方針の転換

やっと気持ちが落ち着いてきた。

簡潔に言えば、手術をもう少し待つ方向になった。


前の記事でも書いたように、7月下旬までにマンモグラフィを撮ることになっていたので昨日近くのマンモが撮れる病院に行った。
その帰りにセ〇アで買い物をしよう、あの商品どこにあるのかなーなんて思いながらセ〇アに行った。
お店に入って少し経ったとき、「〇〇大学病院 循環器内科」から電話が来たことがスマホに表示された。
何かあったのかな、珍しい、と思いながら出ると、電話の相手は主治医だった。

「先生たちの話し合いの結果、まだ手術を待ってもいいんじゃないかという結論に至りました。」

人目もあるのに、泣いてしまった。比喩なんかじゃなく、本当に。たくさん言いたいことはあるのに涙にしかならなくて。やっと出た言葉は「いつまで待てばいいんですか」
「それはこれから検査して~」 そのセリフは2年前にも聞いたんだわ。

淡々と、「今は悪いところあるけれど、待つほうがメリットがある。今手術をしたところで全部よくなるとは思えない。こども病院の時のデータからあまり変わっていない」ということ。
手術を受ければすべてがよくなるわけではないということは少しずつ理解している。

なぜわたしはこんなに焦っているかというと、私は今大学3年で、自由に使える時間があまり残されていないから。
カリキュラムの関係で、4年の卒論を提出した後もやるべきことがあり、それらが終わってから卒業式まで2週間。もし就職をするなら、卒業式からの時間もない。だから、3年の夏休みか、3年の2月にテストが終わってから4年の前期が始まるまでしか、わたしに2カ月もの間自由に使える時間はない。

そもそも、学生のうちに手術をする方針なのだから、少しくらいわたしの要望を聞いてくれてもいいじゃないか。
3年なら、夏休み~集中講義期間の2ヶ月(3ヶ月)、後期試験が終わってからの2カ月が使えるというのに。なぜ?

5月末からの入院だって、術前検査だと、そのあとの説明でも手術をする前提で話をしていたじゃないか。学業に支障が出ないように担任、ゼミの先生、保健室といろいろなところに話をしていたのに、それをどうしてくれるんだ。
医師は患者を生かすことが最優先だから、デメリットの多い手術をすることは避けたいというのは理解できる。
でも。わたしは人間で、学生で。一人で生きているわけではない。一つの社会の中で生きているのに。このままだと人生設計が全く建てられない。一人の人間の人生をなんだと思っているんだ。どれだけ振り回せば気が済むのか。

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