見出し画像

バラナシ見聞体験録(インド旅⑨)

インド一人旅での最初の訪問都市デリーを夜行で発って到着したヒンドゥー教の聖地バラナシでの2003年当時の見聞と体験について紹介します。


ベンガリートラ

ガンガー沿いの路地裏商店街であるベンガリートラの商店街も随分と慣れた。何度も顔を合わすようになると、その八歳の土産屋の男の子は溢れんばかりの微笑みを見せてくれるようになった。このシヴァ神のシンボルのオームのシームを指さして値段を尋ねると1ルピーのものを3ルピーだという。
可愛さに免じて言い値で買うことにしたが、ここではこんな小さな子までツーリストプライスが自然に出てくる商売人である。

ベンガリートラの小さな商売人

もう一つ気になるのはステファンがCAHNDAをうまく抜け出したかどうかだ。朝食後に写真を撮って別れたが、また通りで会うことがあれば聞いてみたいものだ。
 
路地幅約1.5メートル、1メートル毎に牛のフン。牛、犬、人、バイクが入り乱れ、道の両側にはシルク屋、チャイ屋、雑貨屋、ネットカフェ、レストランが軒を連ねる。これがベンガリートラである。旅人がバラナシで生活するためのすべてが揃う。旅人はここを一体何往復することになるだろうか。

それにしても前の人が何かをよけた瞬間にそれが牛だと知って驚いたのは私だけではないはず。牛のフンは誰かが掃除するのかと思えば、それは店の前にフンをされた店主だったりする。

インドのどこが面白いの?

昨夜はすごく冷えた。寒くて何度も目が覚めてしまい、気づけば風を引いている。熱まで出てきたようだ。異文化に入り込んで約一週間。少し疲れが出てきたか、とうとう下痢になってしまった。朝は無理せず10時ごろまで寝て、重たい体を起こして部屋の明かりをつけた、、、が、このインドの安宿は朝10時から暗くなるまでは電灯はつかないのだった。

仕方なくテラスに出た。後から聞いた話では、今朝の朝日、ガンガー向こうの森から昇る朝日は最高だったそうだ。Vishnuで知り合った京都の芸人Mさん(当時32歳)は言っていた。彼は半分仕事で来ているようなもので、極端に言うと笑いのネタを探しにインドに派遣されていた。私にみたいにインドに来て異文化に触れて感動するだけではなく、ネタ探しの使命を帯びているわけで、それを遂行する上での心構えのような話も聞かせてもらった。
 
「インドのどこが面白いの?」現役の芸人さんに聞かれると答えに窮してしまう。ガンガーの沐浴、火葬場、リキシャ、物乞いにしても表面を見ただけでは異文化に触れたというだけで誰かに話してもふうんで終わってしまう。面白さはとても伝えることができない。
 
ところが、ガンガーの沐浴をもっとじっくり見ていれば、彼らが水に入る前にお祈り、合掌して360度回転しながら頭をバシャバシャ浸したり、一方ではそんな儀式は要らぬと競泳のスタートのごとく飛び込んだりと独自のスタイルが垣間見えてくる。

そして、そんな様子を見ているだけで、我々旅人には、ボートに乗らないか、ハッパはどうかとどんどん周囲から声が掛かる。
一つ油断したのは、ろうそくの女の子だ。ろうそくの周りを花で囲み、これを葉で作った皿に載せた“灯篭流し”のようなものをついつい受け取ってしまった。「お父さんとお母さんの名前を言って水に浮かべて」と言われたのでそうすると、すかさず「おじいさんとおばあさんも」と言われ2つ目の“灯篭”も浮かべると「You pay money」と言われたので2ルピーを支払ったが、「No, Ten」ときたのでそうかそうかともう10ルピーを渡す。その後、その女の子はボートに乗って河へ出ていったのだが、また戻ってきて「やっぱり30ルピー」などと可愛らしく言った。なるほど、これがツーリストプライスだなと。Mさんと話していると、こんな感じの脱線具合が良いのだそうだ。

バラナシの朝

vishnuゲストハウスのテラスからは朝日が昇るのをゆっくりと、座りながら眺めることが出来る。今朝は6時過ぎに起きたが太陽はもう顔を出してしまっていた。森の上に霧が出ており、感動的な光景というほどでもなかった。また明日に期待しよう。早起きしてガンガーに昇る太陽を見ながらチャイを飲む。バラナシの醍醐味だろう。

