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君たちはどう生きるか

こんにちはNARUです。

つい最近、日本でジブリの新作「君たちはどう生きるか」が公開されてましたね。
広告を一切出さない、謎に包まれた作品だと話題になっていました。

はじめ、タイトルと新作映画が公開されるという情報だけが出回った頃、僕は以前に読んだとある本を思い出しました。

タイトルはこのジブリ作品と同じ「君たちはどう生きるか」

この本は自分が新卒で入社するときに、母から渡された本でもあります。

この記事では映画「君たちはどう生きるか」のネタバレは一切ありません。書籍と映画の内容はリンクしていないと友人から聞きました。

書籍の内容に関しては僕の覚えている範囲で少し記載しています。

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書籍については事細かには覚えていないのですが、コペルくんという少年が叔父さんとの対話を通して、自らがこの世の中を構成する分子のようなものだと認識したり、現代を生きるものとして過去から受け継いだものを自分の経験・フィルターを通して咀嚼、昇華させることでしか立派な人間になることはできないだとか(立派な人間の定義はいろいろですが)、人間は唯一自分が過ちを犯したと認識できる。認識できるのはなぜかというと、行動を起こして立ち直ることができるからだとか、そんなことを学んでいく内容だったと思います。

覚えているのはこれくらいですが、すごく読み易くてこれから新社会人になろうとしていた当時の自分にとってはグッとくる本でした。

この僕が覚えていた要点

・自分がこの世を構成する分子のようなもの
・過去から受け継いだものを自分の経験を通して咀嚼・昇華する
・人間だけが過ちを認識して、立ち直ることができる

これが今になってものすごく腑に落ちていて。

今年2023年の年越しはカズベギというロシアとの国境にある小さな村のコテージで過ごしました。

その日は携帯を一切見ずに、3~5000m級の山々をぼーっと見ながら過ごしたのですがまさに自分が地球とか、宇宙レベルでは米粒以下、僕らが普段何気なく使っている塩の一粒よりももっともっと小さい存在なのだとすごく感じたんですよね。

だから別に何したっていいし、何もしなくたっていいし、明日ポックリ死んじゃったとしても、周りの人は悲しんでくれるかもしれませんが、世界の何かが大きく変わるわけではないし、じゃあ自分が一番幸せだと思う瞬間をいかに増やすかだなぁ、本能的にまだ死にたくはないので、残りの人生を幸せだったと言って終われればそれでいいじゃない?って。

人間にとって一番大事というかそのものである「人生」というものが、全体を俯瞰してみるととてもちっぽけだったり、全てが無意味なんじゃないかと想起するそのギャップが面白かったり、それが逆に「何だってできる」ってエネルギーになったりするのも不思議です。

僕は幸いエネルギーに変わったタイプですが、諸行無常に絶望してネガティブになってしまう人もいるのも分かります。

実はカズベギでこんなことを考えてから、自分にとっての幸せって何なのかを紙に書いたり、友人を壁打ちをしたりしながらじっくり考えて、それに向かう行動を考えた結果、今寿司ケータリングをしているんです。

料理をすることは苦でも何でもないし、気づいたらいろんなレシピを見漁っていたり、ちょっとした工夫をしたりすることが楽しくて、かつその場で食べた人に喜んでもらえるというのは幸せ以外の何でもないよなと、今更気づいたわけです。

気づく前から料理なんてずっとしてきてたのに、不思議ですよね。

僕の場合はビビリなので、直感を信じきれなかったり色々遠回りしながら考え過ぎて生きてきた結果、じっくり時間をかけて自分を掘り下げたり、誰かがきっかけをくれたりしないと気づくのに時間がかかるんだと思いました。

そういう人のためにコーチングって存在してるのかなとか、そんなことも今思いました。

時間がかかるとはいっても、年齢とか世代だとかは、長い目で見たら大した問題ではないので、気づいた時にやるかやらないかということを僕基準では大切にしています。

深夜テンションで人生 31年目にして起こった原体験を棚卸ししてみたのでした。ではまた🙌

【今日の一曲】
たまたま今聞いている、ジブリの作曲をしていたと思われがちですが実は違う今は亡きこの方の名曲を



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