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人気漫画で「読書感想文」を書いて、インプットとアウトプットの苦悩を知ってしまえ。

(2020/7/17追記:記事タイトルを変更しました。)

前回からの続きだ。
今の読書感想文ってひどいよねー! あんなの書かされたら読書や作文が嫌いになっちゃうよ! あらすじ終わり。

さて、現行の読書感想文がひどいなら、お前にならもっといい読書感想文を書かせられるのか?という話である。
確実とは言わないが、今回は「楽しい読書感想文」を自論で書きながらコーチングしていこう。

好きな物語を選べ。お前の武器だ。

課題図書なぞあっちに放ってしまえ! もし好きならば課題図書でもいい。

とにかくお前の好きなものを手に取れ! 
漫画でもゲームでも小説でもアニメでも映画でも図鑑でも、なんでも構わん。名作と名高い少年ジャンプの『鬼滅の刃』や週刊マガジンの『進撃の巨人』でもどれでも好き放題だ。

だが気をつけろ。好きにやるということは相応の責任を背負うということだ。投げ出すのであればおとなしく課題図書を元に読書感想文を書こう。
仮に好きなもので書いても学校提出だと弾かれる場合もある。だが、お前の学びと成長のためならばいつもの読書感想文の数倍は経験になる。気が向いたらやってみてほしい。

武器を手に取るなら覚悟を決めろ。

お前が何が好きなのか説明しろ! レビューの時間だ。

じゃあその手にとった好きな漫画を知らない人に教えてやるんだ。
両親、オジイやオバア。学校の先生。見知らぬ大人、その他諸々。友達とか仲間内は最初のうちは認めたいけど既に漫画やアニメを知ってるケースがあるからな。最終的には全くの赤の他人に教えなくちゃあいけない。

この漫画すごく面白かった!!
……だけでは、読んでもらえない。
お前の「好き」はたった数文字の容量しかないのか。軽いな!
違うだろう? さぁ教えてくれ、貴様の好きな物語はどういうものだ!

まずその物語がどんな内容か、あらすじを教えないといけない。魔法の呪文の5W1H。英語でいうところのWhenWhereWhoWhatWhyHow。
いつ、どこで、誰が、何を、なぜ、どのように、やった物語であるのかを説明しろ。

鬼滅の刃でやってみよう。


鬼滅の刃のあらすじ。
『この物語は大正時代の日本が舞台。山奥で炭焼きの仕事で生計を立てていた長男竈門炭治郎はある日家族を鬼に惨殺されてしまい、一人生き残った妹の禰豆子も鬼に変わってしまった。炭治郎は妹を人間に戻すため、その方法を探すべく苦しい修行を乗り越え、鬼狩りの集団『鬼殺隊』へと入隊する。多くの仲間たちの出会いと別れ、幾多もの強敵である鬼との戦い、それらを経て炭治郎が成長していく冒険活劇少年漫画である』

鬼滅の刃でやったらほうら、これだけで400文字詰め原稿用紙が何文字埋まった?
192文字だ。原稿用紙の半分が埋まったぞ。

あらすじとは作中の文章を丸写しするのではなく、知らない他人に説明するものだ。本編の要約であり、映画でいうところの予告編のようなものだ。
本を購入する人はあらすじなどに惹かれて手にとったりする。だからしっかり書かないとお前の好きは否定される可能性もあるぞ。読んでもらえないのだからな。

宣伝しろ! 
お前はマーケティング担当になって自分の好きを相手に推しまくっているのだ。そういう気持ちで読書感想文を書くと楽しめるぞ。

あと半分以上も残ってるよぉとかまだ四分の一にも満たないよぉとかあるかもしれないが、違うだろう。

お前が本当にその作品が好きならば、もっと書きたいことはあるはずだ。
書いてしまえ!

お前の好きがその程度のものでしかない、はずがないだろう!

お前が心震わせられたところを描写せよ。自身の体験や過去や感情を交えて。

具体的にはどこが面白かったか。作中のエピソード、セリフ、物語の構造、登場人物の尊さ、推し!自由だ!

お前が思いつく語彙でできる限り説明してしまうのだ。
思いつかない? 考えよう! お前が選んだ大好きな漫画やアニメやゲームで、好きなところがないはずがない! 何か惹かれるものがあったからたくさんの時間を費やしているのだろう?

