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ゲーマーとしてくらくらするほど羨ましい/『手を伸ばせ、そしてコマンドを入力しろ』感想

何であれ、1つの物事に夢中になれることは一種の才能である。そういう人がいる一方で、どんな物事にも夢中にならず何でも表面を撫でる程度に嗜むだけの人もいる。

この記事を読む人はたぶん前者だろう。そんな人に、藤田祥平の『手を伸ばせ、そしてコマンドを入力しろ』(2018年、早川書房)をお勧めしたい。

本書は藤田の人生を著した自伝風の物語である。と同時に、ゲームを題材にした物語と呼ぶのであれば、高校を退学してまで『Wolfenstein: Enemy Territory』に取り組み国際大会で結果を残す話と、母親の自殺をきっかけに発症した憂鬱症のさなかに出会った『EVE Online』で有力プレイヤーに上り詰めていく話が2つの大きな柱となっている。

※帯文に「母がリビングで首を吊ったとき、僕は自室で宇宙艦隊を率いていた」とあるので上記と時系列がおかしいが、本文では母親の自殺直前の描写として「私はヘッドフォンをかぶり、なんらかのゲームをプレイしていた。不思議なことに、どのゲームをプレイしていたのか、まったく覚えていない」とあるので、帯文がおかしいと思われる。

人生において最も輝かしい時間をゲームに注ぐことの羨ましさ

『Wolfenstein: Enemy Territory』の物語は、藤田の10代の半分以上を貫く。中学生でこのゲームに出会った藤田、いやロール(RollStone)は高校に入学するも期待外れの授業内容とその幼稚さに辟易とし、2年生の5月に退学を決める。

その2008年当時は『ストリートファイターIV』の発売によって格ゲーシーンが息を吹き返し始め(語弊があるかもしれない)、2010年のプロ格闘ゲーマー誕生に向けてカウントダウンが始まった時期だ。その裏で(これも語弊があるかもしれない)、『Wolfenstein: Enemy Territory』の競技シーンも加熱していた。

クラスメイトとこのゲームを遊び始めたロールは、次第に頭角を現し、チームを国内トップクラスへと率いていく。そんなとき、国際大会「ClanBase ET NationsCup XII」(第12回ネーションズカップ)の日本代表として声がかかる。そして、連日の過酷な練習が原因の頭痛と腰痛に悩まされながらも、チームメイトのトッププレイヤーたちと過ごす毎日に充足感を見出していく。

ロールが高校を退学したのはそんなときだ。母親には泣かれた。しかし、父親は息子が「何か」に夢中になり全力であることを認め、応援してくれた。ゲームの道で生きていきたい人にとって、心から羨ましくなるほどの理想的な父親である。

しかし、この記事の読者でさえ、ゲームのために、それも賞金やesports、プロゲーマーという概念がまったくないタイトルのために高校を退学するなんて正気の沙汰ではないと考えるだろう。たとえどんな理由があっても、高校は「とりあえず卒業しておくところ」だ。しかし、『Wolfenstein: Enemy Territory』に取り憑かれたロールにとってそれは些事であった。

人生の最も輝かしい時間を捧げた対価として、ロールは世界4位という、FPSというジャンルにおいて国内では前人未到の成績を残した。この記録はおそらくいまだ破られていないだろう。しかし、それさえもロールには些事であったように思われる。彼は、彼を誘ったキラークに尋ねられる。

「なあ、どうしておれたちはこんなゲームをまじめにやっているんだろうな?」
「いまさら何だよ?」
「時々、ほんとうに馬鹿らしくなる。こんなものを極めたところで、生きていくのになんの役にも立ちはしない。いまになって思うよ、おれって、馬鹿みたいじゃないか?」
「いまからでも努力すればいい」と私は軽蔑をこめて言った。「それこそ馬鹿みたいにな」
「努力ならしたさ」と彼はディスプレイから目を離さずに言った。「なんの役にも立たない、誰も知らないゲームで、世界で四番目に強い男になった」
「それがどうしたって言うんだ?」私は真剣に腹を立てていた。「おまえがやっていたのは四位になるためか? 一位になるためか? 最強になるためか? 違うだろう、それは。おれたちは楽しむためにこのゲームをやっているんだろう。たかがゲームに——」
 私は言いながら、自分でも驚いていた。私たちは、自分たちがゲームをここまで真剣にプレイしている理由を、まったく知らなかったからだ。
「どうしておまえはそんなに本気になる?」
 キラークはしばらく黙っていたが、やがて言った。
「わからない」
 私は頷いたが、キラークには見えていなかっただろう。

楽しむために! ただ1つのゲームを全力で楽しむために。僕はロールがひたすら羨ましい、自分がそんなゲームには出会えなかったから。楽しかったゲームはいっぱいある。楽しむために睡眠時間を削ったゲームもある。仮病を使ったこともある。

でも、高校生活が邪魔だとまでは思えなかった。それはそれで幸せかもしれない。でも、邪魔だと思ってしまえること、そのうえ退学を実行してしまえることは、たとえそんなゲームに出会ったとしても僕にはきっとできなかっただろうからこそ、羨ましいのだ。

