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生と死の混沌の中で(インド旅⑧)


神聖なる火葬

黄金の布で覆われた竹製の担架が数人の男達に運ばれてガートにやってくる.火葬の始まりである.ここマニカルニカーガートはインドの火葬場として最も有名である.今日も多くの人がすり鉢状になったガートに続く川岸を囲み,そこで行われる神聖なる死の儀式を見守っていた.辺りには煙が立ちこめ厳粛な雰囲気である.『歩き方』によれば,ここはインド世界の底であり,インド人にとって最もデリケートな部分である.死者にカメラを向けることなど許されない.第一,ここにいるというだけで声を掛けられ,他へ行くようにとすごまれてしまう.中には高額の薪代を請求するインド人もいるとのこと.そんなわけで,私とステファンは焼き場から20mほど距離をとった場所から影に隠れてこれを見る他なかった.

死者を乗せた担架は男達によって一度ガンガーに浸される.そして,改めて川岸の砂場に事前に組まれた薪の上に担架ごと載せられる.死者に被せられた布は黄金の場合もあれば白や赤の場合があり,他の装飾品や周りを囲む親族の数から,明らかに身分や地位の違いによるものと判断できた.
白装束に身を包んだ火葬の司祭が家族と共に薪に火を付ける.立ち会う家族は10名弱だろうか,皆黒い服を着ている.炎はまず死者の腰に当てられる.20分から30分,弱い炎が次第に死者の中央部を焼き尽くすと,司祭たちは鉄の棒を取り出して死者をくの字に折り曲げていく。何やら白い粉を薪にかけると炎は勢いを増した.やがて炎は全身を包みこむ。死者はこんなやり方で焼かれていくのだった.

火葬の一部始終を見るには2~3時間を要する.マニカルニカーガートで外国人ツーリストが最後まで火葬を見続けるのは難しいだろう.私達は1時間もしないうちにインド人数名に見つかり,他へ行くように追い払われてしまった.無視すれば良いとも思えるが,そんなことはもはやできないということがここへ来てみればすぐに理解できる.

生と死のカオス.生ある者も死した者もこの聖地においてはその区別なくガンガーに身を浸す.バラナシは古くからインド文化のひとつの中心地だったそうだが,12世紀にイスラームの支配に入った.だが,その後1738年にヒンドゥの支配に戻ってからは巡礼地としての賑わいを取り戻したのだという.


商店街の賑わい

ここバラナシは,インドシルクの産地でもある.バナーラスシルク(バラナシは英語でバナーラスという)という呼び名があるくらいなのだ.結婚前の娘にサリーを買ってやろうと,多くの親たちが遠方からやってくるらしい.そんな背景もあり,ガート沿いの路地から大通りへ出れば多くのサリー屋がひしめいている.赤や黄色に鮮やかな水色・・・.サリーを作るための生地の種類は無数にあり,価格にも大きな幅がある.色とりどりのサリーをまとった女性達もここでは多く見かける.少し浅黒い肌に鮮やかな水色のサリーのコントラストには何ともいえないエスニックな魅力が感じられ,目を惹きつけるものがあった。

本日はバラナシ一日目ということで,ステファンと一日中ガートや路地商店街,大通り商店街を見て歩いた.なんと興味深い町なのだろうか,すれ違う牛達やしつこく声をかけてくるハッパ(大麻)売りの少年,見るからに不衛生な食堂・・・,どれもこれも新鮮である.ステファンと共にインド旅行者御用達のチキンビルヤーニーを食し,午後9時にchanda guest houseに戻った.

路地は徘徊する牛たちをよけながら歩いていく

戻るなり宿のマスターに声を掛けられた.このマスターはやたらと私達の予定を聞きだし,ボートに乗せるだとか言って商売っ気が強い.私もステファンもそのことには辟易していた.

この夜,水を買い忘れた私に,ステファンはご自慢の簡易浄水装置を披露してくれた.インドでは当然ながら水を飲むことはできない.うがいをするにしても水のボトルを町で購入しておく必要があるのだ.

