後遺症が残った過失5の交通事故に遭った話⑨ 眼窩吹抜け骨折手術と後遺障害

こんばんは。
読んでくださった方、ありがとうございます。

ここ数年で急激に歯並びが悪化していて、逆に悪化しそうだと思いつつも自力でどうにかしようと歯を毎日ぐいぐいしています。
そういえば昔、”「芸能人は、歯が命」ニカッ!”という歯をきらめかせているCMがありましたね。
あの歯の白さは今思うと歯磨きでどうこうしたのではなく、特殊施術かもしれない、ホワイトニングだ!そうだそうだ!
とか思いながら歯磨きを頑張れない私は逃げています。

それでは、前回の続きで、
(歯とは全然関係ないですが)私の後遺症の眼をどうにかしようとした話です。
長文で目の治療に関する説明回なので興味がない人はぺぺっととばしてください。


正月明け、すっかり正月を満喫し終えた私は眼科へ入院しました。
整形外科への入院と同じく、大部屋の6人部屋です。
今回の同部屋の皆さんの症状も多種多様で、網膜剥離、腫瘍、緑内障、糖尿病性の網膜症などでした。

入院後、食事の時間になりました。
前回の入院では食事は各自のテーブルに運ばれていましたが、今回は食堂へ食べに行くスタイルです。
テーブル数はそこまで多くないため、どうしても「ここ、座ってもいいですか?」からの会話、という私の苦手な社交の時間が三食もあります。
入院早々、早くもブルーになりました。

しかし、不思議なもので、
眼科だけあってみなさん視界が悪化しており、
机にぶつかりそうになる人を助けたり、良く見えていなくて食事がうまく掬えない人を誘導したりしていたら、
気が付けばそれなりにみなさんと仲良くなっていました。
恐らく正面視だけで言うと、入院患者の中では私は一番しっかり見えている奴です。看護師を呼ぶほどではない困ったときにどうにかしてくれる要因として定着しました。


私は入院時に激厚本を数冊、図書館から借りてベッドに持ち込みました。
その中の一冊が、完全専門書だった、
「アポトーシス:細胞の生と死」
でした。タイトルにひかれて借りたら超医学書でした。
手術までの数日間、私はこの、細胞の自死のメカニズムとガンについての本をひたすら読んでいました。普通に面白かったからです。
細胞診の写真があり、細かい字でびっしりと書かれた部厚い本を読みふける女に看護師さんは驚きました。
「ひょっとして、医学部とかだったの?」とこわごわ聞かれました。
「そんな!違います。趣味で読んでいるだけです」と笑いながら答えた私は、逆に怖かったようです。
『いや、趣味で医学書は読まないでしょ。もし本当にそうだとしたらヤバいインテリ系女だわ』と思われたに違いありません。
その日あたりから看護師さん達がすごく丁寧に話しかけてくれるようになりました。

ある日、同室の人にも「読書が趣味なの?」と聞かれました。
私は何も深く考えず、
「そうです。あ、何か読みたい本があれば、私も今度お見舞いに来る人に本を借りるのを頼んでいるので一緒に頼みますよ!」
と軽い気持ちで答えました。
聞いてきた方は少し悲しそうに、
「いいのよ、ありがとう。私も本は好きなのだけど、今は、というかこれからもだと思うけど、あまり細かい文字は読めないものだから、気にしないで。」
と、返事が返ってきました。

謎な会話に、あほな私はようやく気付きました。
この病室で恐らく読書を趣味とできる人は少ないのだろうと。眼が悪いということは本も読みにくいはずです。
私は本当は本が好きだけど読めない人の近くで、何冊も本を積み上げて黙々と読んでいるわけです。気を遣わずに読みまくる私は見ているとモヤモヤする奴だったかもしれません。
これは、遠回しの『愉快ではないからやめてほしい』ではなかろうか、と私は思いました。
この地域の人は遠回しな言い方をしがちです。はっきりと「嫌だ、やめてほしい」とは言いません。
そして、その遠回しな会話の意図に気付かないままで改善が見られない場合、裏で「私も気を使ってやんわり伝えたのだけど、わかってもらえなくて・・・」と悪役と被害者の物語として伝播されます。

これは危険です。
想像するに、今の私は悪役に転落する直前の崖際です。
折角社交の場(食堂)で無難に過ごしているのに、部屋でハブられてしまう。
本に関しての質問もなければ作家や本の話題をしたわけではない会話だったので、『におわせ遠回し会話』の線が濃厚です。

とはいえ、ただ気になって聞いただけだったかもしれませんし、なんにせよ私の行動が誰かをもやもやさせた可能性があります。
私は大変申し訳ないことをしたなと思い、それからは病室ではないところやカーテンを閉めた時などにこっそり読むことにしました。


