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「死にたい」というオオカミ少年

深夜2時の着信。

まだ起きてたからすぐに気づいたけれども、時間も時間だし、寝ていることにして無視しようかとも一瞬思った。

着信の相手は、数年来の友人。いつも一方的に電話してきては、好き勝手にしゃべって、向こうが満足するまで切らせてくれない。

そんな自分勝手な友人に対して「人類が滅亡しても、この人だけは生き残りそう」と思っていた。実際、本人にもそう言ったことがあるような気もする。今まで出会った誰よりも口が達者で、自分のペースに人を巻き込むのがうまく、したたかでメンタルも強靭で、そして賢かった。一緒に飲んだ夜はドッと疲れるが、それでも時々、無性に話を聞きたくなるような魅力がある。

ここ最近は、相手が起業して仕事が忙しくなって会う機会も減り、話すのはたまにかかってくる電話だけ。だからもしも今、電話に出なかったらまたしばらく話すこともないだろうと思い、仕方なく通話ボタンを押した。




「明日仕事?」

日付を超えて、今は平日の水曜日。開口一番、当たり前の質問をいきなりしてくる。そう、いつも「もしもし」「久しぶり」みたいな電話の枕詞は一切ない。完全にこちらの「当たり前じゃん」という突っ込み待ちであり、初手から自分のペースにもっていくお決まりのやり口だ。


「こっちはね、会社がやばい。倒産するかもしれない。もう自殺するしかないね」

早々にぶっ込まれた、そんな不謹慎な冗談もいつものことだ。それでいて、話をすぐに盛るクセがある。「明日あたりに本当に死んじゃったら、めちゃめちゃ責任感じるからやめて」と私は呆れながら少し笑って返した。

「仕事が大変すぎてやつれちゃってさ、10kg太ったよ」「それでさ、もう首吊って死のうかと思ったけど、『これ、体重に耐えられなくて紐が切れるだけで終わるな』って気づいた」

久しぶりに聞く、ダークな冗談が止まらない。この手の冗談で笑いたくはないが、それでも、勢いでこちらを笑わせるほど、相変わらず話がうまい。

そういえば、少し前にZOZOスーツの話をしてたときに「痩せたら試したい」と私が言ったら、「そのころにはもう、ZOZOはないね」と嫌味な冗談を言われたのを思い出した。

だから私も当時のまねをして、「首吊って自殺できるころにはもう、寿命を超えるね」と返した。

他の人には絶対に言わないような冗談も、気兼ねなく言いあえる存在だと思ってた。





そう、思っていた。電話口の異変に気がつくまで、時間がかかった。

「ここ何年も、仕事に全振りしてたのに、それでもうまくいかなかった」

どうやら泣いてるようだった。

「もう本当に死ぬしかない」


私はそのとき「ああ、オオカミ少年のようなシチュエーションって本当にあるんだ」と思った。

人類の危機に陥っても、その人だけは要領よく飄々と、最後の最後まで生き残ると思っていたけれども、決してそうではなかった。

明日も明後日も、おそらく世界は終わらないはずなのに、もしかしたら本当の本当に、この人の方が先にいなくなっちゃうかもしれない。





そこから嫌な沈黙が続いた。

私はスマホに耳を当てながら、数カ月前にあった自分の出来事を思い出していた。

飲み会の場で「死にたいと思ったこと、なさそうですよね」と、ほとんど初対面の人から言われたこと。

「恵まれている」というニュアンスで悪意はないのかもしれないが、それはどうにもならない居心地の悪さがあった。

たしかに、私は恵まれた環境でぬくぬくと育って、決して不幸ではないのかもしれない。だけど、じゃあ、私がこれまで経験した悲しかったことやしんどかった思い出って、どこにいっちゃうんだろうーー…。なんだか「そんなのたいしたことじゃない」と決めつけられているような気がして、何とも言いがたい不快感が拭えなかった。


「この人はこういう人だ」という印象がはっきりしているほど、その認識に惑わされる。

もしかして、私も同じように「この人なら大丈夫」という勝手なレッテルを貼って接していたのではないか。だって私も「この人は死にたいと思ったことなんて、あるはずがない」と思っていたのだから。


想定外の状況に、何を言ったらいいのかまるでわからなかった。




「……最期に何が食べたい?」

長い沈黙を破り、私がようやくひねり出せた言葉は、最期の晩餐についての質問だった。

「よくごはん食べるとき、『鍋しよう』って言ってこない? 鍋、好きだよね。私、鍋セット贈るよ! とびっきり豪華なやつ。だから、最期の晩餐に食べてよ」


そうして私は電話を切ったあと、楽天市場で「鍋 ギフト」を調べ、高評価で豪勢に見えるカニ鍋のセットを注文した。

ギフトセットで「熨斗付き」にもできたから、マナーも何もよくわかってないけれど、なんとなくの勢いで「あるに越したことないよね」と熨斗も付けといた。



自殺をほのめかす人に対し、なぜか熨斗付きの鍋セットを贈る程度には、こちらも気が動転していた。
だけど、死なないで、なんて簡単に言えない。
生きたい、と思えるほどの何かを私が提供できるはずもない。
話を聞いてあげたからと言って、何にもならないだろう。

でもここで、「いつも話を盛ってくるし、大丈夫だろう」とそのまま何もしないで終わらせるのは、オオカミ少年の結末のごとく、後悔してしまうかもしれないと思った。







それから数カ月経って、また深夜に電話があった。

「もらった鍋セット、一緒に食べようと思ってずっと冷凍庫に入れてあるんだけど、セットの中に入ってた麺はカビた気がする」という半ば文句に近い報告だった。


オオカミ少年は、今までの話を盛るスタイルにまた戻っていた。
結局、あのとき苦しんでいた状況から脱却できたのかは、わからない。
気にはなっていたけれども、わざわざ聞くべきではないような気がした。


「冷凍しても麺がカビるほど、それだけの時間を生きてたね」とは言わなかったけど、生まれて初めてカビが生えることにほっとした。


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