インド人の朝は早い。まだ暗いうちからガンガー沿いにはルンギと呼ばれる腰布をまとったボート漕ぎがサンライズクルージングを提供しようと客探しに奔走し、子供たちは早くもクリケットやカイトを始める。目を引くのはガンガーでの洗濯だ。vishnu前の川岸(正確には川の中)には洗濯用のたたき台(石)が2メートル間隔ぐらいで並び、6時半には10人くらいの男たちが各々の洗濯物をガンガーでゆすぎ、たたき台に打ち付けて洗濯や脱水を行う。これだけの人数が両手で洗濯物を捻って棒状にし、自慢のスナップを利かせて豪快に打ち付けるものだからすごい音である。川辺では女性たちがバケツに洗剤を入れてゴシゴシ洗う。それを子供が男達のところに持っていき、また脱水が終わった洗濯物を受け取って干していく。Mさん曰く、洗濯物をたたきつけている男達は実は職人なのだそうだ。

ガンガーの向こうに昇る朝日を眺めながらチャイを飲む

町を徘徊する牛の生態を探る

ベンガリートラで買い物を楽しむには牛のフンを注意深く避けることが必要だ。狭い路地に大きな牛はそれだけで存在感があるが、今回、ヒンドゥー教において神の遣いと崇められている牛にフォーカスしてみることにした。

話の発端はこうだ。ベンガリートラの至る所に徘徊する牛は野良牛なのか、彼らの習性やいかに、なぜあの狭苦しい路地をうろつくのか、人間の境界線を越えて家やゲストハウスに入ってきたりしないのか、などなど、Mさんとネタだしをしていたのだが、折角旅先で時間もあるのだから、どうでも良いことをゆっくり眺めてみようというのである。

ベンガリートラで牛を尾行する

 
さて、朝8時過ぎ。土曜の朝を迎えたベンガリートラ(路地商店街)はチャイを売る喫茶店が営業しているくらいで、店先では大人も子供もこれを囲むようにし、朝食でも食べている様子であった。ツーリスト向けの店が多いこの通りでもこの時間は庶民の生活を感じることができた。
 
ベンガリートラで牛を見張るツーリストも珍しいだろうなとも思いつつ、先ずはこの通りを当てもなく北へ向かって歩いている牛についていくことにした。通りの両サイドは当然お店があるが、店の前で居座られるのは御免と店主達は一様に牛を追い払っていた。牛の歩く速さは毎分5~6メートルであり、ごみの溜まり場などがあると5~10分はその場を離れない。当然、これを観察している私を観察しているインド人からいつものように声が掛かる。「ハッパ、ハシシは要らないか?」「要らない」「ここで何しているのだ?」「ただ牛を見ているだけだよ」これでインド人が納得して去ってくれる、そんな国ではない。
「そんなはずはない、お前は挙動が少し変だ。やっぱりハッパを買いたいんじゃないのか?」などと言って全然離れようとしない。牛を観察するのも大変である。
 
私がこの牛はどこへ行くのかと聞くと、「牛?その辺をぶらぶらするだけさ」と男。
「目的は?」と問うと、「食うためだよ、当たり前じゃないか」と。そうなのだ。これが一つ判明した事実。ここらの牛は野良牛ではない。どこかに彼らの家が(家畜小屋)があり、そこで乳を搾り取られている。ところが彼らの主人にはそのミルクで得た収入で牛たちに食糧を与えてやる余裕がないそうなのだ。ミルクはココで出せ。飯は外で見つけてこい、の世界とのこと。全酪農家に当て嵌まることでもないそうだが、ハッパ売りの男、ゲストハウスやお店の主人、チャイ屋で一緒にチャイを飲んだ男、などなど、牛の尾行中に私に絡んできてくれた男たちは皆同じことを言っていたので大方間違いはないのであろう。
通りを外れゴミの山でもくもくと餌を食べる牛はビニールの結び目も歯で噛んで首を振って中身をそこら中にぶちまけて食べていく。この時ばかりは平然と牛の脇をすり抜けた通行人もその足を止めねばならなかった。牛達はこのベンガリートラで、のんびり歩いて、邪魔だと叩かれ、フンをして、食べて、また歩くということを繰り返している。
 
酔狂にも牛を尾行して3時間。意味づけは難しいが、神の遣いとされる牛の生態の一端をリアルに知ることでき、インドの何が面白いの?というMさんの問いに対して何とか切り返せるくらいの元ネタは掴むことができた。

(続)神聖なる火葬

前回途中退去を余儀なくされた火葬の様子にも改めてじっくり目を向けた。

バラナシの火葬場は先述のとおりマニカルニカーガートが有名だが、他にもある。100~200m上流の川岸での火葬ではしつこい薪代の請求もなく、2時間、3時間とその様子を眺めることができた。
 
