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大人――他者への寛容、他者の視点に立って自分の都合を制御できること

このところ、精神的な意味での大人と子供の違いについて考えています。もしくは精神的な成熟と未熟ですね。

精神的な大人とは他者に寛容な人

誰しも一度はその違いを考えたことがあるでしょうし、それなりの答えを持っている人もいると思います。古今東西のいろんな作品でもテーマとして扱われてきたので、問いとしては陳腐でありあまり面白みはありません。

でも、実際のコミュニケーションが発生する場では、自分なりに何らかの答えを持っておかないと対面した相手とのやり取りに苦労させられることがありますし、相手の言動を理解できなくなってしまいます(悪い言い方をすれば、相手を操作するためにも必要な知恵です。いや、コミュニケーション自体がそもそも他者を操作することを本質としていますが……)。

いったんの僕の答えとしては、精神的な大人とは他者に寛容な人です。別の表現をすると、他者の視点を想像して自分の都合を制御できる人のことです。

逆に、精神的な子供とは他者にそれなりに不寛容で、他者の視点を想像せず(できず)、自分の都合や欲望を通そうとする人です。もちろん、大人と子供の間には程度とスペクトラムがあり、「かなり大人っぽい」とか「多少子供っぽい」みたいな精神も存在します。

どんなことを意識してコミュニケーションすればいい?

いったいなにゆえ僕がこんなことをいまさら考えてるのかというと、最近いくつかの事情が重なって年下の人たちと交流することが多いからです。彼らと交流するとき、どんなことを意識してコミュニケーションすればいいのかを考えるところから派生して、この問題について考えていました。

精神的な大人か子供かは実年齢に相関することがほとんどですが(年齢を重ねれば精神もより大人になっていく)、20代中盤ではまだまだ子供のままの精神の人も少なくありません。30歳前後になるとさすがに落ち着いていくる感じ(平均で見れば)。

ちょっと、具体的な会話で検討してみましょう(ぶっきらぼうなやり取りに見えますが、適宜感情を込めて置き換えてください)。

A「Discordって使ってる?」
B「なにそれ、知らない」
A「信じられない、誰でも知ってるのに! じゃあこの話はいいや」

こういう会話はよく出くわすのではないでしょうか。そのたび、僕はAさんのような人を「子供だなぁ」と感じて微笑ましく思っています。コンテンツの話題になると特定の作品を知っているか否かの流れによくなりますよね。

では、もし大人だったらどんな反応をするか。いろいろありえますが、一例としてCさんに登場してもらいましょう。

C「Discordって使ってる?」
B「なにそれ、知らない」
C「そうなんだ、Discordって共通の趣味がある人同士で集まって雑談とかするサービスで――(中略)――面白いから一緒に使ってみよう」

2人の関係や性格から、ぱっと別の話題に切り替えるほうがベターなこともあるでしょう(お互いに知っていることの話しかしたくない人もいますし)。とりあえず上記の例には、以下のようなことが含意されています。

1つは、相手の無知を馬鹿にせず、マウントもしない。

1つは、どんなに有名だと思われる物事でも、相手の環境や関心などによって知らないという状態が当たり前にありうることを理解できている。

1つは、相手が知らないときにちゃんと説明して話を続けようとしている。

こうした態度は他者の視点を想像して「自分は知っているのに相手は知らない」という状態に対して寛容にならないと持つことができません。

他者の視点を想像する能力

寛容という表現はおおげさに聞こえるかもしれません。ですが、相手が知っている前提で話をしたかったときに相手が実は知らなかったとなると、自分がしたい話を我慢して説明しないといけないわけですから、やはり寛容さが必要です。

「あの名作を味わったことがないなんて!」の次に「人生を死ぬほど損してる!」と来るか、「これから初めて味わえるのは羨ましい!」と来るか。よいコミュニケーションは、僕からすれば当然後者です。たまにTwitterなどで新参者には後者のようなことを言おうと提案するツイートを見かけますよね。

ただ、若ければ若いほど自分のことで精一杯なので、大人的な、精神的に成熟した振る舞いをするのは難しいでしょう。他者の視点を想像する能力自体は、2~3歳の頃に芽生えてきます。いわゆる「心の理論」です。

でも、他者の視点を想像したあとの言動は年齢を重ねる・訓練するなどで経験を積まないと、大人的な振る舞いはなかなかできません。他者の視点を想像したあと、自分の都合や欲望を通す人もたくさんいます(知識マウントや嘲笑などもそれ)。

他者の視点を想像したあと、どうすればその人とよりよいコミュニケーションができるかと考えて振る舞うことができれば、たとえそれが一拍一呼吸置いてからの反応であっても、精神は大人になれていると言えるのではないでしょうか。

大人的な振る舞いをしろと指摘すべき?

ところで、僕が出会う人の中には明らかに20代中盤前後・以降の人でも、子供的な振る舞いをする人もいます。そういう人に大人的な振る舞いをしろと指摘したほうがいいと思いますか?

たいていの人はできないでしょうし、いちいちしないでしょう。「ムカつくやつだな」と捉えて関係を深めることもないかもしれません。「もっと大人になれ」なんて言ったら関係はこじれる一方ですし。

だから、もし相手の言動が子供っぽくて嫌で、直してほしいと思っているなら、「あなたの言動は子供っぽいから直したほうがいい」と直球で伝えるのではなく、「私はこういうふうに言ってくれると嬉しいし、そのほうがあなたともっと楽しく話ができる」というように、変えてほしい行動とそれに伴う自分の気持ちと相手のメリットを伝えるほうがいいかもしれません。

それこそ、相手の視点を想像して言葉を紡ぐこと。相手が嫌な気持ちにならないように自分が気持ちよくなる言動をさせる技は、身につけておいて損がありません。

とか書くと、やはりコミュニケーションは他者を操作するものという本質が浮き出てきますね、恐ろしい。

僕もそこまで徹底できていないので、親しい人にはなるべく伝えていきたいと思っています。ということの決意表明のための記事でした。


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