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不機嫌さを示すことで周りをコントロールしようとしないこと

 年末に実家に姉夫婦が帰ってきたので、私もそれに合わせて実家に帰りました。姉夫婦のところには8歳の姪と5歳の甥がいるので、私の実家での主ミッションは姪っ子甥っ子の遊び相手でした。

 子どもはいつも遊びに全力なので、昼は近くの公園で走り回って遊びまくり、家に帰ってからもわーきゃーしながら遊びまくりました。子どもたちの全力に対応できる体力があるのがありがたいなぁと思いながら子どもたちの遊び相手をしました。子ども二人に乗られてお馬さんごっこをしたのが体力的に一番鍛えられました。

 ところで、甥っ子は姉である姪っ子の真似をしたがります。姪っ子が私におんぶされたら「僕もして!」というし、姪っ子が押し入れに遊びで入ったら「僕もー!」と言って追いかけて入って行きます。とにかくお姉ちゃんがしているのに自分はしていない、という状況が嫌な子です。
 そして女の子と男の子なので二人で遊びたい遊びの種類が違うこともあります。甥っ子はロボットの人形を使って闘う遊びをするのが好きで、姪っ子はごっこ遊び(何かのキャラクターになりきる遊び)が好きです。二人が別々の遊びを要求しても私の身体は一つしかないので、どちらか一方の要求を交互に聞く感じになりました。

 二人が滞在する最終日、姉家族が帰る時間になるまで遊んでいる時、甥っ子が私と遊びたがるので私は彼と人形で闘いごっこをしていました。姪っ子も私と遊びたかったようですが弟に一旦譲り、少し離れたところで絵を描いていました。
 しばらく私が甥っ子と遊んでいたら、姪っ子が絵を描きながらだんだんと不機嫌オーラを出してきました。どうやら自分が構ってもらえないのが嫌だったようです。ついには不満が爆発し、私と甥っ子に罵声を浴びせて拗ねて部屋を出て行ってしまいました。「やっちまったなぁ」と思いつつ、甥っ子と一緒に姪っ子を追いかけて、不貞腐れてipadでYouTubeを見ている姪っ子に謝りましたが、不機嫌全開の姪っ子はなかなか機嫌が良くならず、帰るときまで不機嫌ちゃんのままでした。
 彼女のご機嫌を損ねたまま別れたので、次に会った時には相手してもらえないかもなぁなんて思いました。


 さて、話の方向は全く変わりますが、姪っ子の様子というか仕草を見ていて思ったことがあります。
(なお、以下の話はあくまで一般化した話なので、姪っ子の行動に対してあれこれ言いたいわけではありません)

 姪っ子が不機嫌オーラを出した時、彼女は純粋に不愉快であったのだとも思いますが、私たちが謝りに行っても無視を貫いていた態度に「不機嫌な態度を取ることで相手をコントロールしたい」という欲求が透けて見えました。自分が不機嫌になれば相手(大人である私)が態度を軟化させて、機嫌を取りに来ることを見透かして不機嫌であることを敢えて強調させて態度に出していたように感じました。

 「自分が不快であることを示して相手をコントロールする」というやり方は、赤ちゃんがまさにそういう行動をとります。赤ちゃんは言葉を使えないので、「お腹が空いた」「うんこが漏れて気持ち悪い」「お母さんが傍にいなくて寂しい」など、自分が不快な状況になったら泣いて自分が不快であることを全力で示し、保護者に状況の改善を求めます。赤ちゃんにはそれ以外の方法で状況を改善する方法がないので仕方ありません。
 そして人は成長して言葉が話せるようになっても、最初は赤ちゃんのように自分が不快であることを全力で示すことで周りをコントロールしようとします。今回の姪っ子のように不機嫌オーラを全開にすることで私をコントロールしようとしたように。
 しかし、もっと大きくなって、自分と同年代の子どもたちがいる学校のような場になると、だんだんと不機嫌さを示すことで周りをコントロールすることが難しくなってきます。不機嫌さで周りをコントロールしようとするのは他の子も同じです。すると不機嫌さを示したどちらかしか要求が叶えられず、もう片方の子は要求が満たされません。そうした経験を積むことで、人はだんだんと「周りを自分にとって好ましい状態にするには、ただ自分の不快さを示すだけではダメなんだ」と知ってそれ以外の方法(丁寧にお願いする、自分が不快である理由を説明する、周りに感謝を述べるなど)で自分の要求を通すことを学びます。

 しかし、そうは言っても赤ちゃんの頃に学んだ「自身が不快であることを示すことで周りをコントロールしようとする」というやり方をしてしまう大人もいるよな、とも思います。自分が不機嫌であることを露わにし、相手に「察しろ」という態度で相手に無限の譲歩を要求するような大人です。自分の言葉で要求を伝えたり、改善して欲しい相手の箇所を伝えたりする手間を惜しみ、自身のの不機嫌さを示すだけで相手に要求を通そうとするこの態度は非常に幼稚です。
 ただ、私自身、そういう態度を取ることが全く無いかというと、はなはだ怪しいところです。

 人と人が関わって生活すれば、全ての人が完全に心地よく過ごすのは不可能です。お互いが少しずつ我慢したり不快に耐える必要が出てきます。その中で、お互いに譲歩し合える部分を見つけて妥協点を見出すのが人間社会での生活だと思います。自分にとって不快なことがあればそれを相手に伝えるのは悪いことではありません。相手が譲歩できるならしてもらえばいいし、自分も譲歩できる部分があるならお互いに譲り合う方が良いでしょう。どちらか一方だけが我慢するのは不健全な関係ですので。
 しかし、ついつい自分にとって不快なことが出た時、冷静に相手に自分が不快な状況と理由を伝えるのを怠って、不機嫌さをあえて隠さず見せることで相手の譲歩を引き出そうとしてしまうことがあります。
 相手に不機嫌さをわざと伝える態度というのは、相手に罪悪感を与えます。「俺なんか悪いことしたかな?」という罪悪感です。罪悪感を植え付けられた相手は下手に出ざるを得なくなり、相手の要求を一方的に受け入れることになりがちです。
 しかしこれは一方にだけ我慢を強いるやり方なので、健全な関係を結ぶことはできないでしょう。大人同士の関係なら、やはり言葉を使ってお互いの要求を伝え、譲歩し合って妥協点を見つけるのが大事です。


 姪っ子はまだ8歳なので、自分の要求を冷静に言葉で伝えることを求めるのは酷でしょう。しかしそれとは別に、そうした姪っ子の態度を見て私自身の日頃の態度を改める機会を得られました。
 かつて聞いた「教育ではなく共育きょういく(ともにそだつ)」という言葉を思い出した一日でした。


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 最後まで読んでくださりありがとうございました!