聞サイトに行って右クリックして「日本語に翻訳」をクリックすればアメリカ現地のニュースをリアルタイムで得ることができる。

なので僕はそれらの解説やニュース等に親しみつつ、それらとはまったく別に、現地ならではの大統領選の楽しみ方を見つけ、それを時々noteに共有していこうと思っている。

僕はアメリカの大統領選挙に全く関係がない。
選挙結果にはなんらかの影響、平凡な一般的日本人が受ける影響と同じ影響、を受けるかもしれないが、少なくとも選挙そのものには全く関係ないし、関係することができない。
僕個人がトランプ/バイデンを好こうが嫌おうが、それはアメリカにまったく関係がない。
であればせめて楽しむしかないし、楽しむには有利な立ち位置にいると感じる。

多少関連する余談。
アメリカの反トランプも親トランプも、1月23日のニューハンプシャー州の予備選や、「大統領選出馬資格なし」のコロラド州判決を熱心に、ハラハラドキドキと注視していた。
でも、無関係者の冷めた立場から見たら結果はどちらも明らかで、どこにもハラハラドキドキはなかった。

昨年12月時点でトランプが共和党の候補者になることはもう各種世論調査データから明らかだった。
1月15日のアイオワ州予備選後即座にデサンティスが撤退したことでそれは確実になった。
ヘイリーが唯一接戦となる可能性があり、接戦となったらワンチャン大逆転劇を演出できるかもしれないと言われていた1月23日のニューハンプシャー州予備選でヘイリーが普通にあっさり負けたことで決定した。あとは単なる消化試合だった。
ヘイリーは3月5日のスーパーチューズデーまで予備選を戦ったが、ニューハンプシャー州で負けたその日からヘイリーに関する報道は「なぜヘイリーはまだ撤退しないのか?」が主だった。

ヘイリーがかつて知事をやっていたサウスカロライナ州でも可能性が、という日本の記事を複数見かけたが、サウスカロライナでトランプ人気の方が高いことは前年にはもう明らかだった。(結果はトランプ60%、ヘイリー40%)

ヘイリーが自身の支援者/支持者の都合等から予備選挙を降りられないことは明らかだったし、次回の立候補を見据えての演出としたら「トランプに惨敗した人」という記憶の方が結果的に残り、不利を強めただけに感じる。

コロラド州の判決も最高裁に持ち込まれた時点で結果は明らかだった。最高裁判事9人のうち共和党選出判事で6人を固められているので。
そして実際の判決は過半数どころか9人全員一致で、つまり民主党選出の3人も一致してコロラド州判決を覆した。
コロラド州判決はそもそも、憲法のここはこういう風にも解釈できるっちゃできるんで、そうなるとトランプに出馬の資格はないっぽいと言えます、みたいなふんわりしたもので、かつ党派性がとても高いものだった。
加えて、最高裁でも同様の判決を出そうものなら次はトランプ支持者によって合衆国最高裁判所が、なんなら全米の裁判所が襲撃されかねない。民主主義国家の頭領として、ふたたび恥辱を重ねたくない。それは諸関係者が、実は真剣に考え込み考慮してしまったことだろう。その点では、コロラド州の判決が隙だらけで諸関係者は胸を撫で下ろしたのではないだろうか。

これらの件を見ていて、本場アメリカだからこそ、親トランプはトランプ当選に夢をかけるあまり、反トランプはトランプ破滅に夢をかけるあまり、冷静ではないと感じた。そしてその冷静でないところが面白く感じた。

物理的距離は近いものの根本的に無関係、というのは、この大統領選挙を観戦するにはうってつけの立場に思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?