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出家未遂した男のその後⑪

 広島に戻った私はSさんのところで働き始めました。

 Sさんに町内で借りられる家を探していただき、そちらの住居を借りて移住し、Sさんのところで働くことになりました。

 Sさんのところは基本的に月曜日から金曜日までの仕事です。Sさんは木材販売の店舗も持っており、土曜日と日曜日はその店舗の仕事があるからです。
 
 Sさんは地元出身なのでその町で顔が広く、多くの人から仕事の依頼がありました。仕事の内容としては、家や墓にかぶさるほど大きくなってしまった木を伐ってほしいという内容が多かったです。
 田舎は家や墓の裏手が山という状況が多く、人が山に入ることが無くなってしまって木が大きく育つと枝が家や墓にかぶさり、台風などでその枝が折れたりして危険だということで、そういう木の伐採の依頼が多いようです。

 山に作業道をつくる技術を使えないのは残念でしたが、木を伐る技術はヤモリーズで学んだので、Sさんとの作業では主にSさんが重機(バックホー)を使い、私がチェーンソーで伐倒・造材をする、という役割分担で仕事をしていました。

 作業自体は行えていたのですが、別の問題がありました。作業できる日が少ないのです。
 山仕事は屋外の仕事なので雨天や積雪時は作業できません。ヤモリーズの時はそれでも土日に作業日を振り替えたりして対応することもありましたが、Sさんは土日は店舗での仕事があるためそれはできません。
 また、Sさんは仕事と関わりない地域の方からの依頼を行うこともあり、そういう日は晴れであっても仕事がないこともありました。
 私は作業した日の日当払いだったので、作業日が減るのは金銭的にかなりきつかったです。
 津和野町からの引っ越しや公務員から個人事業主に変わったことで発生する社会保険料等の支払いが重なったこともあり、通帳の残高がどんどん減っていきました。
 作業が無い日に林業とは関係ない荷運びのアルバイトなどもしました。
 しかし、月の収支は大体カツカツで、税金の支払いが重なる月はマイナスになりました。私は焦りました。

 移住前はSさんのところで働きつつ、高田さんの技術も学ぼうと思っていたのですが、収支がマイナスになったことで焦った私の頭は、なんとか糊口を凌ぐことでいっぱいになっていきました。
 
 そういう状況をSさんにも話していたところ、ある造園会社さんを紹介されました。広島に移住して1年目が終わるくらいの時期でした。
 そこの造園会社も日当払いではあるが、Sさんのところより単価は高く、雨でも仕事のある場所だったため、そこに手伝いという形で入ることにしました。
 
 林業をするために広島に移ったのに、食うに困って山仕事とは違う仕事をすることになっていました。それでも食っていくことに頭がいっぱいになっていた私は、生きるために仕方がないのだと諦めていました。

 造園会社での仕事は、公共の仕事である幹線道路の草刈りや個人邸のリガーデンなどがありました。
 その造園会社ではコンクリートを使う仕事がよくありました。土中環境で学んだ知識によると、コンクリートで地面を覆うと水が地面に浸透しなくなり、環境に悪い影響を及ぼすということだったので、その仕事を手伝っているときは自然と自分を裏切っているような気持になり精神的に辛くなりました。
 また、造園会社での仕事は山仕事とは勝手が違うので、作業にもたつくことが多く、あまり自分が役に立てている実感が持てずにそのことも私を精神的に追い詰めました。

 貧すれば鈍するとはよく言ったもので、私はどんどんネガティブになり、自分が移住前にやりたいと思っていたことを考えることはできなくなり、ただただ金を稼ぐためだけにどうするかを考えて日々生きているような状況になっていきました。

 そんなある日、友人からある交流会に誘われた私は、どういう気の迷いか参加することにしたのでした。

 続き。


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