見出し画像

「休むこと」について本気出して考えてみた

皆さん休日はどのように過ごされていますか?

昔の私は、休んでも休んでもしんどさが変わらないまま、学業や仕事を続け、そして倒れるということを繰り返していました。

だけれども今は、休日休めばリセットでき、次の休日まで仕事や日常生活を過ごせるようになりました。

これは偏に「休むこと」への意識の革命が起きたからです。

今回は「休むこと」についてお話したいと思います。

『聖の青春』〜故・村山聖九段の生き方から学んだ回復術〜

私は小さい時から将棋が好きでした。

当時将棋と言えば羽生善治であり、佐藤康光、森内俊之、藤井猛、丸山忠久……とずらりと羽生世代の棋士が並ぶ。

そんな中、村山聖という棋士がいたことを社会人になってから知った。

「光速流」谷川浩司を倒すことだけを考え、羽生世代のひとりとしてトップ棋士の地位を保ったまま、29歳の若さで急逝した青年だ。彼の生き様は多くの人の胸を打ち、小説・ドラマ・映画となって、今も尚人々の心に生き続けている。

そんな彼の生涯は、腎ネフローゼと闘い続けた一生だった。広島出身の彼は関西将棋会館のある大阪・福島で一人暮らしをするが、病気の症状でまともに日常生活を送ることすら難しい日々もあった。

そんな中でも対局日はやってくる。

打倒谷川浩司・名人奪取しか頭にない彼は、対局がない日は徹底的に体を休めていた。

水道の蛇口をほんのわずかだけ緩め、その水滴の音を聞くことで自分が生きていることを感じながら、全エネルギーを回復に注ぎ込んでいたのだ。トイレに行くエネルギーすら惜しむあまり、自室にし尿便を置いていた場面は映画でも流された。


私は小説でこのシーンを読んだ時、「負けた」と打ちひしがれた。

自分はし尿便を持ち込むほどの執念を持ってエネルギーを回復させることを考えていなかった、と。

もちろん、し尿便を持ち込めばいいという話ではないし、衛生的にも良くないので私はやらなかったが、それほどの執念や工夫を休むことへ注いでいなかったことに気付かされたのだ。

それまでの自分の生活を省みる

自分は好奇心旺盛なタイプで、あれこれ拙僧なく手を出してしまう。

予定が空いていればガンガン予定を詰めるし、時間が空いていれば読書や情報収集をしてしまう。

お金を使いたくないからできるだけ自炊して掃除洗濯もしっかりやる。

だけれども、終わってみれば結局週1日しか動けず、6日間は寝込んでしまっている日々を過ごしていた。


こんな生活を何年も続けていていいのか。

だけど、努力し続けていないと置いていかれてしまう。


このふたつの思いの間で常に葛藤し身動きができず、心身が消耗していく日々が続いていた。

わずかでも体力気力が回復すると、その葛藤にエネルギーが持っていかれる。

酷い時だと、心身共に限界を超えている状況でも頭が回り続け、心音のリズムが「死ね死ね死ね」と自分を責めてくる。

そんな地獄なような時間を過ごしていた。


自分にとって何が最優先なのか。

人生の優先順位付けができていなかったから、地獄のような思いをしていたのだ。これは決して自分で気づいたのではなく、当時通所していた生活訓練施設の支援者にボソッと言われてハッと気づいたことだ。

そこで、優先順位付けを支援者に手伝ってもらい、まずは日常生活を無理なく過ごせることを最優先に置いた。その後にやりたいことができるようになればいいという整理をした。

自分にとっての休むこと

上述したような状況で、休むとは何を指すか。

それは生き延びることであり、「死ね死ね死ね」という声が聞こえなくなる状況が当たり前になるということだ。

だから先ず、声への対応を真っ先に考えた。


その時にとった作戦が「おうちキャンプ」だ。

声が聞こえる時の自分は、刺激に対して極度に過敏になっていることを感じ取っていた。

だから、光や音、匂いといった刺激を全て塞いだ。

具体的には、遮光カーテンを締切り、布団にくるまり、常に音楽を流し、目をつぶって「何も考えないこと」を全力で考えるようにした。


選曲についてはその時の聴きたい曲を聴くようにしていたが、声が聞こえる時は聴く曲を決めていた。自分はロシア民謡のような暗くて癖のある曲があっていたみたいで、それを延々と聞いていた。そうすると、無の状態が保てて、落ち着くことが出来た。

また、何も考えないようにするために不可欠だったのが食事だ。「おうちキャンプ」と名付けたように、こもる前には1週間分の食料を買いだめて籠ることにしている。そうすると、食事のことを考えなくてよく、かなり楽になる。

またお皿などの容器や箸等も予め紙皿や割り箸を大量に準備しておくことで、何も考えなくて良い状況を作った。


「何も考えないこと」を全力で考えることについては、自分は妄想にふけるかマインドフルネスをするか、アニメを見ていた。人によっては「何も考えていない」状況ではないじゃないかと言われるかもしれない。ただ、妄想は勝手に湧くものだし、アニメなどは勝手に流れてくれるので自分が考える余地を奪ってくれる。考える余地を奪ってくれることを見つけることが、何も考えない状況を生み出し、回復に専念させてくれる時間を生み出してくれた。

こうした期間を1年近く続けることで、自分の好きなことを好きなタイミングで休息をとりつつできるようになっていった。

その様をリカバリーストーリーとして各所で語っていくと、とても大きな反響を得ることができ、当事者の方から感激の声をいただいている。

「休むこと」について本気出して考えてみませんか?

人間美味しいものを食べて好きなことをして横になって寝てれば勝手に回復していくものだと思っている。

しかし、その当たり前が通用しない時も必ずある。

そうした時に、自分の引き出しがどれだけあるか。

それによって柔軟に対処できるかどうかが変わってくる。

生きることに執念を燃やすとは、その引き出しの数と組み合わせを増やしていくことではないだろうか。

今、フルタイムで働きながらも大事にしていることは、「休むこと」である。


8月は村山聖の命日だ。

ついに私も彼の年齢を越えてしまった。

彼に生かされたひとりとして、自分の目的をしゃんと見定めて、今日も全力で心身を休めていこう。