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リズムを変える

 野土ぬづちで現在、行動指針を文章にまとめる作業を進めています。その文章を編集する役割を私が任されたので、コアメンバーにインタビューを行い、メンバー各人にとって野土ぬづちがどういう場であるかを聞き取りしています。

 先日もインタビューを行ったのですが、お話を聞く中でインタビューとは関わりない雑談の時に面白い話を伺いました。それは、「人は生まれてからずっと習慣として染みついた『リズム』がある。自分を変えようと思ったらその『リズム』を変えようとしないと変わらない」という話でした。
 この「リズム」というのは、歩く時のリズムや相槌を打つリズムなど日常で行う動作全てに内在するリズムのことだそうです。このリズムは自分が生得的に得ているものというより、環境からの影響が強いそうです。つまり、生まれてから親などの周りの人のとっているリズムに影響を強く受けるそうです。

 私も自分自身を武術や身体ワークなどで観察することで見える動きの癖や身体の癖に気づくことはありましたが、「リズム」という観点でその癖を見たことは無かったため、とても新鮮に思いました。
 また、私は自分自身の心に関心がありますが、その「心」には身体的な心とでも言うべき領域があると感じているため、「自分を変えようとするならまず自分のリズムを変えること」という言葉に不思議な納得感を覚えました。

 余談ながら、個々人が習得するリズムが環境的要因に強く影響を受けるなら、例えば日本人特有のリズムや西洋人特有のリズムやアフリカ人特有のリズムなど、文化によってリズムに傾向性があるのではないか、と妄想が膨らみました。


 さて、そのメンバーのインタビューを終えて帰宅する途中、スーパーに寄って買い物をしました。
 買い物中、ふと「リズムを変える」という話を思い出し、歩くリズムを意図的に変えてみようと思いました。具体的には、いつもより歩くテンポをわずかに遅くすることでリズムを変えてみました。
 すると、不思議なことに、いつもより気持ちが落ち着く感じがありました。

 「歩くテンポを遅くすることでリズムを変える」ということを実践してみると、いつもより歩くという動作に集中する感じがありました。いつもは今までの習慣に任せて歩いていましたが、「少し遅く歩こう」という注意を持つことで必然的に歩く動作に集中することができました。
 今までの習慣(リズム)で歩くのはいわば自動でできるため、歩きながら考え事をしたり、周りに気が散ったりして意識が散漫になりがちです。しかし「少し遅く歩こう」とすることで今までのように自動で歩くことができなくなり、結果として歩く動作に集中して意識が散漫になりにくくなったのだと思います。商品を手に取る時や財布を取り出す動作も、あえてわずかに遅く動くことでいつものリズムを崩すように動作すると、それらの動作のときも意識を散漫にすること無く動くことができました。
 意識が散漫にならず、考え事などに気を取られないため、少し遅く動作することで気持ちがいつもより落ち着く感じがありました。
 遅く動くことで落ち着きを感じたために、逆に普段は「気持ちが浮つくリズムで動いていたのだな」という感じさえしました。非常に面白い体験でした。


 伺った話では、リズムを意識的に変えることを続けて行くことで、無意識のリズムが変わっていくことを目指すような話だったのですが、今現在の意識的に遅く動作することでリズムを変える取り組みだけでも気持ちが落ち着く効果があるので、今のレベルの取り組みでも効果があるものだと思いました。

 身体と意識を用いた面白い遊びを教わったので、しばらく「リズムを変える」という遊びをしてみようと思います。


 本日は以上です。スキやコメントいただけると嬉しいです。
 最後まで読んでくださりありがとうございました!