【神社】指導者だった「アサヒ」の朝日神社
ヘレンケラーも訪れた盲学校
仙台市上杉(視覚支援学校:宮教育幼児教育機関)の
視覚支援学校のすぐ裏手にあります。
旧:宮城県立盲学校です。ここに朝日神社があります。
旭神子が盲巫だったことに由来し、
支援学校のそばに建てられたそうです。
視覚支援学校の歴史は、昭和8年、口話教育法を採用。
昭和10年、東9番丁第二女学校として成立。
ここに、ヘレンケラーが二度も訪れています。
※宮城県立視覚支援学校 (昭和23年9月14日来訪)
フラナガン神父も、昭和22年5月27に来仙し、
盲学校へ来校。
そんな歴史ある上杉に、旭神子を祀っている神社があります。
朝日神社
応和3年(963)此地に勧請。
「文治5年(1189)8月源頼朝奥州征伐の折,
藤原泰衡が中山物見ケ岡(小田原台原丘陵)に退き防塁の陣を張り,
頼朝の軍勢は二本杉の処に進みこの神祠に詣でた。
その時,あたかも朝日が昇ってくるのを見たので朝日明神の名を
残したと云われる。
当社は守子の社(もりこのやしろ)と称され,
朝日神子が農村の子等を集めて読書手習を教えた処で又幼児の
守護神として百日咳を癒す霊験ありと信ぜられ守子の社の名が伝えられた。
朝日神子(巫女)は寛文年間(1661~73)当社に仕えた
傍ら付近の田野を開墾水利を推考して
桜田川と梅田川を開き耕作に便を与えた。
これ朝日神子が神のお告げによったもので農民を
よく指導した其の功を賞し村民挙げて崇敬した。
後に伊達氏命じて一祠を建立して神に祭った。」
「神木二本の杉は古来翁杉姥杉と呼ばれ(樹齢約600年)ていたが
翁杉の方が樹勢弱まり昭和9年(1934)3月21日の大暴風雨の際,
中途から吹折られた。
現在の二本杉は樹齢から見て其頃植継がれたものと思われる。
二本杉通りの町名もこの老杉故に称された。」(社殿縁起案内掲示)
通町の熊野神社
この朝日は、通町の熊野神社にいた巫女との伝承があります。
年代など創建由来は不明。
『封内風土記』玄光庵中にあり北七番丁井上九郎兵衛宅。(酒屋)
また、同所成田萬之宅中にあり巫女がいたと伝わるが、いつだか荒廃する。
このように、旭神子は、教育の他、田畑の耕作のために、
水利権を利用して開墾も行っていた由来がありました。
旭神子のお告げというのは、道教や五行説のように、
占いなどを用いて助言をしていたようにも受け取れます。
その点では、通常のイタコとは異なる働きもあったようで、
旭神子の活動は、広く受け入れられていたと思います。
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