そして手術の日がやってきました。
全身麻酔で数時間を予定しているようで、輸血等の必要があった際の念のために親も招集されました。
親族待合室は白内障の日帰り手術で一杯とのことで親は廊下の椅子にステイされました。

全身麻酔で体がゆるゆるになり大変なことにならないように、徐々に食事を減らしてからの1日食事抜き、
さらには童心に無理やり返らされるおむつ装着での手術です。しかも臀部下にはペット用トイレシート(超吸水)にしか見えないものが敷かれました。
術中にはそんな痴態を見せてしまうのかと動揺した私に、看護師さんは優しく笑いました。「大丈夫よ、念のため。念のためよ!」と。

車いすで手術室へ運ばれ、担架に乗せ換えられ、麻酔医の先生が麻酔を入れ「眠くなりましたか?」と何度か聞かれたことまで覚えています。

気付けば左目がまともに開かない状態で担架で移動していました。
親が悲壮感漂う顔でのぞき込んでいます。
付き添っていた看護師さんが話しかけてきました。
「あ、目が開きましたね!よかったです。予定より長く眠っていたので・・・。これで安心ですね。
麻酔が切れると、気管挿入していた管の影響で喉が痛んで声が出にくいと思います。あとは、目はしばらく調整に時間がかかると思うので、数日は視野がブレたり吐き気がすると思いますが、そのうち落ち着くはずです。とりあえず麻酔が完全に切れるまでは眠るといいですよ。」
とのことだったので、付き添ってくれた親などに「ありがとう、寝ます」とジャガーさんみたいな声で言ってアドバイスに従い即寝ました。

1時間後くらいに再び目覚め、親はすっかり愚痴れるくらいに元気になっていました。
「数時間だから待っててって言われて廊下の椅子で待ってたけど、3時間たっても4時間たっても終わらないでしょ。心配でお昼もまともに食べられないし、椅子は固くて体は痛いし。結局5時間半かかったじゃないの。」
5時間半!当初の予定より数時間オーバーしているのでは、と驚きました。
日本からプノンペンまで行ける時間です。
待合室の椅子でと考えると背もたれ無しエコノミーシート状態・・・。待合室にはテレビもないし、つらすぎます。図らずも親の老体に鞭を打ってしまいました。
とはいえ私も気管挿入にやられて声がまともに出せません。喉が焼かれたように痛いのもかなりこたえました。

しばらくして執刀医の眼神の先生が説明に来てくれました。
想定より長い手術になった理由は、左目を開いてみたら思っていたより色々周囲の骨が歪んでいて変な骨片も多くあって、ついでだしと思って鼻とか頬あたりとかまで綺麗にして調整していたら結構時間がかかっちゃった、
ついでに言うと事故時に右目の骨あたりまで影響があるくらいの衝撃を受けたと思う、ということ、
手術としては、癒着した部分は調整して、本来の位置から奥に落ち込んでいた眼球も元の位置まで引っ張りだせたので成功で、
事故から時間がたっているから治りきるかは不明だが後は経過観察で様子を見たいこと。
とにかく無事に終わったとのことで、私も親も安心し、ドラマみたいに「先生、ありがとうございました」を言ってその人生初の手術の日は終わりました。

手術後の経過観察で個室で2日くらい過ごすことになりました。
視界がブレブレなので本も読めません。脳も急激な眼の位置の変化に追いつけないのか、体をつかまれて前後に激しくゆすられた時のようなグラグラした視界でした。
慣れるまでの個室の期間はただぼーっと過ごすことのつらさを味わいました。
確かにこの状態の自分の付近で本を楽しそうに読んでいる奴がいたら恨めしく思うかもしれません。入院当時の私は浅慮でした。

親は視界が落ち着いてきた私に安心して実家に帰宅し、私も大部屋に戻りました。
眼科の手術~入院は期間が短いことも多いので、大部屋も毎日のように人が入れ替わります。戻ってきたら半数は知らない人でした。
左目を腫らして視野狭窄な私を見た同部屋の知古達は少しニヤニヤしていました。「これで君もしばらく目の悪い仲間入りだね」ぐへへ、という感じでした。

仲間になってからは以前の表面上の付き合いから一転、同部屋の人との仲が深まりました。

先天性の糖尿病から来る網膜症の人とは特によく話しました。
私が糖尿病と眼の関係や色々な苦労を知りたかった(一応秘めていた)好奇心と、その人の悲壮感があまりないあけっぴろげのカラっとした「なんでも聞いていいよ!」な人柄とがなんとなく合いました。
その人は先天性です。小さなころから制限された日々を過ごしていました。「日々のインスリン注射は面倒だし、食べ物も制限されてるし、将来は失明するかもしれないし」と笑いながらつぶやいていました。

