想い出して、涙が止まらない

 昨日は疲れが出て昼間YouTubeで昭和の歌謡聴きながら昼間から居眠りをしてしまい、ベッドに入ってから逆に眠れなくなってしまった。
 眠れぬままに『教室の独裁者』に書いた事件の事を思い出していた。
 想い出しているうちに益々目が眼が冴えてしまい、あの時あの事件が煩い叔母の耳に入っていたら、叔母が苛烈な責め方をしていたら、母は私を本当に殺しただろうか。
 体育の時間になって教室に私一人になった時、教室を抜け出して交番へ「真犯人を探して濡れ衣を晴らしてください。母が私を殺して自殺すれば3人の妹を誰が育ててくれますか」と訴えていたら……。
 母と私と二人が死ぬよりも自分だけ死んだ方が良い、と覚悟を決めて自殺していたら……。
 叔母が母を責める前に「母を責めれば私がこの子(従妹、まだ生まれて間もない赤子)を殺して自殺する」と叔母を脅迫したら…。
 土蔵に一抱えもあった日本刀を持ちだしてあの女教師を追い回したら…。
 等々、初めは涙を流しながらの思い出だったのに段々過激な空想になって…。夜明け近くまで眠れないままだった。
 10歳の時の事ではあるが、昨日のことのように生々しく思い出されるのはその一年後に、「かっぱらいをした男の子を殺して母親が自殺」という事件が実際に起きたから、それも私の小学校の1年後輩だったからである。
 その子がかっぱらいしたのはすぐ村中の噂になった。
事件は幾日か後に新聞に大きく載った。「名誉あるこの家を継ぐことのできない子だから……」と母親の遺書の一部が新聞に掲載されていた。

 私はなぜ逃れることができたのかについて
 私の家の屋敷続きの畑に桃ノ木は何十本もあった。
 父は何でも思い付いたことはやって見なければ気が済まない人で、「苧麻」(ちょま)というものを畑に作った。作ったはいいが、どこへ売ったらいいのかも分からず。土蔵の軒に積んだまま腐らせた。これは一年だけで済んだが、屋敷続きの畑5反くらいに桃ノ木を植えて、桃は生ったが出荷先を探せないで何年も持て余していた。
 桃に隣り合わせの桑畑に酸漿(ほおずき)がたくさん自生していた。下肥に交じっていた種が広がったものだろう。それを取りに行って桑の陰にいた私に気が付かず、桃を盗んでいる近所の人を見た。
 母に話すと、そのことを誰にも言うなと固く口止めしてから、 
「いやだねー、私の子が盗みをしたら私はその子を殺して、死ななければならない」と、母が言ったのはその時だった。
 女教師が、桃が有り余っている私の家のこと知っていたらこんなバカな因縁はつけなかっただろう。
「知らぬはセンセイばかりなり」というわけである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?