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皮一枚

 今回の話題は不愉快に思われる方が多いかもしれません。特に女性の方には不愉快だと思われる方が多いかもしれません。そう感じられた方は、そう感じられた段階で読むのを止めていただけたらと思います。


 私は人の外見的美醜について言及する話題があまり好きではないです。そういう話題が会話の中で世間話にでも出てしまうと、私はサッと冷めてしまいます。
(外見的な美しさを向上・維持しようとされている方を侮辱する意図はありません。ただ単に、私が関心を持てない、という話です。)

 私が外見についての話題が出たときにどうしても浮かんでしまうのは「皮一枚の話じゃないか」という感想です。「皮」というのは人間の皮膚のことです。皮。人間の表面にはりついている皮一枚のおかげで、「美しい」とか「綺麗」とか言っているだけじゃないか、と思ってしまうのです。

 皆さんの学校の理科の実験室に人体模型はあったでしょうか?人の身体の模型で、一部筋肉や健が見えていたり、内臓が見えていたり、骨が見えていたりします。
 子どもの頃見た人体模型で、皮膚の下の筋肉が露わになっている個所がありました。それはとてもグロテスクで、気持ち悪く感じました。
 でも、その姿は私と違うものではなく、私の身体の構造と同じものなのだそうです(私は解剖したことがないので、未だに本当にそうなっているのか分かりません)。
 であれば、テレビに映っている綺麗な女優さんやカッコいい俳優さんも、皮膚の下はあんなにグロテスクな筋肉があるんだな、と思いました。もし皮膚の下の筋肉や筋(すじ)の姿でテレビに映っていたら、あまりのおぞましさに恐怖すら覚えるでしょう。そう考えると、皮膚一枚で保たれている「美しい」というものに何とも言えない頼りなさと虚しさを感じてしまいました。

 もちろん皮膚の下が見えている状態で生活している人はほとんどいません。なので、「皮一枚の話じゃないか」と私が言ったところで「それがどうした」ですむ話だと思います。私もそう言われたら、まあその通りだなとも思います。
 
 ただ、生きていていろいろな人に会っていく中で、やはり時々「皮一枚の話だ」と思うことがあります。
 火傷を負ったためケロイドができ、頬がひきつったままの状態になった方。皮膚が弱く、アレルギー反応のため顔に汗疹のようなぶつぶつがいつも出ている女の子。
 その人たちが自分の容姿に酷く劣等感を感じている姿を見ていると「皮膚一枚を剥いだら、この人たちも私も美人やハンサムもみんな同じになるんだけどな」と思ってしまいます。思うだけで決してその人たちに言うことは無いですが。

 そういう思いがあるからか、私が人を「カッコいい」とか「美しい」と思う時、その人の皮膚に依存する部分はあまり気になりません。
 その人の表情、姿勢、人との接し方、物事への取り組み方、そうした「動き」「生きざま」として現れる部分が私がその人に感じる美醜の基準になりやすいようです。
 私が尊敬しているシスターも、そういう意味で「美しい」方でした。

 そう言えば、今所属している環境改善を行うグループの中に農業をされている女性の方がいらっしゃるのですが、その方の手を最近見て「美しい!」と思ってしまいました。
 その方の手は、素手で何年も土を触っているからでしょう、土で黒く汚れ、硬質化していました。草などで切ることもあるのでしょう、ところどころ傷もありました。
 私がその手を美しいと感じたのは、皮膚の上にある手を美しいと感じたのではなく、その手に表れている土に触れ続けた歴史を感じ取って、それを美しいと感じたのだと思います。


 繰り返しますが、外見的な美しさを日々探究し、向上しようと努める人たちを貶める意図はありません。
 ただ、私も長くはない人生の中で、その皮膚の上での美しさを競う世間の価値観の中で苦しんでいる人を少しく拝見したことがあったので、そうした方々の何かの助けになればと思い、愚見を披露いたしました。


 本日は以上です。スキやコメントいただけると嬉しいです。
 最後まで読んでくださりありがとうございました!