他にも、若年性の緑内障の方が将来完全失明する恐怖におののいていたり、「お前が入院したせいで洗濯も料理も大変なんだけど」とか言われている妻患者たちのリアルな生き様を見ました。
やはり「白内障は日帰り手術」とまで進化した眼科外科において、入院が必要なレベルの状態まで追い詰められた人々の苦労は相当でした。

私は眼神に出会えましたし、家庭状態としてはましな方でした。
世の中は苦労に満ち満ちていました。


眼の腫れが引き、視界のブレが収まってきた術後1週間目くらい、
私は視野検査を行いました。
結果は、手術前とあんまり変わらない残念な状態でした。
若干の改善は見られました。しなかったよりマシかな、と言う程度に。

関東にいる執刀医(眼神)の代わりに、若手眼科医が私の仮担当となっていました。イケメンだけど暗い表情をしたダルそうに話す医師です。
事故の怪我に関わった中で、これで萎びているorダルそうな医師4人目です。
出会った医師10人中で考えるとダルそう率4割。「ダルそう医師ヒット率」は野球で考えると超一流です。
イケメンダル医師(ダルビッシュ似ではありません)は改善が少ない検査結果を見て、
「これは。もともと複視だったのに交通事故を機に手術したわけじゃありませんよね?こんな値だと執刀医に聞いてみないとなんとも。
一応手術から1週間をめどに退院予定でしたが、あー、とりあえず延長で。やりとりしないといけないし、治療方針は追って決めます。」
と面倒そうにしています。
しかも最初の方ではひどい言いがかりをつけられています。
『くそう、自分が医者でイケメンだからって何様なんだ!』と勝手に偏見を覚えて腹が立ちました。

私は部屋に戻り、よく食事を一緒にとる同部屋の網膜剥離女史に聞いてみました。
「私、〇〇先生が仮担当になったのですが、結構ひどいことを言うし、面倒そうに対応されたんです。あの先生って普段からあんな感じなんですかね?」
女史は答えてくれました。
「かっこいい若い先生でしょ!そもそも接し方を丁寧に優しくしてくれる医師ってレアな気がするし、そんなものじゃない?今まで色々行ったけど、どの病院でも対応が悪い医師が多いなって思うし。〇〇先生ならかっこいいからいいんじゃないの。」
ということで終わりました。
まぁ、イケメンは正義です、気持ちはわかります。
そして私の「ダル医師ヒット率」は他の人にも当てはまるようで安心しました。


そして私が入院2週間を迎えそうになっている頃、保険会社から電話がかかってきました。
「あの、入院が長引いているようで。なぜ長引いているのでしょうか。1週間程度で退院ではなかったのでしょうか。」
この保険会社の人はそれをなぜ私に聞くのだろうと思いました。病院に問い合わせればいいことです。
私だって曖昧な感じで治療方針も定かではない状態で放置されているので、答えようがありません。
「医師からもう少し入院するようにと言われたのでそうしていますが、早めに退院した方がいいんですか。」
つい、前回の入院時のいざこざを思い出して『まだ当たり屋扱いが続いてるのかよ』と思い、私の返答もあたりが強くなってしまいました。
「あ、いや、そういうわけでは。なぜかな、と思いまして。」
私が迷惑な ”怒るとカスタマーセンターに言いつけちゃうゾ女” であるために、
前回の入院後に(言いつけられちゃった旧担当者)Sから私の事件を引き継いだ新担当者氏もちょっと引き気味です。

今のところ入院予定が数日伸びただけです。ただでさえ手術で疲弊し、症状も改善せず仮担当医師も当たり屋疑惑の目で見てきてさらに疲弊した時に「保険のことも思い出せよー」的に連絡してくるのは何なんでしょうか。気分はそれどころではないのです。
いや、まさか優しさなのでしょうか。『あなたのことを気にしてますよ』的なやつでしょうか。それにしても言い方が、心配してる様子ゼロ感でした。
すみません、モヤモヤしてつい10-FEETの曲みたいなことを書いてしまいました。

私はとにかくこの時合併に合併を重ね、長すぎる社名で笑いすらとってしまうこの大手保険会社とのやり取りが嫌で仕方なくなっていました。

私の入院は執刀医との問い合わせ対応のためだけに長引いただけだったらしく、その数日後に晴れて退院となりました。

同日に退院予定だった網膜剥離から回復した女史が「うちの旦那の車で送ってくよ」と優しく声をかけてくれましたが、遠回りさせそうだったので遠慮しました。
そして荷物を詰め込んだボストンバッグを抱え、病院前のお菓子屋を「ようやく甘いもの食べ放題だぜ!」とニヤ付きながら物色し、お目当てのものを購入した時、
女史が助手席に乗った車に「ヘイユー!カモーン!」的なテンションで声をかけられ、そのノリで結局乗せてもらいました。

