【信仰】「あさひ」が伝える英雄語り
名取老女の別名を「あさひ」とよぶ伝承は、福島県伊達市(桑折町)地区で「貝田」と「旭」和歌巫女によるものです。
多くは、「旭」の漢字を用いますが、
「朝日」の場合もあります。
「あさひ」の名をもつ娘や巫女の伝承は、各地に広まっています。
名取老女がなぜ「旭」と呼ばれ、また名取老女と旭が結びつけられた理由は、まだわかっていません。
アサヒは、福島県桑折町の大聖寺の縁起によりますが、盲人の巫女(盲巫)たちがもたらした伝説も各地域に残されています。(敗者の武士(奥方)による語り部もあり)
これらは、奥州藤原氏や源義経、伊達政宗など、英雄を語り部として伝えてきた口寄せ(東北のオナカマサマやオカミサン)が背景にあります。
瞽女(ごぜ)縁起の「相模」
まず、瞽女(ごぜ)について。
日本の女性の盲人芸能者を意味する歴史的名称。
瞽女縁起の中に
「嵯峨天皇の第四宮女にて相模の姫君」
という文面があります。
相模の姫君が盲人の子で、
七歳の時に紀伊国那智山如意輪観世菩薩
が枕元にたち、
「君は末世の女人盲人の師と成らせ給ふへし・・・」
とお告げがあります。
※那智山如意輪観世菩薩=青岸渡寺
この正式名を
「青龍妙音弁財天(出町)」と言うそうです。
びわ演奏の名家、西園寺家、伏見宮家がもたらした妙音弁才天とされます。
このような由縁は、
熊野権現が現れた名取老女縁起と同じく、
由縁には、必ず巫女と神との契約というものが含まれるものです。
天皇家の娘となっていますが、
尊い人や歴史上の英雄などを式目(演目)とするのが慣例でした。
西洋の叙事詩から語り部へ
「あさひ天女」という名が登場する英雄伝説があります。
『御曹司島渡』=室町時代の御伽草子(作者、成立年不詳)
藤原秀衡より、北の国の都に「かねひら大王」が住み、
「大日の法」と称する兵法書があることを聞いた
頼朝挙兵以前の青年時代の御曹子義経は、
蝦夷(えぞ)の千島喜見城に鬼の大王に会う事を決意する物語です。
義経がそこへ行くまでに様々な怪異体験をするのですが、
大王の娘と結婚し、兵法書を書き写し手に協力したのが天女(大王の娘)
=「あさひ天女」となっています。
義経はこの兵法をもって藤原秀衡の元へ行った話になっています。
「あさひ」は、巫女の総称ですので一般的かもしれません。
しかし、これらの話は、異界の島と考えられた航海神話が、
御曹司島渡の特徴であり、
古代ギリシャの長編叙事詩が16世紀頃の半ばに
イエズス会士によって日本に紹介されたことで、
日本に広まったと言われます。
つまり、西洋の吟遊詩人から日本に伝わり
インドではサラスバティの芸能の神となり、
日本では琵琶法師や口寄せ、瞽女によって「英雄を語る」
芸能になったといえるでしょう。
相模の姫とは妙音弁財天
そのため、この縁起の中にある「相模」である理由が、弁財天なのです。
妙音講も、瞽女と繋がっており、
ということから、由縁を相模にしたのは、
「江の島の弁才天」のことを示すためです。
岩沼の金蛇水神社の弁財天と同じです。
それと合わせて奉られているのが妙音弁財天御尊像です。
2つの弁才天が江の島弁財天とされます。
岩沼の緑丸
岩沼の千貫森の山中にある大きな石碑「緑丸」もそのひとつです。
緑丸とは、
「百合若大臣」の物語に登場する鷹です。
特に大分県や壱岐に伝わる伝説ですが、なぜか岩沼に伝わっています。
「百合若」という名の武者にまつわる復讐譚が室町~江戸時代にかけて人気をはくす読み物として流行します。
千貫山麓の「鷹硯寺」の名前がその鷹から由来すると伝わります。
百合若大臣も、古代ギリシャの『オデュッセイア』の
長編叙事詩と同じ内容です。
西洋からきた人達の伝承なのか、
百合若大臣は、壱岐で神おろしの時に巫女が伝えた祭文であったという。
石碑にキリークがあり、「真言五仏」の、大日如来バン・阿閔如来ウン・勢至菩薩サク・阿弥陀如来キリーク・観音菩薩サ」の梵字が刻まれています。
「1724年、新田宗右衛門・南条○○・鷹硯寺」
女性たちが伝える歴史は、伝説の中に隠されているのです。
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