さらにここで重要なのはオリジナリティを出すことだが、つまり自分の過去の経験や推しを紹介するに至った流れやきっかけも書いてしまうといい。
今度は鬼滅の刃じゃなくて進撃の巨人で行く。


『かつて進撃の巨人という漫画は、世間では流行ってるけど自分の中ではどこか縁遠いような作品に思えていた。友人宅でちょくちょく期間を空けて読んだために物語中盤の『壁の中の王党派との内戦状態、人vs人』のパートがすごく冗長に感じられて、もう巨人関係ないのでは?と思って敬遠に似たような気持ちを抱いた。
しかし半年前あたりか、進撃の巨人31巻発売記念キャンペーンによってKindleで1巻から30巻まで全部無料で読めるようになった。これこそチャンスと思い飛びついたら、驚嘆する他無かった。
物語の最初から最後まで、練りに練られた伏線と物語の構造が精巧だ! 終わらない宿業の連鎖はあまりにもがんじがらめで絶望的であるのに、それでも自由のために抗い続ける登場人物の魅力にあふれている! まるで聳え立つ壁のように立ち塞がる困難と試練の大きさ! 真実が明らかになればなるほど、敵と謎は大きく巨大で、事態は手に負えなくなっていく。
特に主人公であるエレン・イェーガーが下す運命の決断の時が、物語の全ての謎と繋がる瞬間であるため、否応がなしに感動を覚えてしまう。この物語の全ての出来事はこの時この瞬間のために積み重ねられ、解き放たれる! 
そのカタルシスには目眩のような戸惑いと衝撃があった。この物語を連載し続けて10年以上も真実を隠し秘めていた作者の熱意は、本当に天才的な執念だと思う。
進撃の巨人はもはや止まらない。誰にもわからない物語の結末に向けて進み続けている。その結末を見届けるまで、私はこの物語の虜であり続けるだろう!』

ほーらこれで650文字前後だ。先の192文字と合わせれば842文字前後。文字数敷き詰めてもこれだから、原稿用紙で改行含めて書くと400文字原稿3枚分前後ってとこかな。とりあえず読書感想文の文量としては十分なとこだろう。だけど上の二つはコピペできないように鬼滅と進撃の別々にしてある。合体できなくて残念であったな。

みんなが読んでる漫画からでも、オリジナルな読書感想文は書けるのだ。

さて、ここまで読んだお前たちには一つの懸念というか、恐怖があるはずだ。
そう、書けない。
好きなものを題材にして書いていいぞと言われたのに、それでも書けない。
絶対、いるはずだ。

好きなものなのに文章が湧いてこないなら、お前の心の中の「ものさし」を作れ。

あんなに好きな作品なのに文章が湧いてこない。
おかしいと思うが、十二分にありえることだ。

自分の好きな漫画のことを書いているのになぜ文字が浮かばないのか!
自分が好きだ好きだと言っていたのに語彙も足りなくて文字数も進まない!
自分の好きな作品に「面白かったです」しか言えないほど薄っぺらかったのか!

自分の好きとは、これっぽっちも表現できないちっぽけなものでしかなかったのか!

といったような気持ちが湧いてくるだろう。きっと絶望的な気持ちになってくれるはずだ。お前があれだけ敬愛し時間を費やしてインプットしたのにアウトプットに繋がらないと。自分はよくわかってないものを好きになっていただけ、流行り物のミーハーでしかなかったのかと疑問を持ってほしい。

その苦悩が本来の教育で最も大事なところだ。
自分で苦悩して、初めて自分の学びと研鑽が始まる。他者から押し付けられる苦悩でなく、自発的に芽生えた苦悩が自分を高める。他者からの苦労なぞただのストレスの元に過ぎないとアドラー先生の心理学でも言われている。

文章を書いてるとどうしてもアウトプットが追いつかないことがある。十分にインプットの機会と題材の自由を与えられてそれでもなお、アウトプットするには何かが足りなくなるのだ。語彙が足りない、その場面を例えるべき表現が思いつかない、アイディア不足、レパートリーと引き出しの不足。いっぱいある。

人は何かの価値を決める時、比較しなければ計ることができない。
ものの長さを計る、重さを量る、AとBの作品どっちがエモいのかを比較する。心の中のものさしがあって初めて作品を理解して感動することができる。
そのレパートリーが少なければ一つの作品を絶対のものと決めつけたり、ある作品に偏執的なまでの批判や低評価をつけるような視野の狭さになる。心の中のものさしが少ないのだ。

十分なインプットがあって初めて、溢れ出るようなアウトプットが実現するのだ。

なみなみと水を注いだコップの縁から、表面張力でも耐えきれなくなった余剰の水が溢れてくるように、インプットをたくさん注いでアウトプットが生まれる。
それなのに、課題図書をただ与えられただけで、人生経験も文字通り少ない子供相手に貧しすぎるインプットだけ与えて「アウトプットしろ」なんて要求するのは無茶だというものだ。
兵站と軍備の重要性を軽んじて、精神論と根性だけで前線に疲弊した兵を投じて無駄死にさせた旧日本軍のお偉いさんと何一つ違わない。