このあと、ロールは『Wolfenstein: Enemy Territory』のシーンから1年間去ることを決める。高認に合格し、大学に進学するためだ。そうなれば4年間の猶予期間を得て、このゲームを再び楽しむことができる。けれども悲しいことに、1年後に舞い戻ったロールが見たのは、かつて作り上げたコミュニティが瓦解し国内のシーンが消え去っていた景色だった。

ネタバレを宣言せず盛大にネタバレしてきたが、こんなネタバレなど本書を読む際に何の障害にもならない。『Wolfenstein: Enemy Territory』にまつわる描写はトッププレイヤーの頭の中をそのまま覗くような楽しさと、スリルと、ある種の罪悪感——これを知ってしまっていいのか——を抱かせるし、2010年以前の国内esportsシーンの一端を知る歴史的資料としても、本書はとても面白い。

何のために戦うのか、明確に答えを出せたことの羨ましさ

『EVE Online』の物語は、ロールの20代の半分を貫く。母親の自殺を原因とする憂鬱症により現実と虚構の区別が曖昧になる中、ロールはこのゲームに出会い、鬼インダストリーというカンパニー(ゲーム内クラン)が立ち上げたばかりの戦闘部に所属することになる。

鬼インダストリーはほかの日本のカンパニーとは一線を画し、軍事力によって地位を得ようとしていた。『Wolfenstein: Enemy Territory』の経験を持つロールはここでも存在感を示し、戦闘部を率いて同じ日本のShake Hands Familyに戦争を仕掛ける。

当然、専門的な訓練をしてきた鬼インダストリーの完勝で終わり、ロールはその後7社の同意のもとで軍事組織として創設された企業連合ウォークス・ポプリーの指揮官となる。海外の大手カンパニーと張り合い領地を得ようとしたわけだ。

ロールは大学を卒業し、会社員として働き、退職し、あるゲームレビューサイトの運営会社で1日14時間の違法労働に従事し、6時間をこのゲームに捧げ続け、ウォークス・ポプリーを育てた。そしてローセク・ヴォルトロンの宣戦布告を受ける。彼我の軍事力(総資産)には6倍近い差があった。

始める前から絶望的な戦力差だ。だが、ロールはあえて戦うことを選んだ。この日のためにゲームをやってきたんだ、と。つまり、日本のカンパニーとして、日本人として『EVE Online』の歴史に名を刻むために。

かつて「楽しむために」あるいは「分からない」と考えていた戦う理由を、RollStoneは明確に示した。若い艦隊指揮官のヒッグスに言う。

「この戦いでおれたちが勝つ確率は万に一つもない。さっきのは訂正する。それでは、なぜおれたちは戦うのか? 戦いたいからだ。戦うことが楽しいからだ。おまえ、家族はいるのか?」
「います。実家暮らしです」
「恋人は?」
「気になってる子はいるけれど」
「うむ。おれたちが賭けるのは、そういうもんじゃない。戦場に富や愛を賭けるなんて、昭和の人間のやることさ。おれたちが賭けるのは、コミュニティの誇りだ。だからおれたちは戦うんだ」
「でも、戦うのは、勝つためじゃないんですか?」
「おまえはそれでいい。おれは違うが」
「あなたは何のために戦っているんですか?」
「生きるためだ」

ウォークス・ポプリーが有する切り札である1隻の主力艦タイタンは、ローセク・ヴォルトロンの6隻のタイタンの前に散った。しかし、ロールの筆跡には間違いなく満足感を感じられた。それは歴史に名を刻んだからでも、一矢報いたからでもなく、戦う理由が分かったからではないか、と僕は感じた。

ロールは生きるために戦った。それは『EVE Online』の中でのことだろうか? 違う、まさしく「生きる」ためにゲームの中で戦ったのだ。そうすることでしか自分の存在を証明できないとでも言うように。

戦う理由——なぜそれに夢中になっているのかを明確に表現できることは、僕にとっては羨ましいことだ。僕はこのtokyo esportsで何事かを書き続けているが、いろんな人に「どんなモチベーションがあるのか」「なぜ」「やってるのか」と訊かれる。「楽しいから」とか「esportsへの恩返し」とか答えるが、本当にそうなのかは自信がない。正直、なんでこれを続けられているのか、続けたいと思っているのかはよく分からない。

僕はまだ『Wolfenstein: Enemy Territory』をプレイしているロールと同じなのだ。よく分からないけれどやっていると楽しいから、これをやっている。だから、明確な答えを見つけたロールが羨ましい。

ロールはこうした経験を経て同じゼミのアスカと結ばれ、早川書房から本書を出版することとなる。

何のためにゲームをプレイするのか

ゲーマーにとってこの問いの答えは自明でありながら、実際にはなかなか答えにくいだろう。本書は藤田自身がレビューしているようにさまざまな題材を転々とするが、1つはここまで書いてきたように、ロールが何のためにゲームをプレイするのかを探求してきた道のりを描いたものだったと言える。

皆さんは自分が何のためにゲームをプレイするのか、深く考えたことはあるだろうか。ロールは生きるためにゲームをプレイしてきた。本書はそんな男の人生から編み出されたのだ。ゲーマーのあなたが読まずにどうする?


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