数年家族に挨拶を無視されていた

ジジから殴られた時、本当はその前に何か悪いことをしていなかったか?
小学校の墨汁事件も、無理矢理やらせていたんじゃないか?
先生への暴行事件。あれは本当に殴っていなかったのか?
詐欺と決めつけたテレアポだって、実は真っ当な会社だったのかもしれない。
俺の思い出は、都合よく書き換えられている可能性がある。
全てに過去の映像として残されていない。
1秒前の思い出は、事実ではなく、不確かな記憶の一部でしかないんだ。
自分を加害者だと認めることで、被害者面を作るのももう充分。
人は被害者だと強く思った時、加害者になり得るんだ。

ー兼近大樹/『むき出し』

ぼくのからだをのっとるのなら、てっていてきにしてほしい
ぼくのこころを、すこしでものこさないでほしい。
ぼくをけして、ころして、そして、ぼくをかんぺきに(不明)してほしい。
ぼくのからだのなかで、ぼくでいることが、ときどき、とてもさみしくなる。
ねこのように、しぬときをさとって、きえたい。
ぼくは、ぼくのからだから、かんぺきにきえたい。

ー西加奈子/『夜が明ける』

あなたの心の平穏と健康を、心から願います。
愛、そして祈りを込めて。

ー西加奈子/『夜が明ける』

僕が悪いと思っていた。
そして、実際悪かった。

実家の壁にはいくつか穴が空いており、父が警察に僕を迎えに来たこともある。

泣き叫び、意味不明な論理を展開し続け、常にむしゃくしゃしていた。
情緒不安定だった。

とにかく嫌なやつだった。
客観的に見れば病気だったとおもう。

それを言い訳にするつもりはない。
僕のとった行動の全ては僕の責任に帰結する。

そして、母は2年半、妹は3年半、父は4年半僕の挨拶を無視し続けた。

僕はただいまとおやすみを言い続けたが、それが返ってくることはなかった。

母には実家で言った。
妹にはガストで言った。
父にもガストで言った。

『挨拶をしたら返してほしいです』と。

今まで迷惑をかけた。
大切に思っている。
何かあったら必ず助ける。

そういった事を言った後、なるだけ軽く、真剣に伝えた。

彼らは謝らなった。

それから挨拶は返してくれるようになった。

もう、ガストで何かを食べて美味しいと思うことはないと思う。


この間気が付いた。
長すぎると。

せめて3ヶ月だろう。
こちらは挨拶をしていたのだから、機会はあったはずだ。

それらのトラウマやコンプレックスは意外とちゃんと心に刻まれているみたいだ。

まぁ、そうだろう。

支えてくれた人達と同じ対応はできないと伝えてた。

どうにか面白いストーリーにしなければならない。

父の部屋かつ眠る場所には本棚がある。
母の物だ。

僕は危ないので、移動させたほうがいいと主張した。

母はよくわからない論理を展開して、動かしたがらない。ヒステリック起こす寸前の声色をしていた。

地震のリスク、倒れてきて死ぬリスク、障害が残るリスク、そうなった時介護にエネルギーを注がなければならなくなるリスクを説明しても聞き入れてくれなかった。

中の本だけ移動させることになると思う。
バカみたいだ。
でも、これが最善策なのだ。

今まで生きてきて、一番調子がいい。

ひとり暮らしの小さな部屋に、少し大きめの身体に安心安全を築くことが出来た。

本当によくやってきたと思う。
でも、まだまだだ。これからやらなければないこと向き合わなければならないことがたくさんある。

僕は家族のことも僕のことも肯定している。
でも、もし僕に子供ができたらこんな思いは絶対にさせない。

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