おすずひめ物語の舞台千貫・深山を歩く(深山の石碑コース)
千貫・深山はいろんなコースがあります。
深山の祠や氷室とよばれる岩があるコースをご紹介。
龍神の道→野鳥の道→ひむろの道
こちらは、晩秋に訪れてみました。
さて、駐車場は広く、第四まであるのですが、
今は、第四駐車場は閉鎖されていて入れませんでした。
第一駐車場からちょっと下にある第二駐車場に車をとめ、
下まで降りると溜池があり、「野鳥の道」があります。
グリーンピアを中心にして、北の方になります。
溜池のところから「野鳥の道」がスタート。
道は歩きやすく整備されていて明るいです。
登ってすぐに分岐した道があるので、右に進み、龍神の道に。
なぜ、ここに龍の名がついているのか、わかりません。
(龍神の碑)
ほどなくして松の道にでて展望はあまりないですが、
すぐ石碑を発見。
ちゃんと仙人のような像が掘ってあります。
ん~、ここから下へ降りる道もありそうですが。
再び「野鳥の道」をしばらく歩きます。
歩くこと15分くらいで、「ひむろの道」の看板が。
ここからの道は、赤松が多くちょっと雰囲気変わりますが、
ここもとても明るい森です。
しばらく進んでいくと、ようやく深山の碑が。
昔は、ここまで深山と言っていたのかもしれません。
ここにあった松の木が立派でした。
枯れてしまっているのですが、強い松だな~と感じました。
深山の石碑
その松に寄り添うように石碑があったのですが、
こんなにはっきりした「たまゆら」が映ってしまいました・・・。
ここから下っていくと、鉄塔があり展望が開けます。
鉄塔をすぎていくと、
うっそうとした感じの森になります。
岩場がみえ、これが「氷室の跡」といわれるものです。
詳細は不明ですが、氷室といっているので、
昔、ここが冷蔵庫の役目になっていた?かもしれません。
両壁がおおきな岩盤になっているのですが、下は少し陥没しているようです。
この道をそのまま進んでいくと、金蛇水神社に繋がる道なのです。
金蛇水神社の刀の伝承がありますね。
氷室との接点がありそうですが。
日本の氷室について(Wikipedia)
「日本においても、製氷する技術が無かった時代には、
冬場にできた天然の氷を溶けないように保管する必要があった。
正確な記録は残されていないが、洞窟や地面に掘った穴に茅葺などの小屋を建てて覆い、保冷したとされる。氷室の中は地下水の気化熱によって外気より冷涼であるため、涼しい山中などではこの方法で夏まで氷を保存することができる。
このように天然のものを保管するしかない時代、夏場の氷は貴重品であり、
長らく朝廷や将軍家など一部の権力者のものであった。」
平安時代の延喜式に10箇所の氷室が記載されているのですが、多くが山城国。(現在の京都)地名も氷室とあります。
日本書紀に、氷連という姓があり、氷室を管理していたそうです。
鴨家が賀茂神社に勤める時に氷室を使ったようで、氷連や氷室の姓があるそうです。
ということで、巫女の伝承が埋もれていた深山なのでした。
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