スポーツの教育と同じで、ただ50メートルの直線を用意してかけっこさせても早く走れるわけじゃない。子供のドタドタ走りを想像してもらえればわかるが、彼らはまだ走り方も知らないのだ。
地面をひたすら後ろに蹴ったり歩幅を大きくするんじゃなく、空き缶を潰すように足を振り下ろして、足全体の動きを早くする!」といった方針がなければ早くは走れない。
それなのにスポーツでも読書感想文でも、教育で大事なインプットや「インプットの仕方」を教師が的確に教えられる場面は、相応の幸運がないといけない。私の場合は多分……なかったなぁ。

インプットしまくってお前の「推し」を表現して具現化せよ。

さて話を戻そう。

せっかくの面白いものを推したいのに、自分の中に言葉が足りなくて表現しきれないことはよくある。
アウトプットを解決するためには多量のインプットが必要なのだが、これはレパートリー問わずいろんなものから吸収していこう。個人的なアドバイスでもある。私自身、もっと小学生の頃から物語に慣れ親しみたかったと後悔が募る部分もある。

そしてあれだけ学校教育はダメダメだとか言いながらも、やはり学校で受ける教育というのは非常に重要だ。科学の実験、歴史の勉強、現代の時事問題。一見つまらなく思えるような内容でも、学生時代に勉強に集中して突貫できるのはやはりその時だけの特権であるし、なるべく無駄にせず使ってしまおう。
インプットのレパートリーが増えていくと、知識が横に繋がっていくことがある。あのゲームに出ていた人物の元ネタである歴史上の偉人がこの時代に生きていた!とか、北欧のヴァイキングが台頭していた時期に中東では十字軍が聖地エルサレムを巡って争い、同時期の日本では鎌倉時代の始まりの時期であった、とか。
受験特化型の授業や学習では縦の知識ばかりが求められ鬱屈したような気分になるだろうが、横の知識の連結もできるようになってもらいたい。

その横の知識を繋げるためのBridge(橋)になるのが、自身から芽生えた興味やワクワクで見つけたり遊んだりした本やゲームや漫画やアニメや映画であったりする。知識に貴賤はないが、偏りがありすぎてもいけない。そこは注意しよう。決めつけであの作品はダメだとか最悪だと見るのもよくない。人には好き嫌いがあるから、知った上で嫌いを言語化しておけ。

あとは脳筋的な手法であるが、実際に「好きな小説や本の写本」を行うのも手だ。自分で文章を打ち込み書くことで文体を覚えたり、構成の流れを学んだりすることもできる。絵だって写生したり模写したりすることでそのタッチや構図を学ぶことができる。小説でもそれができないはずはないだろう。模倣するのは最も原始的なインプットとアウトプットの両立だ。

ただし、創作物として作るなら決してパクリやコピペを使ってはいけない。他者の創作物は他者の知的財産であり、盗用をしてはならない。ちゃんと正規のルートで手に入れたり借りた物から学ぼう。あくまで自身の学習のためだ。いいね?

読書感想画とは宣伝ポスターだ。

少し話は変わって読書感想画だ。あれも嫌いだった。
絵がうまい下手というよりも、コツを知ってるか知らないかで心持ちが大きく変わる。残念ながらこれにやんわりと気づいたのが、読書感想画を書かなくていい歳になってからだという。

ずばり言う。映画のポスターっぽく描くのだ。
映画のポスターには「誰が」「何が」「どのように」が描かれている。
「いつ」「どこで」「なぜ」をぼかすことでネタバレを回避しつつ、内容に対する期待感を膨らませるのだ。

すごくわかりやすい映画のポスターが世界的なアメコミ、マーベル映画の『アベンジャーズ・エンドゲーム』だ。

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「多くのヒーローたちのほぼ皆が同じ向きを見つめている」
「武器を持ったり勇ましい表情で、同じものを目指して戦おうとしている」
「一番手前に映るラウンドシールドを持つ男と一番後ろで大きく描かれている男がきっと主人公だろう」
「背景に映る強面の男は見つめる方向が違うのできっと宿敵かもしれない」
「ヒーローたちと並んでいるが、背景の強面の男のように反対側にうつむいてる女は、もしかすると強面の男側の関係者かもしれない」
「背景にどことなく宇宙の意匠が施されてるので、宇宙を舞台にするのかもしれない」

