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声の肖像権

ツイッターで先日私のもとにも回ってきた、日俳連が提言する「声の肖像権」というワード。かなりインパクトのある言葉だなぁと思いました。
みなさんのツイッターでの反応を見ていて、なるほどと思ったり、どういうこと?と疑問に思ったりもしましたが。
その中で、私が特に気になったのが「それは声のパブリシティ権というのが正しいのでは?」と言うご意見です。


「肖像権、パブリシティ、違い」

法律関係に疎い私は、すぐに検索しました。「肖像権、パブリシティ、違い」と。

で、こちらのサイトを参考にいたしますと…

正確には裁判所の慎重な判断が必要となりますが、両者の違いをまとめれば、次のように考えておけば差し支えないでしょう。
・肖像権は「人格的利益」を保護している
・パブリシティ権は「財産的利益」を保護している

ベリーベスト法律事務所久留米オフィスより

そこでもう一度日俳連のコメントを見てみると…

新しい技術が私たち実演家の、表現の模倣・盗用を安易に促し、職域を侵害する恐れがあるのではと危惧しております

日俳連オフィシャルウェブサイトより

とあります。確かにこういう点においてもどことなく「財産的利益」を保護」のパブリシティ権に近いのかなぁ?と思ってしまうのですが、いかんせん私は法律分野は疎いので、これ以上の深追いはしません。その道の専門家に任せます。
しかし私としてもAIの発達は、この先どうなっていくのか期待もあり、不安もあることは確かです。

私も声で仕事をさせていただく機会を得るようになり、「この声が利益を生む」という意識を持つよう努め、それを誇りに思っていましたが(お友達価格で安請け合いしない、させないというのもそうです)
もし私の声を学習するAIが生まれ広まり、それと対峙した時に、私はどう思うのでしょう。なんてったってAIは噛まないですし…。
え、それは怖い!!(笑)
とはいえ、どうこの生身の声の表現や価値は守っていけるのか、いや、もはや生身の声はAIに淘汰されてしまうのではないか、と考えてしまうのは正直なところです。

AIと人間、真の違いを考えてみる

芸能の根本に「真似る」ということがあります。コピーとも呼びます。「真似る」は「学ぶ」の語源と同じだとも言われています。ある種の人間AI(謎の表現になりますが)になること、とも受け取られるかもしれませんが、しかし、人間はAIと違うと私が考える点は、AIは決して(いや、そこまで技術が進んでいるのかどうかはわかりませんが)ヒトの心までツブサに捉えることができないだろうということ。「嬉しい」と入力すれば、きっとAIは「間違いなく嬉しい」と認識するはず。でも人間は「嬉しい」と言っても、微妙な間を捉えたりしながら「いや、内心思ってないな」と推察するはずです。「真似る」も同じで、その「間や微妙な抑揚、呼吸はなんなのか?」と考えることが「真似る」の真髄だと考えます。果たしてここまでAIは学習してくるのでしょうか。

そして思い出されるのが猪鹿蝶メルマガ2023年正月配信号です。
ベルベットオフィス社長、およびバーズ代表の義村透氏の記事です。

「鼓動」によって起きる血流は真似できないらしい。これこそが人間が生きている証ということになる。
ナレーションで言えばそれは「呼吸」なのかも知れない。これも”人間らしさ”の象徴。

猪鹿蝶メルマガ1月2日号

追記:2024年新春号においても「AIの未来」に関する内容で配信されております。ご参考に
https://note.com/inoshikacho_note/n/nb5c6239dd2b4

現状では均等に間をとる「AIアナウンサー」はNHKニュースでも採用されていますが、やはり「血液を感じない」という、耳の「不気味の谷現象」が起きていると思うのです。(元フジテレビアナウンサーの露木茂氏も、AIアナウンサーはどうなの?と仰っていました)
俳優、そして声優、そしてナレーターも、この「血液」という感覚が、AIと大きく勝負できるところなのかもしれません。音楽の世界で言うところの「グルーブ」なのかもしれませんが。

しかし、しかし!そういうところに安住していると、科学はあっという間に迫ってくるでしょう。
未来のこの世界が「HAL9000」のような反乱に遭いませんように。

2001: A SPACE ODYSSEY - Trailer Warner Bros. Pictures

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