映画感想:『ゴジラ キング・オブ・ザ・モンスターズ』はゴジラ教狂信者が作り上げた狂気の神話である(ネタバレあり)part4


ついに4回目になってしまったよ。キングオブザモンスターズ、ゴジラの感想をそろそろ書き終えたい。
とはいえもう3回目までに書きたいことは大体書き尽くしたからここら辺はもうあとがき程度の文量になると思う。前置きはこの辺にして、ええと前回はゴジラの神話性を高める音楽の素晴らしさを言ったとこだった。
次はこのトピックに行こう。

・怪獣に表情という感情を与える行為 

神とは人智を超越した存在であり、彼らには人の苦悩や葛藤とは別の領域にあらねばならない。そうでなければ神秘性は失われてしまうのだ。
しかしその一方で、神話に語られる神々は実に感情的だ。ギリシャ神話でいうところのゼウスの妻であるヘラは嫉妬と謀略の女神であり、ゼウスが浮気をしようものなら、浮気相手にすら呪いやら攻撃やらをする。アルケイデスが「ヘラの栄光」の意味であるヘラクレスの名前を称するようになったのも大抵彼女のせいだ。

あまりに高すぎる神秘性や超越性は、時として親しみから遠ざけるものである。だから神話や伝説での彼らは人に受け入れられるように、憐憫や憤怒や嫉妬や歓喜など人の側に寄り添うのだ。あくまで人の描いた物語だからかもしれないが。

では話を戻そう。
ゴジラKOMにおいて、怪獣を通り越して神の領域に立つ彼らは人の姿をしていない。獣のような怪物のような異形の姿だ。
しかし今作において、彼らは実にいい表情を見せてくれるのだ。瀕死のゴジラが芹沢博士に体表を投げられた時の穏やかな表情であったり、ギドラの3つ首に対するアクションなどいろいろある。

その中で一番特徴的な奴がこいつだ。

・ごますりクソバードラドンくん

実のところ筆者が怪獣関連で知ってるのはゴジラだったりモスラだったりキングギドラだったりメカゴジラだったり、かなり浅い部分があったりもした。ラドンの存在をよく知らなかったのである。初見した時には「あれ、ガメラの怪獣じゃなかったっけこいつ」とか思ったほどであった。
前置きはここまで。実際のところラドンは恐ろしく強かった。燃え盛る火山から這いずり出てきて、翼膜を溶岩の炎で燃やしながら超スピードで飛翔するのだ。火山の麓の村も飛翔の衝撃波で全てを吹き飛ばすわ、ジェット機に追いついてローリングで各機撃墜するわ緊急脱出したパイロットを正確に食らいつくわの、恐ろしい強さであった。

しかし残念ながら、彼は怪獣であっても王でもないし神でもない(火山の神とは崇め奉られてるけども)ため、強い者がいたらそちらに付き従うのである。オキシジェン・デストロイヤーによってゴジラが瀕死になり、火山の頂上でギドラが勝鬨を上げるとラドンもギドラ側に付く。

その後なんやかんやあってボストンで最終決戦、ゴジラとギドラの対決の時にゴジラ側を救援しようと飛来してくるモスラ。だがそれを阻止するのが我らがラドンくんだ。
口から炎を噴出するために羽虫であるモスラには効果てきめんすぎる。空ではギドラとモスラが、地ではギドラとゴジラの大決戦状態。ビルの天辺でついにラドンがモスラに覆い被さるようにマウントを取り、舌なめずりするような表情すら見せる。こいつ! どこまで三下なんだ!
そして三下らしくモスラに逆転の一撃を食らい、絶命する……ようにみえた。

こいつのごますりクソバードの本領発揮はここからである。ゴジラが完膚なきまでにギドラに勝利し、各地から怪獣たちが集結する。怪獣王を讃えるかのように、動物的である彼らが頭をひれ伏したり怯えるように背中を向けたりする。

そこに平然と混じるラドンくん

画像1

※上の画像は別のゴジラ映画のものである(三大怪獣 地球最大の決戦)

モスラに穿たれたトドメの一撃を胸に開いたまま、先程まで戦っていたゴジラ相手に、ギドラがやられたとあらばと、見事な土下座のような平伏しを以て彼を王と認めるのである。
お前さぁ、なんで怪獣なのにそこまで三下ムーブが完璧なの!?
人間でもここまで見事に動けるのは少ないというのに、ラドンという怪獣は感情豊かな人間以上に三下の役割を演じきったのだ。
これほどの魂と愛の込め方がどこにあるか。見事すぎるのだ。

・怪獣に魂を吹き込む愛

他にもギドラの3つ首とかいろいろ書きたいことはあるが、劇場で見た記憶ではいろいろ語るのも限界なので締めくくりに入ろう。
怪獣とは獣であり神であるから人間のような顔の動きを入れるのは本来的にはタブー、であるはずだ。しかし円谷英二の作り上げた怪獣たちはそれすらも許容できるほどに寛大な存在であり、むしろそうすることで怪獣をより親しみやすいキャラクターへと昇華させることもできる。怪獣とは神であり、同時にキャラクターなのだ。

そしてこの愛を完璧に理解し、ハリウッド映画という大規模な舞台でその魂の吹き込みを成し遂げたマイケル・ドハティという人物や他スタッフの恐ろしさをこの映画からは感じ取った。
だからこそこの映画はどこまでも狂信的であり、狂信者が作り上げた怪獣映画の名作という他あるまい。

いろいろ雑多であったり雑な締めくくりにはなるが、一旦ここで筆を置こう。終わりがあるからこそ、美しいのだ。

私は金の力で動く。