まさにこれこそ、世界一の読書感想画の姿そのものだ。読書じゃなくて映画だけどそこは野暮ってことで。
映画のポスターの一つでも、よく注視して観察すると、キャラクターの配置やポーズや背景、色々な点において「演出」が垣間見える。同じ作品でも国次第でまったく違いデザインのポスターを出したりもするからぜひ調べてみてほしい。人に物を見せる工夫や文脈が、絵から見えてきたら最高だ。

つまり映画のポスターを描くような気分で、登場人物の重要性で位置取りを変えて紹介しつつ、背景や要所に物語の舞台設定を散りばめて説明する。
もうこれで読書感想画は完成だ。絵の上手い下手もあるのが困り物だが、映画のポスターの構図を勉強して参考にしてみよう。
全ての分野において、資料や完成形を見て自身の作品の完成度を高めていくことは、大いなる学びとなる。

そしてこれは読書感想文でも同じだ。

時代や場所などの世界観や舞台設定を説明し、どんな登場人物がどういう理由で、何の行動をするのか。そして自分でどこにエモーショナル……エモい、感動したかを書き記す。感動してなかったなら不満だったところを挙げ連ねていけ。

文章でうまくまとめて伝えれば、そこには書けなかったはずの読書感想文が出来上がっているはずだ。

アウトプットとインプットはお前の心の財産だ。お前の心のものさしをこの世に残せ。

そろそろまとめに入ろうか。

読書感想文はアウトプットとインプットの大切さを教える機会となり得るから、必要ではある。
しかし現状の読書感想文の教え方は生徒の自主性に依存する丸投げであり、アウトプットとインプットのどちらも教えていない。
義務的に与えられ面白さの見いだせない課題図書からはアウトプットは難しい。それどころかインプット不足の子どもたちに対して「本をたくさん読みましょう」だけでは、インプットの大切さが伝わらない。

普段から本を読む習慣のある子ならば、丸投げ教育でもどうにかするだろう。しかし、普段から読書をしない子やできない子に本を読む機会を与える場面だというのに、アウトプットもインプットも知らない彼らに丸投げして、余計に本嫌いを加速させてしまえば全く意味がないだろう。

嫌なことでも我慢してやる訓練? それならば報酬を与えなければならんぞ。
大人の労働だってサラリーや給与のためだから嫌なことを我慢できるのに、いわんや子供がどうして見返りもなしに嫌なことを我慢できて何を学べるというのか。嫌なことから忌避してチャレンジ精神を失っていくばかりだし、やりがい搾取の温床まっしぐらだ。
かといって授業でお金を渡すのもそれはそれで違う。だって教育を与えているはずなのに、なぜか読書感想文では苦痛を与えている。なぜだ?

アウトプットした経験や成功体験そのものが、報酬となる。

読書感想文をコンクールに出して受賞したか否かなんて成果主義の話はしていない。
お前がこの世に、お前だけのオリジナルの言葉で、自分の心を反映させた文章を作り上げた時点で、非常に意味のある行為だ。
その文章が残り続ける限り「書いた時の自分の気持ち」が記録され続ける。将来の自分が省みることもできるし、死後でも別の誰かが見れるかもしれない。

古来より溢れ出たエモーションを人は石版や書に印して、それが時代を経ては廃れたり書き写されたり保存されたりして、現代にまで残り続けている。人の行い次第では、肉体が滅んだはるか未来までも伝えられる。

この世に残ったお前の苦悩と心のものさしが、数千年後の誰かの運命を変えるかもしれないのだ。もし書き残すインプットとアウトプットに共鳴したなら、生涯続けてほしい。

読書感想文で大げさな、とはいうが実際そういうことだ。アウトプットとインプットを繰り返して物を書いていくというのは物書きの始まりの一歩であり、お前も我々の仲間に入ったようなものだ。歓迎しよう。
小説を書いて売れれば大金持ちになれるかもしれないからね。

そろそろ1万文字になってしまうので終わりに。

だいたい書きたいことは終わったのでそろそろ締めくくろう。
読書感想文の書き方はとりあえず『あらすじ』『エモいと思ったことや自身の体験を重ね合わせた考察』『まとめ』なりを書いていけばいい。
もしも何もコツがわからないという人は、まずは上述を参考に漫画のレビューに挑んでみてほしい。読書感想画が書けないなら映画のポスターを意識してみよう。

さて、ここまで書いたなら私も何かしらの読書感想というかレビューを書きたくなってきた。予定は未定なのでもしかしたらだいぶ先になるかもしれないが、そこはご了承を。

作品はおそらく、これだ。

また会おう。




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