死者は「ナーム ナーム サテー」の呪文を唱える4人の男達が担ぐ(竹製の)担架に布にくるまれた格好で載せられ火葬場にやってくる。その後ガンガーに一度浸され、死者の全身に比べて小さく組まれた薪の上に寝かされる。豪華な飾り物と一緒に寝かされて多くの家族や縁者に囲まれる者もいれば、ただ一人で赤い布にくるまれて載置される者もあった。

白い布を纏った司祭が火を持ち、家族や縁者が囲む薪の周りを回り始め、司祭に続き家族、縁者その子供が薪の下に火を入れて点火となる。炎は死者の尻のあたりを中心に勢いを強め、あたりは白煙で包まれる。強い異臭がするかというとそうでもない。

尻に火を当てて1時間。やはり司祭が足首を棒で両側から押し上げてこれを頭の方に向かってくの字に折り返す。この時、炎の中心は首くらいに移り、上半身が中心に焼かれるようになる。後は炎の中心に向かって体をどんどん折り曲げて、死者の塊はどんどん小さくなっていく。

人間が焼かれて土に還っていく。これを小さな子を含め家族や縁者が傍で見ているところは明らかに日本と異なっている。死をより身近で生々しい形で感じて受け入れることは、そのコントラストにおいて生きること生きていることの重みをより感じるに違いない。夕方まで火葬を眺めていてそのように考えた。

インドの下痢にはインドの薬

インドの洗礼とはいえ旅先での下痢はつらい。
持参した正露丸も効かず、ベンガリートラでの楽しい食事もゲストハウスに戻れば綺麗とはいえないトイレで苦しまねばならないと思うと気重に感じるのだった。

そんな折、ベンガリートラで仲良くなった雑貨屋(薬も売っていた)のおじさんの薦めで「ELECTRAL」というインドの粉薬を試す。丁度粉末のスポーツドリンクのように1リットルのミネラルウォーターにこれを溶かして服用する必要がある、飲み手には優しくないタイプの薬だ。ただ、効果はテキメンで、あれだけ治らなかった下痢が治ってしまった。

郷においては郷に従えとあるが、インドではインドの薬が効くようである。

現地で出会ったバックパッカーたち

バラナシのガンガー沿いの安宿には2003年当時多くのバックパッカーがいた。安宿では毎日のようにゲストが入れ替わり、訪れた町やそこで出会った人、店、料理、珍事、その他旅のノウハウの情報交換が行われる。欧米人や韓国人も多いが、ここバラナシの安宿街では特に日本人が多いと感じた。

ここでは、先述の芸人Mさんの他、違う世界の住人である恭子、同じく違う世界の住人ヨコボリ君などの若手と、朝はテラスで、夜は日本料理を出す「しゃん亭」でMさんからの課題「インドの何が面白いのか」や、違う世界の住人の方々のそれこそ驚くべき生態などについて時を忘れて語りあった。

ガンガー沐浴の現地事情

ガンガーといえば「沐浴」が有名だが、生と死のカオスを全て受け止めるこの河の水質汚染と衛生状態の酷さも同時に有名である(2003年当時でも)。

実際、ほとんどのツーリストは沐浴は鑑賞するもの体験せずにバラナシを後にする。沐浴した友人の足が膿んだという話から各種細菌による感染病の話までネガティブ情報の入手は容易く、vishnuゲストハウスでは「沐浴は死に直締」するから禁止とご丁寧に日本語でも張り紙がされていた。「直締」は「直結」の誤字とみられるが、大袈裟に取れる内容にも緊急感が添えられたようで妙なヤバさだけは伝わってくる。

バラナシで出会った日本人ツーリストにも沐浴をしたか/したいかと問うとほとんどが首を横に振った。旅先で赤痢など細菌感染のリスクを冒したくないというもので、それは確かに正論であり、当然に体験をと考えていた私も現地での意外なまでのやめとけムードを受けて少々悩むこととなった。

ただ、ここまで来て沐浴せずに帰った場合のリスク(何のネタも残せない)もあると考えた。今日も大勢のインド人達は罪を洗い流し功徳を積むべく沐浴しているのだ。ちょっと体調を崩すくらいなら、それはそれで語り草にもなる。ここは自己判断で沐浴すべきと考えた。

Mさんに話すと、Mさんもやりたいという話になり、明朝、太陽が昇る時間に決行となった。

ガンガー対岸からガートを望む
ガンガー対岸から撮影

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?