道案内苦手すぎる私は急な展開に脳内をフル回転し、必死で道案内しました。
道すがら、女史が「この子、専門学校の費用を稼ぐのに何か月も週6とかでバイトしてて、もうすぐお金貯まるって時の最後の方のバイトの時に車に跳ねられたんだって!大変よー」と旦那に私の事故ヒストリーを話しています。
旦那は「へぇー。でもまだ若いし、女性は楽に稼げるバイトあるでしょ、水商売とか。もっと楽に短期で稼げばいいのに。」と答えていました。
私は「確かにですねー。あ、そこは左車線がいいです。」とか濁しながら道案内に励みました。
確かに、水商売は普通のバイトよりは稼げたかもしれませんが、酒も大して飲めないしたばこや香水でぜんそくが出る私には接待系の仕事は無理でしょうな、と思いました。それとも案外できるものなのでしょうか。

女史とその旦那様のお陰で無事にアパート付近にたどり着いた私は、
降り際に「お礼に」とさっき脳内でよだれを垂らしながら買ったお菓子を渡そうとしましたが、断固拒否されました。
きっと私がほくほく顔でお菓子を買っていたシーンを見られていたのでしょう。もしくは、丸めた卵せんべい、という渋いチョイスは、ハワイに新婚旅行に行ってそうな彼らには単純にグッと来なかっただけかもしれません。
優しい女史方は「自分でお食べ、お大事に!」とあっさりと去っていきました。


この後の私は、以前相談に行った弁護士さんに連絡して契約を結ぶことにしました。
「頭金は数万程度で大丈夫です。成功報酬として業務完了後にしっかり頂きます。」
との明らかに私の事情に配慮した優しさに打ちのめされ、
「保険会社対応は任せてください。それが仕事ですから!」
とありがたいお言葉もあり、保険会社とのやり取りは全部弁護士さんへ丸投げしました。
私に課されたのは、後遺障害等級認定とそのための通院・入院病院からのデータ集め、補償に関わる明細書類集め、だけでした。

それから何度か眼科に通院し、私の視野がそれ以上改善しないことから通院も打ち切り。
現状で寛解、周辺視野の複視は固定した、ということで交通事故に関わる治療は終了しました。

眼科医の見解によると、事故後4か月以上経ってからの手術だったこともあり、一度悪化したまましばらく放置した眼の症状は回復しにくくこういうことは往々にしてあるようでした。
また、かなりの衝撃で眼の組織や神経、骨に至るまで破壊されていて、今でもかなり眼と脳が無理して視界を調整しているかもしれず、今後年齢に伴う眼機能の低下で視力や視野が急激に悪化する可能性があり、将来的には最悪失明するかもしれないとのことでした。
そのほかにも、眼窩骨整復手術は術後に時がたつにつれて再び眼球の位置がズレていくことも多いようで、再度整復手術になることもあるようです。

割と文字通りお先真っ暗です。

しかも低気圧の日や冬の寒い日、私の骨折箇所や左目は立っていられないくらい痛む時があります。
千鳥格子やチェック柄のような等間隔でびっしり並ぶものを目にすると、視界に急に光る輪がちかちかし始めまともに目を開いていらなくなり、輪が消えると目が痛くなる謎症状も出ていました。

でも、私は眼科の入院時に会った大変な人生を背負った人々のお陰でなんとか生きる気力を保っていました。
私よりよっぽど大変な人たちがあんなに頑張って生きているのです。

優しい弁護士さんとのやりとりも私をどうにか頑張らせてくれていました。とにかくこの事故の後始末を終えるまで、弁護士さんに費用を払い終えるまでは頑張らないとな、と思いました。


この辺で今回は終わりたいと思います。
また長くなりました。読んでくださった方がいれば、ありがとうございます。

今回は面白いところがあまりないですが、眼科入院の話や眼窩骨骨折系の人の参考になるかなと説明回として入れさせていただきました。

ちなみに、目に光の環が出て痛みが出る謎症状は、この数年後に内科で「閃輝暗点」という片頭痛持ちの人がよくなる症状だと教えてもらいました。
脳の視覚分野の血の巡りが悪くなると起こるらしいです。私の場合は多分、連続図形をぶれないようにうまく調整するのが難しくて眼(脳)に強いストレスがかかるのでしょう。
眼が疲れてきた時も症状が出るので、あまり疲れさせないように気を付けています。

変な感じですが、左眼は私と別に生きているような、飼っているペットみたいな扱いになってきています。
私にとってはちょっとワガママですぐ不機嫌になる目玉のおやじ的な奴です。気圧に敏感なのでたまに天気予報士にもなります。
痛む日は、『今日は仕事だからあとちょっとだけ頑張れよ』とか宥めつつ過ごす感じですね。


次回からは訴訟の話に入ってくるので、近々訴訟にあたってのいろいろもまとめたいと思います。

それでは、みなさんに楽しいことがありますように。
良い夜をお過ごしください。