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人との接し方と山仕事

 私は相手と関係を築くこと、維持することに長い間困難を覚えていました。今でも若干の困難を覚えていますが、それが最近は少し改善してきているように感じます。
 私が人間関係の構築の仕方が改善してきた理由の一つには、私の日頃行っている仕事が関係しているように思います。


 私は林業従事者です。日頃山に入って木を伐ったり、草を刈ったりしています。
 山での仕事は必ず二人以上の複数人で行います。理由は、一人だと事故に遭った時に助けを呼ぶことができずにそのまま死ぬことになる危険性が高いからです。
 山での仕事は危険が伴います。例えば樹高が20m以上もある木を伐倒ばっとうするとき、当然ながらその木にぶつかれば死亡事故につながります。これは、木を伐る人間も危険ですが、同じ現場で作業している人も危険であるということです。
 単純な話ですが、20m以上の木を伐る時、木が倒れる方向にいると20m離れていても木に激突することになります。20mってけっこう離れているように感じるんですけど、余裕で当たるんですよね。でも、木が倒れる方向の直角方向にいれば20m離れなくても危険はありません。(余談ですが、真後ろは木が倒れたときにはねて後ろにずれることがあるため、危険とされています。真横も木が跳ねたら当たりますので、木のすぐそばは基本的に危険です)

 このように山仕事は常に危険を伴うので自分の身も相手の身も守るように作業する必要があります。そのためにはいわゆる「息を合わせる」ということが大事になってきます。
 「息を合わせる」と言っても抽象的なことではなく、例えば木を伐って倒すときは木が倒れることを周りの人に伝えて退避させる、とか、斜面の下で他の人が作業していたらその真上では作業しない(上で伐った切り株や枝が下に落ちて当たる危険性があるため)、といったような具体的な行動のことを意味します。
 また、一人が木に切り口を付けて、もう一人が木をロープで引っ張って倒すなどの共同作業の時は、お互いのタイミングを合わせる必要もあります。

 話を人間関係に戻しますと、山仕事をする上で必須になる「息を合わせる」という行為が、私の人間関係の構築の拙さの改善になっているように感じるのです。

 私が初めて林業の世界に入った時は、「息を合わせる」ということが全然できずに先輩方にたびたび注意されていました。こういう作業をする時はこういう危険があるから相手のこういう動きに注意しろ、ああいう作業をする時は相手にこれを確認しないと危険だ、そういったことを毎日注意されていました。
 毎日注意されることでだんだんと私も勘所のようなものが分かってきました。要するに「相手が今どういう作業をしていて、次にどういう動きをするか」というのを確認することが大事なのでした。

 「あの人は今、手前の木を伐ろうとしている。そのために邪魔になる左の木を伐るだろう。左の木を伐ったらこちらに倒れてくるから、私は倒れる方向とは逆の場所で別の作業をしよう」このようなことを相手の動きを見たり、直接相手に聞いて確認すること。これが「息を合わせる」の中身なのでした。
 非常に雑に言うと、人との関わり方、接し方も「息を合わせる」と似たものがあると思います。
 相手が何をしようとしていて、何を欲していて、次にどう動こうとしているか。そういう相手の動き(身体の動き、心の動き)を確認して、それに合わせて自分の行動を変える。これが人間関係において大事なことなのだと、私は思っています。

 確認する方法はいくつかありますが、一番単純で効果が高いのは、直接相手に聞くことです。「何をしようとしているか」「何がしたいか」「どうなりたいか」「今どういう気持ちか」「何に困っているか」「今何に関心を寄せているか」相手にそういったことの確認を手間を惜しまずすること。それが、人間関係を円滑にするために必要なことである、というのがだんだんと分かってきました。
 もちろん、毎回一々言葉で確認するのは相手が煩わしいと思うこともありますし、失礼に当たる場合もあるので、全てを言葉で確認するわけでは無いですが、大事なのは「相手はこういう状態だろう」ということを自分の勝手な推量だけで決めつけないことだと思います。確認が取れていない状態で、相手の状態を推量するときは、「私は相手がこういう状態だと推測したけど、もしかしたら違うかもしれない」という留保を自分に設けて動くことが大事だと思います。その留保があれば、自分の推測が間違っていた時に速やかに行動を修正することができるからです。


 今私が述べたようなことは、多くの人にとって意識もせずにできていることだと思います。逆に言えば、私はそんなことにも気付かなかったため、長年人との関りで失敗を繰り返してきたのでしょう。
 私は具体的、物理的な環境で動くことでようやく物事の道理を理解する種類の人間であるようです。山仕事という物理環境での動きを通して、私はようやく人との付き合い方という、それより一段抽象度の高い事柄の基礎を学んでいるところです。
 そうした人として生きる基本的な部分を学ぶことができているという点においても、私にとって山仕事は大事なものだと感じています。



 本日は以上です。スキやコメントいただけると嬉しいです。
 最後まで読んでくださりありがとうございました!