なんとインド旅行のためにカナダから簡易浄水装置(ポンプで圧力をかけて浄化膜で汚水をろ過する仕組み)を持参したステファンは,まかせておきなさいといった表情でお世辞にも綺麗とはいえないトイレのバケツにトイレで水を汲み, ポンプをシュポシュポやって水を浄化?し,ペットボトルに注いでくれた.「これで大丈夫だ」と得意気にこれを飲んでみせるステファンだったが,どうにも頼りない浄化膜を見るとそう単純な話には思えなかった。しかし,こんな彼の善意に応えないのは粋ではないというもの。これをグッと飲んで「ナイスだ」と笑顔で応える。ステファンと愉快な夜を過ごすことができた。


理想のゲストハウスに出会う

本日朝一の課題,それはこのchanda guesthouseを抜け出すこと.もともと私はバラナシに来たらガンガーを眺められるようなリバーサイドのゲストハウスに落ち着きたいという希望があった.ステファンにしても,彼はここに2週間いる予定のようだが,ベンガリートラ(bengari tora)というガンガー沿いの路地裏商店街の近くに本拠地を構えたいのだという. 「今日はこれからどうするんだ?ガンガーをゆくボートに乗らないか?シルクの店はどうだ??」と屋上での朝食時にもマスターには隙がない.ステファンと私は気のない素振りで話を続けた. リュックを背負いフル装備(都市間を移動する時の装い)でロビーに出ると,マスターを含め3人のインド人に質問攻めにあった.

「(たった一泊で出て行くのは)どうしてだ??何か問題があるのか??」
「バラナシにはまだいるんだろ??」

すごい勢いだったが,

「久美子ハウス(ここでは日本人には大変有名なゲストハウスである)で友達が待ってるんだ,そこでルームシェアしたいんだ」

などとかわす私.すると,今度は

「それなら,その友達を連れて来てこっちでシェアすれば良いじゃないか!?」

などと切り返されるありさま.朝から疲れるゲストハウスである.

なんとかこれを振り切った私は,chanda を後にした.ステファンとは朝食以来会っていないが,彼もうまく抜け出せることを祈るばかりであった.

ガンガー沿いのゲストハウスは慣れないと意外に探しづらい.ガンガー沿いを歩けばすぐに入れるのではと思えるのだが,実は雨期にはこの河の水は相当に(約10メートル程)上昇するらしく,河岸からは細い階段を登らないとゲストハウスにアプローチすることができない.反対にベンガリートラ側から探すこともできるが,今度は細い路地が入り組んでおり簡単ではない.そんなことを考えながら河と反対側を見上げながら河岸を歩くと,日本語で「久美子ハウス」と書かれた壁(モルタル作りか石なのか・・・)を見つけることができた.そして,それから少し南に行くと,壁の上から外国人ツーリストがこちら(ガンガー側)を覗き込んでいる場所を発見した.

vishnu guesthouseはシングル120ルピー,ドミトリー70ルピーで宿泊でき,これぞイメージ通りのリバーサイドゲストハウスだった.ガンガーを眺められる窓こそなかったものの,部屋を出ればガンガーを一望できるオープンテラスが広がる.そこは簡単なカフェでもあり,注文をすれば飲み物から軽食までが運ばれてくる.今日もサングラスをした数人の外国人ツーリストがテラスのカウンター越しにガンガーを見てリゾートな朝を楽しんでいた.欧米人が多いかと思いきや,実際は日本人や韓国人が半数を占めていた.

インドでのバックパッカーは当然だが宿泊は低料金のドミトリー,もしくはシングルルームを選択する.vishnuのシングルでは6畳ほどの部屋に真ん中には木製シングルベッドが二つ置かれていた.シーツや枕は上からシュラフ(寝袋)を敷いて寝たくなる程度の衛生状態である.また,部屋の奥には1畳くらいのトイレ兼浴室が用意されていた.トイレは水洗にあらず,手で尻を拭くインド式である。頭上の蛇口をひねれば豪快な水浴びも可能だ。バックパッカーならこういった最低限の設備で楽しく過ごすことになるが、慣れれば相当に居心地良いものとなる.
なお、部屋の鍵は自前が原則である.日本で買ったダイヤル錠が役立った.

ガンガーを望む vishnu guest house のオープンテラス
120ルピー/日のシングルルーム室内
トイレとシャワー(蛇口だけ)のユニット

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