過剰な関心は自分を苦しめる

世の中には、他人に関心が完全にない人というのはいないのではないかと思う。

大抵の人が自分の家族や友人、恋人の様子には興味があるだろうし、もしくは好きな芸能人や歌手には敏感にアンテナを張り巡らせているだろう。

でも時々、その関心の高さに私はうんざりする。

私が好んでしている服装、髪色、好んで持っている持ち物、好きだから一緒にいる恋人、それらに余計な関心を寄せて好き勝手に発言する人たち。

「えー、その服何?」「その髪色、変!」などなど。

これらは以前私が言われたことでもあるのだが(まあそれはいいとして)、どうしてその人たちに直接関係のないことにこうズケズケと発言できるのだろうか。

理由を考えてみよう。

その1・一緒にいる友達が自分の好みでない見た目だといやだから

これは単なるわがままである。大体見た目重視で友達関係を作っているのなら、自分が芸能人とコネでも作り勝手に好きな見た目だけで人を選んでいればいい。どうせ嫌われるだろうけども。

その2・何かしらのいちゃもんをつけたいから

これは厄介なパターンである。世の中には自分がちょっと気になったことには何でもかんでも過剰に反応していちゃもんをつけたがる人というのが存在する。この人たちはこちら側がいくら工夫を凝らそうとも、関係なしにほんの少しのとっかかりを見つけては攻撃を仕掛けてくる。避けようがない。

その3・相手のことが好きだから話の話題として批判をしてみたい

このレベルになるともうなんとも言えない。親しいからなんでも許されると思い、とりあえず顔を合わせれば何が変だのダサいだの言ってくる人がたまにいる。これはもう好きの裏返しだから許されるとかいうレベルではなく、ただ単に鬱陶しいのでやめていただきたい。そのうち友人をやめたくなるかもしれない。

私が思いつく理由は以上の3つほどだが、考えようと思えば他にも挙がるかも知れない。

しかしもうとにかく言いたい。

そんなに自分以外の人のことが気になりますか?と。

私に関して言えば、周りの友人よりも周囲の人に関心が低いことを自覚している。

もちろん大事な家族も友人もいるし、その人たちが大変な目にあっていれば話を聞きたいし助けてあげたい。可愛い服を着ていれば褒めるし、素敵なメイクやヘアスタイルをしていればどうやってやったのか聞いてみたい。

でもそれ以上でもそれ以下でもないのだ。

必要以上の関心を寄せることによって、気にならないことが気になりだし、見えていなかったものが見え、口に出したくなってしまうかもしれない。

人と付き合う上で、その人に対して思っていることをきちんと伝えたり、嫌だなと思うところを指摘したりしていい関係を続けていこうとすることはもちろん必要だし、私も行っている。

だが、過剰な関心によるいらない口出しは、むしろ関係を悪化させる要因になるのではないだろうか。

上に挙げたこと以外にも、私が辟易していることがある。

それは、他人の体に過剰に関心を持つこと、である。

例えば「〇〇ちゃん太った?」「〇〇ちゃんって胸大きいね!」「〇〇ちゃんの脚、棒みたい〜」などなど。

非常に気軽な気持ちで発しているのだろうと伺えるこれらの言葉、言われた方がどんな気持ちになるか想像したことがあるのだろうか。

人間、誰しも全く同じ体のパーツや体型を持った人は存在しないし、それが個性というものである。

だが、ある一定の体型が美しいというステレオタイプが蔓延しすぎた結果、自分でなく他人にまでそれを求める人が近年非常に多い気がする。

最近ではグラマー体型のモデルが登場したり、広告に痩せ過ぎたモデルを起用しないようにしたりと、世の中でもステレオタイプに囚われないようにする動きがあることは確かである。

しかし人々の間に刷り込まれた「瘦せ型=美」や「胸が大きい=女性としてよりよい」という意識はなかなかしつこい。

自分がそれを正しいと思って追い求めている、だからこそそれを他人にも当てはめようとする。

同じように、日本では「ハーフ顔」がもてはやされた時期があった。

だがこれも最近ムーブメントが巻き起こっているように、そもそも「ハーフ顔」という概念は存在しないのである。

これは日本人が外国人(ここではあえて一括りにする)の彫りの深く濃い顔立ちに憧れを持ったことから始まったのだろう。

しかし立場が一転すれば、日本人だって外国人である。「ハーフ顔」「外国人顔」というものはこの世に存在しない。

最近、大手の化粧品会社がこぞって白人モデルを起用していることに疑問を呈する運動が行われているのを目にした。

「日本人にも日本人の美しさがある」ということを訴えているようであった。

日本人にしかない美を認識し、自信を持とう!ということなのであろう。

しかしここで思うのが、そもそも日本人らしい日本人という概念も存在しないということである。

もう、「〇〇らしさ」を追求するのはやめませんか。

日本人という枠でわざわざくくらなくても、人はそれぞれに美しさを持っているだろうし、それぞれが自分に自信を持っていい。

その自信の根拠が何かに依存している必要はないのだ。

なんだか話が大幅に逸れた気がする。

つまり、人は他人に過剰に関心を向けるのではなく、自分自身を見つめ直して自分に自信を持っていこうぜ!という話である。

2行でまとまる話を長々と書いてしまった。

初回はそんなところである。



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