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もう一度、太宰治。

本は随分処分した。自分が死んだあと、残った人に処分をさせるのは申し訳ない。自分が好きな物は自分で処分すべし。だが死ぬまでにもう一度読みたい、捨て切れなかったのが太宰治や夏目漱石だ。

私が20代前半までに読んだ本はもうとっくに黄ばんでいる。

年齢のせいで目は悪くなり、集中力も落ちる。このままだとますます読めなくなる。「いつか読む」は「いつまでも読まない」だ。とにかく始めようと思う。

作者の創作順に読むのが好きなので、改めて調べて「晩年」を選ぶ。メガネ、虫眼鏡を動員。本の字はこんなに字は小さかったか、と思う。

そんなある時、本屋で知り合いと待ち合わせをした。普段は行かない太宰のコーナーに行ってみる。装丁は変わり、新しく、美しい何冊かが並んでいた。何気に一冊とってみると、なんと、文字が大きくなっているではないか。

おかげで今私はストレスフリーで太宰を読んでいる。当時はその時に新潮文庫から出ていた太宰は全部読んだ。一つ一つのストーリーは覚えていないが、それで良いと思っている。読んだ時に感じた憧憬や感傷を忘れることはないからだ。

若い頃と比べ、読書に集中できる贅沢な時間は減った。もう一度全部を読みきれるかどうかはわからない。

「けれども、私は、信じて居る。この短篇集、「晩年」は、年々歳々、いよいよ色濃く、きみの目に、きみの胸に浸透して行くにちがいないということを。私はこの本一冊を創るためにのみ生まれた。(中略)

さもあらばあれ、「晩年」一冊、君のその両手の垢で黒く光って来るまで、繰り返し繰り返し愛読されることを思うと、ああ、私は幸福だ。」

太宰治 昭和11年


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